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関東大震災の虐殺

朝鮮人虐殺があったそうですが、そんな大事件が起きたのに、その後も日本国内に朝鮮人が住み続いていたのはなぜですか?普通は本国に帰りませんか?

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  • D-Gabacho
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回答No.3

関東大震災が起きたのは1923年9月1日ですが、9月3日以降、朝鮮人の内地への渡航が制限されたこともあって渡航者が激減した一方、朝鮮人の帰還者数が急増し、震災前に内地に居住していた朝鮮人約13万人のうち3割に当たる約4万人が、1923年9月から12月までの4ヶ月間に朝鮮に帰還しています。そのうち東京府から帰還者は6239人で、1923年10月1日時点の東京府在住朝鮮人が6870人となっていることからみて、東京府在住の朝鮮人のうち半数かそれ以上が帰還したとみられます。帰還者全体では被災地以外からの帰還が82%を占めており、内地の朝鮮人社会全体に帰還の動きが広がっていたことがうかがえます。 ただ、内地の朝鮮人人口は2年後の1925年には12万9870人となって震災前の水準を回復し、1930年29万8091人、1935年62万5678人、1940年119万0444人、1945年196万8807人と、5年ごとに約2倍になるペースで増加し続けています。1920年に17.6%だった非就業者比率が、1930年に27.5%、1940年に48.5%となったことや、男性の比率が1920年の88.5%から、1930年72.3%、40年62.37%と低下していることは、出稼ぎ労働者の単身渡航中心から、家族ぐるみでの渡航・定住へと変化したことを示しています。 朝鮮人虐殺が関東大震災という極めて特殊な状況下で起きた突発的な出来事であって、何度も恒常的に繰り返される類のものではなかったため、帰還の動きも一過性のものにとどまったということだと思います。工業化の進展やインフラ整備のため、日本人より安い労働力として内地での朝鮮人の需要が増大していったということもあると思います。 <参考> 「関東大震災下における朝鮮人の帰還」 https://doshisha.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=25088&item_no=1&page_id=13&block_id=100 「震災復興期の東京府下朝鮮人労働者に関する人口・職業分析」 https://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/4/42108/20160528051714670665/oer_016_4_107_145.pdf

その他の回答 (2)

  • gunsin
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回答No.2

1962年頃、川崎で会社勤めをしていた頃、昼休みにキムチを売りに 来ていた朝鮮のおばさんに尋ねた事が有ります「何故、故郷に 帰らないの?」と、答えは「帰れば両班(ヤンバン)に犬畜生扱いで いじめられるし、日本人にもいじめられるけれど両班ほどひどくない ので、帰らないんです」それと、向こうでは商いをさせて貰えないが 日本では商売が出来るから良いとも。 階級差に依る差別は日本人の想像を超える物が在る様です。 奴婢の出身の人の様でした。

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6924/20483)
回答No.1

帰るところがないから 住み続けるしかない。そんな人たちが住んでいるのです。

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