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【茶道】裏千家の宗家(家元)の千家の長男の菊池明史
【茶道】裏千家の宗家(家元)の千家の長男の菊池明史さんが急性呼吸不全で39歳の若さで亡くなりましたが、なぜ千という名字ではなく菊池なのですか? 裏千家の家元の長男が婿養子に入るはずもないと思います。 もしかしていまの宗家の千さんは芸名で本名は菊池さんってことですか?
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こんにちは 千家の長男の菊池明史は2014年12月分家して、独立し 現在はクリエーターをしていたようです。 https://tokubooan.jp/wabi-sabi/sado-iemoto.html 追悼の分が載っていて、そこに書かれてある苗字は千 千家として、葬儀をしたようです。 >当時、彼の姓は「千」だった。そう、彼の家は茶道の「裏千家」で、彼はその長男だった。そして、彼の母は、皇族から千家に嫁いだ方。(略) >裏千家を継がないことで、慣習により、苗字が千から菊池に代わりました。その時に、「明史」をミョンサと韓国語読みさせることで「キクチミョンサ」というネームで活動しはじめた。 「千」の苗字が「チ」に見えやすいところから使っていた「チヨリ=chori」のネームを一時期消していた時期があった。 そして、choriのネームを復活させた後においても、「キクチミョンサ」のネームも使い続けている。その証拠に実際に今でもXでのネーミングは、「chori a.k.a キクチミョンサ」です。 https://yoshihiroharada.pawaharasoudan.jp/social/3050/ >千宗室は千利休から続く茶道の家元 千宗室は茶道裏千家の家元が代々襲名する名前です。 初代までさかのぼると茶道の基礎を作り出した千利休にまでつながります。そして2代目千少庵、3代目千宗旦と続き、宗旦の3人の息子が後世にいう「三千家」を興します。次男・宗守が「武者小路千家」、三男宗佐が「表千家」、四男宗室が「裏千家」です。 これ以降、裏千家家元は代々「千宗室」を名乗り、いまも千利休が作り出した茶道を連綿と伝え続けています。 https://nanboya.com/kottou-kaitori/post/kosyo-sensoshitsu/
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- AlexJenifer
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1.もしかしていまの宗家の千さんは芸名で本名は菊池さん 違います。現裏千家当主の本名(戸籍名)は千政之といいます。裏千家の家元は代々宗室を襲名するので、16代千宗室であり、坐忘斎という斎号を持っています。芸能人ではないので「芸名」などとは言いません。 2.菊池明史さんは15歳で家出し、その後2014年12月9日に「分籍」という手続きをして千家の戸籍から抜けて「菊池」という姓を名乗りました。「分籍」は法律に則った正式な手続きです。
- 4500rpm
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千家では、家を継がない者は、「千を名乗らない」(苗字を変える)というしきたりがあるようです。 なので、菊池明史さんも家督を継がなかったので、「菊池」を名乗っていたようです。(千家とゆかりがある苗字らしい) 同様な事例として以下があります。 茶道裏千家家元15代鵬雲斎汎叟宗室の次男として京都府京都市に生まれる。母は登三子。兄は裏千家16代坐忘斎玄黙宗室。生誕時の姓は千で、裏千家の伝統によって伊住家を興した。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E4%BD%8F%E6%94%BF%E5%92%8C
お礼