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幕末の言葉について

初めて質問させていただきます。 今、新撰組の本を読んでいたんですが 「此一戦記大苦戦中日記致タル事ニアラス、事件終テ時々之覚ヲ繰出シタレハ実説咄シニテ有之。故作本トハ事ナリ戦場日記ト知ルヘシ也」ということや、 池田屋事変の際に「手向イイタスニヲイテハ用捨無切捨ル」と近藤さんが叫んだ、などということが書かれていました。 実際に幕末の方たちはこのように話していたのでしょうか?? よろしかったら教えてください。 「新選組戦場日記」木村幸比古 編著・訳より引用させていただきました。

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  • phantom1
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回答No.1

記録としての文章語です。実際にはもっと違う言葉使いで喋っていたと思います。言文一致運動が起こるのは明治になってからですし、この時代に話し言葉としての標準語はありませんから、誰が読んでも解る文語に直して記録していたのです。その際内容も整えて記録すると思われますので、実際にはもっと違うニュアンスの話し方をしていた(例えばもっと下品な言葉を使っていたかも?等)可能性もありますね。

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質問者

お礼

お返事ありがとうございました!文語が共通語っぽい感じだったのですね。本を読んでいて、実際にこのような話し方だったら・・・と思い、大好きな人が自分の殆ど理解できない言葉で話しているのはなんだかちょっと寂しかったので。(昔と今の言葉が違ってしまうのは仕方がないことなんですけれどね) 本当にありがとうございました♪

その他の回答 (1)

  • ss79
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回答No.2

記録にあるのはいわゆる文語でしかもある程度知識のある筆者が書いているのですからインテリ語に当たるものです。 幕末京都でも各地の浪士が集まっていたわけですからそれぞれ地方の方言が飛び交っていたでしょう。 坂本龍馬が暗殺された時、重傷を負った中岡慎太郎が暗殺者は土佐弁の「こなくそ」と叫んだと言い残したので土佐人が混じっていたと憶測を生んだ位です。

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質問者

お礼

お返事ありがとうございました!やっぱり昔でも方言ってあったんですね。現代人のように、下品な言葉などもつかっていたんですね(^^;)なんか親近感を覚えられました♪ありがとうございました。