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話し手と聞き手という言葉の使い方

ちょくちょく海外の方が書いた日本語を読む機会があります。 普段、日本語のことを、考えずに話しているので そういう方の日本語を真剣に読むと、「あれ?この使い方であってたっけ?」とよくなります。 質問したいことは、「話し手と聞き手」という言葉の使い方なのですが、ある海外の方が「同意する」という英単語の説明を日本語している文章で ・話し手が既に相手方と同じ意見を持っていれば、「Concur」という単語が使えます。 このような文章を書いていたのですが この場合 話し手→何かを言う側=意見を言う側 聞き手→聞く側=「Concur」を使う側だと 私は思ったので、最初の「話し手が既に・・・」のところは 「聞き手が既に・・・」じゃないのかなと思ったのですが、どうでしょうか?

noname#254154
noname#254154

みんなの回答

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.1

二者が立場を入れ替わりながら交互に話すと聞くを繰り返すのが会話です。 「同意」には先ず「話し手である相手」の話を聞く事が前提になります。 「聞き手である自分」が聞いた後に同意なら、 次に立場を入れ替わり、自分が聞いた「相手の話した事」について、自分が話し手となり「同意する」と伝えます。 質問では「聞き手」と「話し手」が「交互に立場を入れ替わる」という前提が抜けているので、 聞き手が話しているかのような文章解釈の混同と混乱が生じてます。 日本語で「聞き手」の自分が立場を入れ替わり「話し手」になった時点で、話し手だった相手の話は「話した事」として同意の前提になりました。 立場が入れ替わり自分が「話し手」として「同意する」は、先に話し手だった相手の「話した事」を前提にして、先に聞き手だった自分の「聞いた事」が「同意」の対象に変化してます。 立場を交互に入れ替えなければ会話は成立しません。 成立しない会話には同意も何も有りません。 立場を交互に入れ替わる事で、相互に認識する事象も表現が交互に入れ替わります。 「交互に立場を入れ替わる」という認識が無ければ、 質問に示された表現に関する疑問は解決に至りません。 …日本語では主語を省略する場合が多々あります。 その主語が「相手」なのか「自分」なのか「話し手」なのか「聞き手」なのか、質問でも曖昧なまま省略されてます。 それでは情報不足のまま精密な解釈を試みるのだから混乱し理解不能に陥るのは当然です。 …日本語の文章を正確に捉えるには、文脈ごとの主語と時系列を正確に想定する事が求められます。

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