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日本語と英語の共通概念

Ganbatteruyoの回答

回答No.5

アメリカに36年住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。 日本語や英語に限らず言葉と言うものの事になってしまうと思いますが、「生まれ持っている観念」と言う事などで、生まれてから習う言葉の使い方とはちょっと違うかもしれませんし、言葉の使い方が遺伝的な要因(言葉に対する表現力の他に)があるのかどうかは私には疑問に思えます。 (遺伝学の学者になる夢を高校生の頃まで持っていたのに) しかし、言葉と言う物でいいのでしたちょっと書いてみますね。 それは、自分の言いたいこと(裏に含んでいる感情も含めて)を表すのが言葉であり、自分が属する社会(家族・業界・職場・友達間、恋人間など)にあった言葉遣いを無意識的にまねをしながら自分の表現力にする、と言う事ではないでしょうか。  例えば若い人たちが{うっそー」という表現を初めて使う時どれだけ意識的に使おうとするでしょうか。 耳で聞いてそのままTPOにあったと判断した時にこの言葉が出てきますよね。 英語でこういえば自分の言いたいことが相手に伝わるということを無意識に毎日習っているということですね。 これは日本語でもやっている事です。 日本語の場合性別や年齢によって、言葉遣いを変化させる社会であればそのようにする事で日本語を使いこなすと言う事のひとつの要因になっていますがだからといって英語に似たような事がないというわけではありません。 書き言葉に注意したり、若い連中と話すときはうまくまじ合えるように話し方(単語や言い回しを変えたりして)を変えたり、命令する時と依頼するときの違いをはっきり表現したりしますね。 他に無意識ともいえるくらいにやっている事はたくさんありますね。 私はこのカテではフィーリングと言う言い方を使っていますが、自分の言いたいこと(つまり伝えたい事)を適切な感情を含めて文章をみんな作っていますね。 これらは言葉がいかに社会文化と密接に繋がっていると言う共通点を持っている物と言う事でもあります。 これは人間が共通に持っている「親の影響」が生まれてはじめての「教えてもらう」事なのではないかと思います。 これを「生まれながらにもっている」とはたしていえるかどうかは解釈の違いと言う物かもしれません。 だからこそ、その社会的知識がないと日本語の文章をそのまま辞書や文法にこだわって英語に訳しても本当に言いたいことが伝わるかどうか疑問が残るわけですね。  ですから、日本人と共通している所のひとつとしてあげられる事は100%自分の言いたいことを相手に伝えたいという根本的な願望ということになるかもしれませんね。 それが表現力として表れるわけですね。 その表現力の違いがあるからこそ通訳・翻訳家・作家などに誰でもなれるわけではないということになるわけですね。  これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。

meg-k
質問者

お礼

言葉という観点で言って頂き分かりやすかったです。言われてみればそうだと納得できる事ばかりでした。 英語と日本語を生得的な概念だけに限らなくても、アメリカで生の言葉・文化・人の中にいれば、日本との様々な共通点・相違点を体験されているでしょうね。 ”相手に言いたいこと伝える”ための表現力についても考えさせられました。 丁寧な回答どうもありがとうございました!!

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