• ベストアンサー

誰か何かを言ってほしい。お願い。

この前、最後の力を出し切って、自殺願望、鬱、と戦いながら、論文を書き上げ、提出してきました。 ことのいきさつは‥ 私は、念願の音大に入り、ショパンやショパンの時代の音楽を研究することを夢見てきました。 大学1年のころからすでに論文のために猛勉強を重ねました。 ところが、大学2年の秋、衝撃的なことが起きました。 A先輩がB先生に就き、ショパンの研究をしていることを聞かされ、B先生に「あなたがショパンを研究して何になる。あなたがショパンをやっても何の価値もない。A先輩と同じことをやってなんになるんだ。」と言われ、強烈なショックを受けました。 私が論文指導を就きたいと考えていたのは、A先輩と同じB先生です。そして、(詳しい理由は今、書けませんが)とにかく、私は、いきなり、全然違った、時代もかけ離れた、難しい前衛音楽(現代音楽)を、その同じB先生について、論文を書かなければならなくなりました。 週1度は、A先輩がB先生とショパンを研究している姿を目の前で見てきて、なんで私には、指導してくれないんだと、嫉妬ばかりしていました。ゼミでもA先輩のショパンの発表を聞かなければならず、耳をふさぐ思い。せっかくの夢の大学生活が‥。 結局、B先生とは現代音楽の研究をしましたが、あんなにA先輩には一生懸命だったのに、私の研究には無関心。先生いわく、私はできる人間だから指導の必要はあまりないらしい。 私がショパンを研究するのは価値のないことなのでしょうか。A先輩に嫉妬してしまう私はいやらしい人間でしょうか。もっと私を見てほしいと思っている私は、やっぱり普通ではないでしょうか。鬱がひどくて、もう死にたい気持ち。 ちなみに、今後も、修士論文は同じB先生につく予定なのですが‥。この出来事で、境界性人格障害になり、これが余計にB先生への固執につながっているかもしれないです。

  • hafiz
  • お礼率59% (75/127)

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • love_neko
  • ベストアンサー率28% (409/1460)
回答No.6

お返事ありがとうございます。 無理してそのような症状になったのであれば選択肢は明らかに限られていますよね。 うつ病であっても治療の1つの方法として原因がわかっている場合はそれを除去するか、原因から離れるというのがあります。 会社の仕事でも一緒だと思いますが上司や会社の制度の中で無理して頑張っても病気になってしまっては会社はあとは何もしてくれません。 自分を守るのは自分がしなければなりません。 まずは病状が楽になる、または病気にならない選択を考えてみてください。 私自身はhafizさんが考え話し合って最終的に納得して選択したのであればどんな選択になっても応援したいと思っています。

その他の回答 (8)

  • latipes
  • ベストアンサー率36% (63/173)
回答No.9

こんにちは  卒業研究中,不本意なテーマであったこと,また,十分な指導が受けられなかったと感じておられるようで, 本当に,つらく,苦しく,おそらく,怒りも感じておられると思います. そんな状況でも,やり遂げた質問様はすごいなぁと思いました.  指導が受けられないほどつらいことはないなぁ. また,やりたいテーマでないものをやらなくてはいけないのもつらいなぁ・・・.  質問者様は研究者を目指しておられるということで, 修士課程での指導教官は重要になってくると思います. きっと,博士課程に進学される? そうなると,指導教官を変えるチャンスは今かなぁ. 話ができない指導教官はつらいですね.  考えてみたのですが,卒業論文での知識は, おそらく,これからの質問者様の研究の幅をひろげるのではないでしょうか. おそらく,ショパンに関心を持って,研究してきた人はたくさんいると思います. でも,質問者様がされた,卒業研究は,過去の音楽家や音楽を捉え直すのにとても有効な視点ではないかなぁ. その視点は,ショパンだけでなく,他の音楽家や音楽を理解するのに応用できるように思います. これからの研究に武器になるのではないかなぁ・・・と思うのです. 研究領域が違うので,音楽のことはわからず,的はずれになってしまっているかもしれませんが・・・. 今の研究はお嫌いですか?関心がない? それなら,やめた方がいいなぁ. でも,今のテーマも,おそらく,頑張ってきたから 愛着はあるはず. 今すぐはそうでなくても,だんだんと愛着がわくのかなぁと思います. 今のテーマを育てつつ,ショパンはいつかのお楽しみにしておいたらどうかなぁ. それを,専門的にやってきた知識って,すごいと思います.自分が当然のように知っていることでも, 勉強していない人はまったくしらなかったりするから. そういった意味で,卒論をいずれショパンにからめて研究することは可能であるし, 思いさえあれば,研究できるときが来るのかなぁっておもいます. なんか,質問者様って,頑張りやさんなんだなぁって思いました. また,本当にショパンが好きなんだなぁ.研究したいんだなぁって思いました. 今すぐでなくても,研究できる. 研究者になれば,なおさら,好きな研究ができる. 今は,それをかなえる準備期間なんだと思います. 卒論を提出したばかりで,おそらくね,自分のしたい研究をできなかった.指導してもらえなかった. 本当は,もっと情熱と熱意と楽しさを持って研究ができたんじゃないか. 自分はショパンを研究しなかったことでいろいろなものを失ってしまったんじゃないかって感じているかもしれません. でも,すこし時間がたてば,次に進みたいという元気が出てくるのかなぁ. 私は,自分のテーマを否定されてもそれを研究しました. 別の指導教官についたら,もっと深く研究できたかもしれないと思ったりしました. でも,これからも研究活動は続くし,少しずつ蓄積していくのが研究なのかなぁ. 足りないところを埋めたり,新しい視点を提供したり. 質問者様の研究は,新しい視点を提供する研究になりうるのだと私は思います. 先生にお話しするのなら,だだ,ショパンを研究したいというのではなく, これまでの研究にからめてショパンを取り入れる. または,ショパンだけでなく,他の音楽家数名を取り入れ研究計画をたててお話しするのがいいのではないかなぁ. 好きで研究するのは,望ましいけれど,好きなあまり,偏った視点になることも考えられますよね. 研究者とは,情熱的な視点だけでなく,冷静な視点も,そして,自分の研究がどんな風に位置づけられ, どの程度の価値があるのか考えなくてはいけないのかもしれません. 好きな研究をして,それが素晴らしい研究になることもある.でも,つまらない研究になることもある. せっかく,好きで研究するのなら,自分だけでなく, 他者にも認められる研究にできた方がいいですよね(*^-^*) 質問者様がショパンを研究することは価値がないとは私は思いません. きっと,価値があるように研究することは可能なはず. A先輩に嫉妬してしまうのは,いやらしいことではないです. だれでも持つ,当然の感情.  でも,そういう感情に押しつぶされてはいい研究はできないし, それで,B先生との関係がぎくしゃくすると研究がつらくなります.  人間的なつきあいというより,最低限の指導を受けられたら幸運くらいに思うと気持ちが楽かも知れません. でも,まあ,自分にさかれる時間が短いと本当に不満がどんどんたまってきますよね.  そんなときは,大好きな音楽を聴いたり,研究以外の楽しみでうまくストレスを発散させれるといいのですが・・・. 質問者様のショパンの研究に対する熱意がすごく伝わってきました. いつか,質問者様が自分の好きな研究ができることを祈っています. そして,質問者様が,。より少しは元気になれることも・・・・. 研究生活は,あっという間ですが,でも,やりたいことはたくさんありますよね. 自分のできる限りのことをベストではなくベターにやっていくことが大事じゃないかな. 最高のものって目指しても目指してもいきつけられないから. そして,もっとできたんじゃないかと思う気持ちが次の研究に結びついていくのじゃないかなと思います. 長くなりましたが, なにか参考になればと思いつつ・・・.

hafiz
質問者

お礼

皆様、様々なアドヴァイス、本当にありがとうございました。 少しだけ気持ちが明るく素直になれたような感じがします。 大変申し訳ないのですが、まだ鬱が治りきっていなく、とてもだるい状態なので、まとめてのお礼ということにさせて下さい。 今後、どうすべきかは、やはり、先生とよく話し合って、そして自分の意志で決めたいと思います。 皆さんのアドヴァイスをもとに、1つの考えだけにとらわれずに、様々な方向性を考えて、その中で、一番ベストの道を、そして、第1に、今の自分の心の状態が改善される道を選んで、新たなところから、再出発できたらと、そんなことを思いました。 A先輩のことを嫉妬してしまう自分をなんていやらしい人間だと攻め続けていましたが、誰もが持ってしまう感情なのだということが分かって、ほっとしました。今後は、そうなことを考えることなく、もっと幅広いところから、今の自分を見つめてみようと思います。 本当に、どうもありがとうございました。

  • kyarabou
  • ベストアンサー率28% (2/7)
回答No.8

自分がやりたかったことを他人にやられてしまう口惜しさ、私にも経験がありますのでよく判ります。A先輩を嫉妬するhafizさんがいやらしい人間だとはちっとも思いません。 ただ、研究というのは早く発表した者勝ち、たとえやりたいことをやっていたとしても、新しく専門誌が送付される度、学会の度に誰かが私より先に発表していないか、同じ研究分野のXXさんの論文が載っているのではないか…といったストレスに耐えていく強さは必要です。 まず、hafizさんがショパンの研究をするにあたって、B先生は適切な指導者ですか? 他の回答者が指摘なさっている通り、ショパンは一般常識として誰でも知っている作曲家であり「ショパンの音楽性」「ショパンの私生活がその音楽に及ぼした影響」といった内容は卒論レベルでうんざるするほどあるのではないかと思います。 「ポーランド語が読める人が少なくショパンの音楽そのものの研究はなされていない」とありますが、それは日本語論文に限らず世界レベルでいってもそうですか?海外の論文であなたが心惹かれる学者はいませんか? 研究しつくされた分野で頭角を表すには、やはり別分野からのアプローチ、(以前には存在しなかった)計測機器を駆使した分析・過去の研究の再評価ということになるかと思います。 もしB先生の専門領域が現代音楽なら、あなたはB先生の直系門下・後継者としての指導を受けていることになるので、光栄なことではないでしょうか。将来のショパン研究に欠かせない肥やしになることと思います。 B先生の専門領域がhafizさんのやりたい分野にもかかわらずやらせてもらえないのであれば、hafizさんの苦しみはよく理解できます。何故自分がショパン研究しては駄目なのかよく話し合ってみては如何でしょうか(先生が新たに研究分野を広げたいと思い、そのパートナーにあなたを選んだのかもしれませんし)。その結果、先生との関係修復困難と判断なされば思い切って指導教官の変更も仕方のないことと思います。研究者としての就職の際には学閥や指導教官の人脈が不可欠ですので簡単にB先生の元を離れては…とは、B先生の学会内位置がわからないため、あまり簡単にはいえないことなのですが… 研究者という人種は、人柄よりも、能力・成果・いかに自分の発想をインスパイヤしてくれるかのみで相手を評価します。先生の対応を変えるには、あなたの研究への熱意とその研究能力を示す以外にないと思います。

noname#10940
noname#10940
回答No.7

悔しいね。他人の僕が聞いても。 何故?同じじゃいけないのか? 先生の真意はなんだったのだろう? そのすれ違いを聞くには、あなたは疲れすぎて いるかもしれません。 休学するのも手です。 でも、理由が理不尽だとしたら、 やっぱり辛いね。会社じゃないんだし、 好きなショパンをいつか研究できる事を 祈っております。

回答No.5

私は何もわからないのですが,読ませていただいて幾つか疑問が湧きました。ショパンを研究するというのは誰かがやっているからもうできないというようなものなのかということです。私が想像するにショパンに関する研究というのはそれこそ数え切れないほどされていると思います。いわば研究題目としてはむしろ陳腐なものなのではないかと思います。あなたがショパンに関心を持っていることはよく分かるつもりですが、いまさらショパンの研究といっても画期的な研究ができる可能性は低いものだと思います。言葉は悪いですが、誰でもできる,重箱の隅をつつくような研究になってしまう可能性が高い研究主題だと思います。言いかえると、勤勉だが研究能力なり意欲が比較的低い学生でもそれなりにまとまりやすいものでもあるということです。そこへいくと現代音楽は未開拓の部分が多い領域だろうと思います。新しいことが可能である反面、能力が無いとまとまった成果をあげにくいというリスクもある領域だと思います。あなたが将来音楽の研究を仕事にしたいのだったら,ショパンより現代音楽の方が発展の可能性が大きいのではないですか。今の状況ではあなたが冷静に考えられるかどうかわかりませんが,あくまで音楽全体に対する関心をあなたなりに受け止めるという背景が無くて目が全て人のほうに向いているのでは,せっかくの,あなたの熱意や先生からの期待が無駄になってしまうように思います。初心にかえってあなたが向き合うのは音楽であって人ではないということを思い出してみたらどうでしょうか・・・ショパンはむしろあなたのライフワークにして現在の勉強はそれを実現させる肥料ぐらいに考えたほうがよいのではないですか・・・そう考えれば先生も先輩もそれを助けてくれる大切な人材ということになりませんか・・・無理ですか・・・

hafiz
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 一度、傷ついて、こういう自分になってしまった限りは、今の研究は続けられそうもないです。 ショパンは、伝記的なことばかりが研究されていて、感じのショパンの音楽そのものの研究はなされていないのが現状です。ポーランドを読める人が少ないので、余計に研究されていません。そういうこともあって、ショパンがやりたかったんです。 この1年、我慢を押さえて現代のことを研究してきて、でも、もうそれは、無理にやってきたことなので、ついに我慢の限界で、精神がおかしくなってしまいました。このままでは、私は、何もかも駄目になってしまいます。 だから、自分を取り戻すためにも、一度、現代という視点から、ショパンの音楽を再構築したいと今は、考えています。 先生の言うことが分からないわけではないのですが、 すごく傷ついてしまって、もうどうにもならなくなってしまい、今の研究を続けることは不可能なので、一度、初心に戻って、自分がやろうと思った研究をしたいと思います。先生にも話してみて、もし理解してくれそうもなかったら、別の先生にしようと、思いました。 いろいろ、アドヴァイス頂き、本当に感謝しています。

  • Guns
  • ベストアンサー率21% (6/28)
回答No.4

私が言うのもなんですが、卒論提出お疲れさまでした。 この時期になると、自分の卒論の事も思い出してしまい ます。hafizさんの様な状況ではありませんでしたが、 教授との関係は私もあまりよくはありませんでした。 私の場合は、希望した研究内容に対するの卒論を作るこ とが出来ましたが、やはり教授とのやり取りはあまり気 分の良いことばかりではありませんでした。 修士の担当も4年次のゼミから変更が出来ないので同じ 教授で大変でした。 hafizさんの場合は修士の際に違う教授へ指導してもら えることはないのでしょうか? せっかく、自分がやりたいことを見つけて、研究したく て進学するのでしょうから、出来ることなら希望する研 究をしたいですよね。 ただ、教授が親身になってくれていない事に対して、ha さんが自分を責めるような気にならないでください。 私が言っても他人事になってしまいますが、もう少し気 を楽にして。 最後は他の回答者の意見も聞いた上でhafizさんが判断 するしかないんですが、今の研究がhafizさんの見識が 広くなる糧になればいいですね。 文章が下手でごめんなさい。

hafiz
質問者

お礼

なんとか論文を提出できてよかったです。提出できなかったら、今後の全てが駄目になってしまうので、今は、ほっとしています。 最終的には、私が判断するしかないですよね。 もう一度、自分の過去を振り返ったりして、今までのことをよく整理したいと思います。

noname#9257
noname#9257
回答No.3

先生って変えれないんですか?自分のやりたい事しなくちゃ、でしょ。人間誰でも嫉妬もするし、見てもらいたいみたいな気持ちもあると思うから、それは変じゃない。でも、気に病んでつらいなら現状を変えるべき、と思うよ。 だから、若いんだから余計に言うけど、自分のやりたい事しなくちゃ。

hafiz
質問者

お礼

「自分のやりたい事しなくちゃ」に励まされました。 これが本当に自分のためになるかどうかは分かりませんが、今の私には、一度、やりたい事をやる事の方が、自分のためなのではないかと思ってきました。 このまま、鬱のまま、今のことをやり続けることは、もう気持ちの限界でどうあっても無理なので、病気のためにも、自分の欲求を満たすことが必要なんだと感じています。いつまでも、やりたいことを取り上げられて、それに苦しんで、悩んで、精神ボロボロでは、もう新たな研究も何もないですから。 おそらく、先生にも悪いところはあるんです。私に本当にひどいことを言ったし、ひどい言い方をして、私の気持ちのことを全く考えてくれなかった。もし先生がひと言でも、「ショパンをやりたい気持ちは分かるけど、今は、現代のことをやろうよ」みたいな言い方をしてくれれば、素直に今の研究をやれたはずなんです。ところが、私の気持ちを全く考えず、いやみのように、ひどいことばかり言ってきて、私を傷つけた。そのことが、もう心の限界になってしまったんです。 根は優しい先生なので、私の気持ちをこれから話してみたいと思います。ポーランド音楽の研究者になりたいです。。

回答No.2

hafizさん、おつかれさまでした。 つらいのに、がんばりましたね。 あなたの文章、よみました。 あなたのつらさ、よくわかりました。 でも、・・・ちょっとだけでいいから、B先生を信じてみませんか? 学問の世界に限らず、成功する人っていうのは、他の人とは違うことが出来る人。 そして、他の人に認められる才能や実力を持った人が、ある程度自分の力で行動しないと、「他の人と違うこと」はできないんです。 他者の指導が入ると、どうしてもその人に影響されてしまうでしょう? きっと、先生はそれをさけようとおもったんじゃないかな。 あなたがショパンをやりたいという気持ち、よくわかります。A先輩に嫉妬してしまうことも、わかりますよ。 ずっとやりたいことをとりあげられたんですもの。 あたりまえですよね。 でもね。 あなたの才能やあなたに向いていることは、じつは自分では気づきにくいことなんですよ。 これは、どんなことでもそうです。 才能やものごとの向き不向きは、他人の方がわかってくれるんですよ。 もう一度いいますね。 ・・・ちょっとだけでいいから、B先生を信じてみませんか?

hafiz
質問者

お礼

この1年は、苦しみの中を生きました。 どうしてこんなことでこんな自分になってしまって、こんなに苦しんでいるのか、自分にも分からないです。 本当にショパンが研究したかったし、ショパンのみならず、ポーランドの現代をも含めた、ポーランド音楽史研究の学者になろうと、強く思ってきました。 ところが、先生に従うことが一番いい道なんだとか、自分に力がないから先生の言うことが分からないだけで、いつか分かるようになるかもしれないとか、ショパンをやらないほうが私のためなんだ、今、それが分かっていないだけなんだとか、無理にそういう風に思って、新たな世界にチャレンジしているうちに、無理がたたって、限界がやってきました。みんなの期待に答えようと努力を重ねているうちに、答えることが苦痛になってしまい、気持ちがからまわりして、もう駄目になってしまったんです。 B先生のことは信じています。B先生は正しいと思う。 けれども、やっぱり、今の私には、B先生の意見に従うことは、もう心の限界で、一度でも、本当にやりたかったショパンの研究をやらねければ、もう立ち直ることができない、そういう状況です。 だから、今度、そのことを、正直にB先生に話してみようと思います。無理して、頑張って、新たなことに挑戦しようと努力してきたけれど、精神的にボロボロで、このままでは、本当に、気が狂って、死んでしまうかもしれない状態だから、自分を取り戻すためにも、初心に返かえって、まずはショパンから研究したいと、本音を伝えようと思います。 それでもB先生が理解をしてくれないときは、B先生から離れ、別の先生のところに行きます。 やはり、今の自分が、自分を取り戻すためには、これしか方法がないように、ここで強く感じました。

  • love_neko
  • ベストアンサー率28% (409/1460)
回答No.1

こんばんは。 卒論の先生との対応はその後の就職や人間関係に大きく影響すると思います。 自分の書きたいテーマを理解ある先生のもとで書くことが自分を無理強いせず自然と良い方向へ導くことと感じます。 自分のやりたいことを自分の判断で自分で責任を持って選択しその結果の責任も自分でとるというのが必要と思います。 不本意なテーマであれ先生であれ、それはきっと未来の後悔につながる予感がします。 私自身はそのとおりでしたから。

hafiz
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 やはり、「やりたいテーマ(ショパン)をやる」と「やりたくないテーマをやる」の2つの意見に分かれました。 どうするかは、自分で決めるしかないですね。 私にとってはすごく難しい選択なのですが、 この1年、ショパンばかりでなく、もっと幅広い視座で音楽を捉えるべきたと一生懸命に思ってきて、無理して難しい現代音楽にチャレンジしてきました。 でも、周りの期待に答えようというあまりに、自分がそうなりきれていないのに、無理して、新しいことに挑戦し続けたことが、結果的に、境界性人格障害や躁鬱病という心の病を起こすきっかけになってしまいました。 今は、この病気を治すことに必死です。 自分がどうしてこういう風な状態になってしまったのか、今後、よく考えたいと思います。

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