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日本史に出てこないレアな苗字
だいたいは小作人だったんですか?
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以前NHKで放送されていた「日本人のおなまえっ!」という番組では、数々のレア苗字が紹介されてましたが、苗字の由来をたどって先祖が小作人だったというケースは、ほとんどなかったように思います。 たとえば、指吸(ゆびすい)という苗字は、堺きっての魚問屋を築き上げ苗字帯刀を許された初代善兵衛(1671年没)が、「食べるものがなければ指をしゃぶって辛抱してでも不義不正はせぬ」という家訓を示したものだそうです。子孫が戦後に創業した会計事務所が発展・存続していて、その会社のHPの創業者紹介のなかで苗字「指吸」の由来についてもふれています。 https://www.yubisui.co.jp/files/history.pdf 東日本では地主が小作人に自分と同じ苗字を名乗らせることが多かったともいわれていますから、むしろ、小作人にレア苗字は少ないのでは? https://mnk-news.net/detail.htm?articleId=413
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- personofleisure
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近世・江戸時代では、苗字は武士の特権とされ、原則として、百姓(庶民)が公的な場や武士の面前で苗字を用いることは禁じられていた。 けれども、このことは、当時の百姓が苗字を持っていなかったことを意味するわけではないようです。 幕府や大名に対して特別な役目を果たすことにより、苗字の公称を許可されることもり、百姓が用いていた苗字を抜き出すと、 小川・武松・浅見・増田・藤野・平沢・川久保・中里・宮寺・若林・宮崎・野村・久下・吉沢・富田・ 立川・比留間・清水・加藤・向坂・田中・内山・高木・関口・青木・師岡・原嶋・金子・竹内・尾崎など、 近世の百姓は、誰しもが苗字を持っていた。 しかし、一部の者を除き、苗字を公称することは禁じられており、彼らが苗字を用いるのは、武士の関わらない村の仲間どうしの、どちらかといえば私的な場面に限られていた。そのため、彼らの苗字が記録に残されることは少なく、私たちの目にとまりにくくなっている。
名字が平民にも許可された年代の農家は全就労者の7割。 更にその45%が小作人だったと、検索した範囲では出た。 単純計算で3割が小作人ということで、「だいたい」と 言うほどではないかな、と思った。