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ネットを流れる情報は
すべて、それがたとえ有名人のアカウントが書いたものであろうが、新聞社の記事であろうが、会社のホームページであろうが フェイクとして扱うのが先進的な考え方ではないでしょうか? 現実で目にし、耳にする情報しか本物ではなく、ネットで得た情報は全てフェイクのノイズである。判断をして信用、信用しないかをきめるのではなく、全て信用できない嘘として扱うべきでは?
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- gokukame
- ベストアンサー率22% (1016/4537)
あなたの個人的な意見ですよ。どの様に捉えるかは人それぞれ違いますので決め付けるは可笑しい考えですよ。
- sknbsknb2
- ベストアンサー率38% (1158/3035)
実際に自分が見聞きした情報以外は信用しないとなると、極端に情報量が減ってしまい、その方法で得られた情報だけを元に行動するとなると、まともに生活できないのではないかと思います。 例えば電車で移動しようとする場合、乗り換え時間を案内するようなアプリを信用せず、実際に乗り換えるすべての駅に行って自分の目で時刻確認することが必要になります(ネット上の時刻表もフェイクなので)が、そこまでするのは神経質にすぎると思います。 そこまでやる必要はないと考えておられるのかもしれませんが、ネットの情報をすべて信用しないというのは上記のようなことだと思います。
- staratras
- ベストアンサー率41% (1504/3660)
何事も中庸が大事ですね。 「すべてを信じない」のは、「すべてを信じ込む」よりはマシでしょう。ある専門家によれば、がんに関するネットに氾濫する情報の中で専門の医師から見て正しいものは全体の一割程度だそうですから、特にこうした分野では「消極的安全策」と言えなくもないでしょう。 ただしそれでは「自分にとって必要な重要な情報も無視する」ことになってしまい損をすることも多いでしょう。重要なことはネットにあふれる玉石混淆の真偽様々な情報の中から、正しいものを見分けられる能力を身につけることです。 もちろん「真偽を判定できる自信はないからネットの情報はすべて信じない」という人もいるでしょうし、それはその人の自由で、他人がとやかく言えるものではないと考えますが…。