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軍隊関連で質問
旧日本軍または過去から現在に至る海外の軍隊で。 陸海空軍(海兵隊)などで、他の部署へ移動や同じ軍内で別専門部署への移動はありましたか。 例えば、人員不足または今後の情勢のためと、何年も陸軍歩兵だった兵士がいきなり同じ陸軍の戦車兵へ転属させられ講習訓練を受けたり、空軍のヘリパイロットがいきなり、別の軍である海軍のヘリパイロットや航空管制、レーダー要員などにされたり等通常はありえないが国や軍により、ルール変更や新しく体勢を導入されたことはありましたか。 以前、似たような話は聞きましたが、ほぼうろ覚えなので、分かりません。
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>何年も陸軍歩兵だった兵士がいきなり同じ陸軍の戦車兵へ転属 兵種転換の場合、一からやりなおしだった。 歩兵上等兵が工兵に転科すると二等兵からやり直しだった。 八甲田山の31聯隊雪中行軍隊指揮官の福島歩兵大尉は、最初工兵の幹部候補生として入隊した。 軍曹まで進んだが歩兵に転科したため二等兵からやり直しになった。 海軍は兵種の壁が高かった。 兵科だけが本ちゃんの将校で機関科、主計科が傍系の将校、残りは将校でなく将校相当官だった。 軍令承行の順序にかかわるため、この差別はずっと残った。 兵科の将校も「砲術」「水雷」「航海」「飛行」などに分かれるが、それはどの術科学校に行ったかで決まった。 砲術学校に行った将校は将校名簿に「砲術」と記され転科は原則できなかった。 海軍の機材やその運用、作戦立案には高度な専門性を要し、付け焼刃では害になるだけだからである。 術科学校(普通)の願書を出せるのは古参少尉~中尉に限られ、大尉になると無理だった。 ただし、将官になると専門性は問われなかった。 将官に問われるのはスペシャリティでなくジェネラリティだからである。 井上成美は航海科だったが開戦直前航空本部長に補せられた。 比叡艦長時代航空戦術について熱心に勉強していたのを買われたからである。 海軍の陸戦隊は不人気な部門だった。 せっかくスマートな海軍将校になったのに、泥臭い陸軍と同じような服を着て地べたを行軍しなければならない。 なので肩たたきは日常行為だった。 もっとも肩たたき組からも優秀な指揮官が何人も出た。
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- pri_tama
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>陸海空軍(海兵隊)などで、他の部署へ移動や同じ軍内で別専門部署への移動はありましたか。 軍隊なら、日常茶飯事ですよ。 最近でも、陸自の隊員が船舶乗り込み要員に転属しています。 https://news.yahoo.co.jp/articles/b66162e1872464c3ad34ec325c2257810a4a14c3?page=1 そもそも、国によって速い遅いが有りますが、空軍の要員って大部分が第二次大戦の前後に陸 or 海軍からの転属組です。 私が知る限り一番極端な例だと、第二次世界大戦の帝国陸軍の戦車兵が三式潜航輸送艇[潜水艦]の乗員に成っています。 (機械に慣れているとの理由で…。)