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シベリア抑留捕虜補償請求事件について

 こんにちは。私は今大学で国際法を勉強している者です(初学者です)。その中で「シベリア抑留捕虜補償請求事件」を今調べています。資料を読んでみると、平成元年4月18日に東京地方裁判所で判決が出たと書いてありました。そこで私は、日本とソ連との事件なのに、なぜ裁判は日本でしたのだろうと疑問に思いました。何か決まりごとでもあるのでしょうか。知識不足で恐縮ですが、よろしくお願いします。

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  • merlionXX
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回答No.1

大学で国際法を勉強されているならおわかりだと思いますが、シベリア抑留捕虜補償請求事件は第二次大戦後、長期間ソ連の収容所に強制的に抑留され、強制労働をさせられた軍人・軍属62名が、「捕虜の待遇に関するジュネーヴ条約」66条および68条に規定された自国民捕虜補償原則に基づき、日本国に対し補償を求める訴えを提起したものです。当事のソ連を訴えたのではありません。 東京地裁(1989年4月18日)、東京高裁(1993年3月5日)は、いずれも捕虜待遇条約66条および68条の自国民捕虜補償原則が国際慣習法として確立されているという原告の主張をしりぞけています。

no1982
質問者

お礼

 merlionXX様  早速ご回答を頂きありがとうございました。知識の少ない私に大変分かりやすく説明して頂き助かりました。日本国に対する訴えを提起したものだったのですね。全く考え違いをしていました。今度のゼミの発表で参考にさせて頂きます。ありがとうございました。

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