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メールと文章構成力の相関について (再び)

前回は「ケイタイ」と「国語の先生」に限定したため反応がありませんでしたので、今回は限定しないで広く、お伺いします。ある作文(小論文)の指導者によりますと、作文力(文章構成力)の向上につれて他の教科の成績が向上し、とりわけ英語力がついたという事例があるそうです。 メールの交換をし始めてから、実際にペンなどで書く文章に変化が現れたという体験が有れば教えて下さい。例えば、文章を書くのが苦手だったが、愉しくなったというような。学生の人は学年を書いてくださると有り難いです。高齢者の方は年齢を書いてくださると有り難いです。

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  • sanbi
  • ベストアンサー率22% (54/237)
回答No.3

 20代後半です。  作文力向上=英語力向上は私にとっては「???」です。  私は子供の頃から文章を書くのが大好きで、大学受験のためかよってた予備校でも、小論文は常に平均以上の評価をいただいていました。  けど、英語は授業の始まった中学生の頃から嫌いで嫌いで、常に赤点でしたネェ・・・  ケータイでメールを書いていて自分が変わったと思うことは、昔より簡潔に文章が書けるようになったかなぁってことがあります。文字数が決まってるじゃないですか。(今120文字くらいしか書けないのを使用してます。)加えて、ケータイの文字打ちって面倒くさいじゃないですか。だから、なるべく短い言い回しで、文章を書くような技術(というと大げさですが)が身に付いたかなぁ・・と思います。

noname#8908
質問者

お礼

ご回答有り難うございました。 極めて貴重な、体験談であり、ご意見でした。 物事を知ることは、愉しいことなのですが、その愉しさを知らずに(教えられずに)時間が無為に過ぎて行くこと程、残念なことはありません。 私は、公立学校の教師たちが使う「指導」という言葉に馴染めません。「冗談じゃねェ、オタクらに何がワカルってえのよ!」と内心反発してしまいます。良い教師と出会えるか否かで、その後の展開が違って参ります。sanbiさんは、最初の英語の先生との相性が宜しくなかったようですね。 ケータイのメールに利点有り、というご意見頂戴しました。

その他の回答 (3)

noname#25358
noname#25358
回答No.4

 どんな事例かは分かりませんが、その事例の被験者に対し、その作文指導者の方がそのように受け止めたのにはちゃんとした理由付けが可能です。  その生徒は成績が上がったんじゃないんです。もともと成績はよかったのに、説明の仕方が悪いがために今まで損したのが、説明力の向上によってそれがなくなったんです。  勉強というのは採点する側もやっぱり人間ですから、分かりにくい解答にはバツをつけたくなります。  でも、言ってることは曖昧でも、説得力があればマルをつけたくなるでしょう。  ですので、自分を表現する力が向上すれば、その生徒の成績は全般的に向上したように見えます。  もちろん、その生徒が意識的に文章力の訓練をするよう、自分に言い聞かせていたのであれば、それは単に「自信がついた」ということなのでしょうが。  何かに自信を持っている人は、えてして関連分野全般が得意になるものです。

noname#8908
質問者

お礼

ご回答有り難うございました。 私の質問の前提の部分への、ご回答でありました。立派な考え方です。 教える側の人にも、教えられる側の人にも、極めてインセンティヴな、ご見解であると思いました。 私の知りたい、メールと作文力の相関は、言わずもがな、というところでしょうか。一部では、暗号のような略語でやり取りしているので、相関はないということでしたが……。

  • anshi
  • ベストアンサー率25% (32/124)
回答No.2

大学4年生です。 レポートや論文で書くような文章には、メールを始めてから変化したと言う実感はないですね。 でも、友人に渡すちょっとしたメモとか、親しい人に出す手紙の文章は変わりましたんね。 ペンで書く文章では、絵文字やフェイスマークが使いづらいため、どうしてもよそよそしい感じがしてしまうようになりました。 おなじ「しょうがないな~」と冗談でちゃかしたりする場合でも、文末に「(^_^;)」があるのとないのとでは全然感じが違うような。 なるべくもっと親しみやすい、感情をこめた文章を絵文字・フェイスマークなしで表現しようとする努力をするようになりました。 これは文章力がついたのではなく、逆に絵文字に頼りすぎて文章力が落ちた、と言った方が適切なように思えます。

noname#8908
質問者

お礼

ご回答有り難うございました。非常にリラックスした雰囲気でフランクな人という印象を持ちました。結構な性格、誰にでも好かれる良好な雰囲気を、これからも、活用されると宜しいでしょう。 「相関」を考えるには、小・中学生のレヴェルが適当で、高校生、大学生、社会人のレヴェルでは、ケイタイのメールが文章作成に与える影響は殆どないだろうことは予想していました。……なるほど、メールの影響はコミュニケーション面のインターフェイスで顕著なのですね。顔文字はメール界の修辞で、想いを象徴させるのでしょうか。私は、日本人の学者や、イランの物理科の女子学生、アメリカの博士、台湾のエリート銀行員などのメール中に毎回、絵文字・フェイスマークを見ますが、それなしで親しみやすい感情のこもった文章を書くというanshiさんの努力は成功しているようですネ。私の第一印象がそれを示しています。 考えさせて下さる有意義なご回答、頂戴しました。

  • miDumo
  • ベストアンサー率36% (63/171)
回答No.1

私はこれまでほとんどの試験を小論文系の論理構成モノでこなしてきました。でも英語の成績との相関性という事例についてはあまり直接の相関性は無いように思います。 もし相関性があるとすれば、本人の能力の有機的連鎖や、その時期の学習意欲全般に相関があるように思います。 小論文を書いて向上する能力は、著しく日本語構成能力と論理思考能力であり、英語の小論文でもしない限り英語の成績は上がらないでしょう。 英語には単語力、イディオム、日本語と体系の違う文法理解・構成力、そして経験という要素が非常に重要です。日本語小論文ではこれは養えません。 つまり、むしろ小論文との相関と言うより、『小論文の勉強をすることで、個人の自己対話が活発化し、現状学力の把握、将来に必要なモノの見極めなどにより、一部の人では総合的に学習の要領、意欲が向上し、結果英語力も上がる』という有機的な結果だと思います。 私としては、小論文をやる=誰でも英語ヨクナル的な考えではなく、その事例において、小論文に挑戦する方の普段の姿勢、素質が英語の習得に向いていて、小論文によって間接的に開花したと思うのですがどうでしょう? 私は今でこそ英語も怪しく出来るようになりましたが、中高と悲惨な英語力でした。英語だけは『日本語極めるず英語なんかやれるか』と投げておりました。 今でも文法英語はできません。でも外人さんと楽しく話せます。 ちなみに昔から論立てるのが大好きでした。

noname#8908
質問者

お礼

ご回答有り難うございました。破綻のない、ご意見頂戴しました。 私の文の破綻のためか、メールvs作文力 が 作文力vs英語力 の印象を与えたようですね。いや、それはそれで結構です。 研究レヴェルはともかく、勉強レヴェルでは、学習の進行が視野や、興味の対象を広げてくれるのだと思います。言葉は悪いのですが「専門バカ」のリヴァースのような状況を作り出すのだと思います。授業での押さえ方や、普段の生活での過ごし方が自然、有為なものになるというか。…… 私の少年時代には「数学ができれば英語はできるが、英語ができるからといって数学ができるとは限らない」とか「授業中に押さえれば家で勉強しなくとも順調に80点は取れる」ことを数人の仲間と検証しました。阿呆なことですが……。 携帯電話や、パソコンは進化したセルフヘルプデヴァイスと同じ様に福祉用具としても重要であります。脳髄の中にその意味を秘めての出問でした。高齢者にはリハビリや痴呆の予防、障害者には自己表現手段やコミュニケーションの有力な武器となります。機会がありましたら、これらの発展的使用法などの、ご意見を展開して頂ければと思います。障害者への質問も出しましたが、反応がめったにありません。  

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