• 締切済み

どこからが虐待ですか?

こんにちは。 女子大生です。 去年高校を卒業しました。 私の通っていた高校は、私立の女子校でした。 比較的厳しい家の子が多かったので、私の境遇についても「うん。チョット厳しいくらい」と思っていました。 しかし、大学に入ると「はぁ?!」と言われることもあります。 例えば、 ・小学生のころ、祖父に「馬鹿!」と言って蔵に閉じ込められた。 (30分程で母が出してくれました。他は、テレビチャンネル争いで、閉じ込められたことがあります) ・小学生の頃、父に「おはよう!」と挨拶をし、30分正座させられた。(目上の方には「おはよう御座います」ですよね) ・小中学校の時、マニキュアをつけているのが見つかり、正座。 このことによって、私が精神的にダメージを受けたかは覚えてませんが、私は感謝してます。 例えば、今、私が住んでいる地域で、↑の事をしても、虐待だとは言われません。 3時間以内なら、男の子が木に縛り付けられたとしても「ちょっと躾が厳しすぎるんじゃない?」と近所の方に注意される位でしょう。 しかし、私が結婚したとして、他の地域で、↑をしたら、虐待だと言われますよね。 そして、私もそんなことはしたくありません。 私は今、心理学を勉強しています。 他の人がどう感じているかが知りたいのです。 お願いします。

みんなの回答

回答No.11

個人差というかその人それぞれの考え方があると思いますが、 私は問題ないと思います。 もちろん、話してわかるのならそれに越したことはありませんが、 言っただけでわかるような子供ってそんなにいないような気がします。 私がそうでしたし…。 Attorneyさんがおっしゃっていた通り、 「悪いことをしたから叩かれた・閉じ込められた」 ということを相手(子供)が理解してくれれば、 問題ないのではないのでしょうか? 話はやや反れるかもしれませんが、 殴られたことがないから手加減などがわからず、 とんでもない事件になることもあるのではないのでしょうか?

noname#62838
質問者

お礼

こんにちは。 皆様の意見を伺って、正直「なお更、分からなくなっちゃったわ」(笑)です。 でも、とても勉強になりました。 まだまだ時間があるので、ユックリ考えたいと思います。 そして、一人に悶々と悩むものでもないですよね。 ありがとうございました。

回答No.10

皆さんの回答を読んでいて虐待ではないという回答が多く驚いてしまいました。というのは私の中では虐待に入るので…。 この行為を行う前に子供から理由や意見をちゃんと聞いているのかどうか?その時点での子供の年齢等によっても違ってくるとは思いますが…。 人それぞれ感じ方は違うので本人が虐待ではないと感じているなら問題は無いですが、それをそのままその人の子供に対して行ったときに子供が虐待と思うか思わないかは解らないですよね。 私は今子育て中ですが、暴力は何も生み出さない。生み出すのは恐怖と憎しみだけ。そして連鎖…。という考えの下で子供と接しています。 悪いことをしたときはどうしていけないのか一緒に考えるようにしています。 たたいたりしてそのこと自体をやめさせるのはとても簡単なことです。でもどうしてそれをしてはいけないのかということを理解できていなければ何の解決にもならないのでは? 2sayana さんもこのような事をしたくないとのお考えのようですが、この行為自体を普通と捕らえているようであればご自身の子供にも同じ事をする可能性もあると思います。 それがいけないこととは言いませんが…。 子供が木に縛り付けられているのを見ても「ちょっと…」で終わってしまうのが私には怖いです。

  • raimu0331
  • ベストアンサー率13% (17/125)
回答No.9

虐待とは思ってない、愛のムチと思ってらっしゃるなら問題ないと思いますが、 しかし、小学生ならなおさら、きちんと言って聞かせれば(言い方にもテクニックがいりますが)蔵に閉じ込められなくても、正座をしなくても わかるはずですよね。 安易に体罰に頼る方が親として良くないと思います。 思わぬ事故にあったりしますので。 (ベランダにだされ、逃げようとして転落とか。) 今は書店にいくと体罰をしないで子供を育てる事を 指南した本が結構出てます。(訳書ですが) 将来、親になったらそういった本を読んで参考にして見てください。

noname#11466
noname#11466
回答No.8

>・小学生のころ、祖父に「馬鹿!」と言って蔵に閉じ込められた。 理由次第でしょう。 >(30分程で母が出してくれました。他は、テレビチャンネル争いで、閉じ込められたことがあります) これはちょっと理由がおかしいと思いますが、、、 >・小学生の頃、父に「おはよう!」と挨拶をし、30分正座させられた。(目上の方には「おはよう御座います」ですよね) 問題なし。 >・小中学校の時、マニキュアをつけているのが見つかり、正座。 問題なし。 で、その区別ですが、平たく言えば教育・しつけの為に、過大でない範囲で行うことは虐待とは言えません。 一方、しつけのためであっても、身体への大きな危害を与えるなどは問題となります。 さらには明確な理由がない、つまり教育・しつけの目的ではなく行うことは虐待に当たります。 区分けの難しい問題ですが、現実の話で重要な点は、子供がどう感じているのかです。子供が「悪いことをしたから罰が与えられた」と認識でき、またその悪いことをしたというのが、十分しつけとして社会的に認められる範囲であれば虐待になりません。 一方子供にその明確な認識がない、あるいは社会的にみて、問題ない行為、あるいは極軽微な行為に対して過大な罰を与えるのは、虐待になるでしょう。 なお、罰を与える人が、感情的になっている場合は、大抵は過大な罰となり虐待に該当することが極めて多いです。冷静に判断しての罰を与える行為は大抵は虐待まで行くことはありません。 では。

noname#9218
noname#9218
回答No.7

 No.4回答者さんと同じように、私も、「体罰等を受けている子が、それを虐待か否かを判断する」ですね。これはTVで、専門家が言った言葉だったのですが、妙に納得しました。  1.「目上を敬う」ということを重んじる世代の人に、「馬鹿!」と言ったり、言葉遣いを誤ると、当然怒られますよね。私ならむしろ、社会に出る前にしつけられて良かったと思います。蔵に閉じこめられても、それは一時で、社会に出てから恥をかく方がダメージを受けると思います。  2.マニキュア、化粧などは、時代の流れがあって、他の人の感じ方はさまざまだと思います。(私は、幼いうちは、化粧などをさせたくはありません)でも、しつけ上の正座はしょっちゅう経験しました。ベランダへ閉め出しもよくありました(智恵がつくと、開いてた風呂の小窓から中へ入ったり)。  理由は、「行き先を言わずに外出し、かつ帰宅が遅くなり、家族に心配をかけた」「兄弟げんか」など。  不思議とそれを虐待なんて思わなかったですね。正座や閉め出しで、親に対して「ひどい~」と思うのは、喜怒哀楽の範囲で思ったことです。「何をやったらこんな目に遭う」は小さい頃には抑止力にもなるし、少し成長すれば「こうだから悪いことなんだ」とその理由を理解しようとします。子はぱしっとされて、わぁんと泣く、一方、親の頭の切り替えは早くて、まるで「儀式」のようでした。逆に、ねちねち言われる方が、小さい子にはしんどいような気がします。  また、それが続くのも低学年くらいまでで、思春期にはされませんでした。口だけです。兄弟みな口を揃えて、笑いながら、よく言ったものです。「お母さんは、うちらが小さい頃、しつけ厳しかったよね~正座きつかったなぁ。」「食べ物の好き嫌いがないのは有り難いよね。叱ってでも、食べさせてくれたおかげやわ。」と。はっきり言って兄弟は、良き?「叱られ仲間」ですね。「何よ!」くらいの気概は持ち合わせていたのかもしれません。  だからこそ、私は、「体罰等を受けている子が、それを虐待か否かを判断する」という意見に納得したのだと思います。  

回答No.6

どこからが虐待であるかの定義は,まだできていないのが実情です。 なお,お役所が定義した抽象的な定義では, 児童虐待防止法では、  1. 児童の身体に外傷が生じ、又は生じる恐れのある暴行を加えること。  2. 児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること。  3. 児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること。  4. 児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。  と4つの行為類型として規定された。具体的には、以下のものが児童虐待に該当する。 身体的虐待(第1号) 外傷としては打撲傷、あざ(内出血)、骨折、頭部外傷、刺傷、たばこによる火傷など。 生命に危険のある暴行とは首を絞める、殴る、蹴る、投げ落とす、熱湯をかける、布団蒸しにする、溺れさせる、逆さ吊りにする、異物をのませる、食事を与えない、冬戸外にしめだす、縄などにより一室に拘束するなど。 性的虐待(第2号) 子どもへの性交、性的暴行、性的行為の強要・教唆など。 性器や性交を見せる。 ポルノグラフィーの被写体などに子どもを強要する。 ネグレクト(第3号) 子どもの健康・安全への配慮を怠っているなど。 例えば、 1:家に閉じこめる(子どもの意思に反して学校等に登校させない)、 2:重大な病気になっても病院に連れて行かない、 3:乳幼児を家に残したまま度々外出する、 4:乳幼児を車の中に放置するなど。 子どもにとって必要な情緒的欲求に応えていない(愛情遮断など)。 食事、衣服、住居などが極端に不適切で、健康状態を損なうほどの無関心・怠慢など。 例えば、 1:適切な食事を与えない、 2:下着など長期間ひどく不潔なままにする、 3:極端に不潔な環境の中で生活をさせるなど。 親がパチンコに熱中している間、乳幼児を自動車の中に放置し、熱中症で子どもが死亡したり、誘拐されたり、乳幼児だけを家に残して火災で子どもが焼死したりする事件も、ネグレクトという虐待の結果であることに留意すべきである。 子どもを遺棄する。 心理的虐待(第4号) ことばによる脅かし、脅迫など。 子どもを無視したり、拒否的な態度を示すことなど。 子どもの心を傷つけることを繰り返し言う。 子どもの自尊心を傷つけるような言動など。 他のきょうだいとは著しく差別的な扱いをする。 と,なっています。 ご参考にまでに。

  • miki12
  • ベストアンサー率28% (720/2495)
回答No.5

その程度なら虐待じゃないですよね。 虐待とは子供の為といいつつ自分の感情の捌け口に 子供を叩いたり、苛めたりすることだとおもって います。 「これは躾だ」といって虐待することもありますけどね。 ただ個人的には「正座をさせる」という行為が なんになるのか、とはおもいます。 その子供によっては「なぜこんなことをさせられるのか わからない」となるでしょう。 どうしてバカといったら正座させられるのか、と。 そう行為になるまでにどうしてこうなるのかを 理解させないといけません。 じゃないと「正座させるのがすきな親だった」で おわります。 木に縛り付けるのはね。意味ないですよ。 子供にしてみれば「縛り付けられて辱められ プライドを傷つけられた」ですから。 叩けば子供が非行に走らないのか? 子供によっては「気に入らなかったら叩けば良い」と 言う刷り込みがされたら、子供もそうなりますよ。 世の中には一度も叩かれたことがないのに 真面目にそだってひともいます。 一つだけ思うのは暴力で育てられた子はまた暴力で 女性や子供を支配しようとします。 DVの連鎖はとまりません。本人が異常とおもわないの ですから。 私はとある虐待を受けて育ちましたが 虐待した当人達は虐待とは思っていません。 躾だといいはります。 でも私がここで「こういうことをされました」と かいたら「虐待ですね」と肯定されるようなことです。 私にいえることはそのとき私はここまでされるような 悪いことなんかしていない!という反発心と失禁 しそうな恐怖感だけしかありませんでした。

  • chacha11
  • ベストアンサー率23% (30/128)
回答No.4

こんにちわ!   私思うに、虐待とは周囲が決めるものじゃなく、被害にあっている人の判断だと思います。 例えばセクハラだって、人それぞれ範囲が違ったりしますよねきっと。肩を触られただけでセクハラをされたと思う人もいるかもしれませんし思わない人も居ると思います。これと同じように虐待をされて被害にあっている気持ちなのか、ただ説教をくらってるだけなのかってな話になるんではないでしょうか。 変なたとえで申し訳ないです。でも今そういう父親が少なくて日本人が駄目になるような気もします・・。

  • goop-p
  • ベストアンサー率45% (107/237)
回答No.3

最近テレビなどで虐待虐待と騒がれるようになり、まわりに影響を受けやすく流されやすい日本人は話をすぐに大げさにして「しつけ」の部分まで虐待だ、などと言っている人たちが増えてきていると思います。 たしかに、行き過ぎたしつけは虐待になるかもしれませんがしつけは必要なことだと思います。 最近、未成年の犯罪やすぐにきれる子供が問題視されていますが、それらもしつけ不足が原因の一つではないかと私は思います。 私も、子供の頃は親に厳しくしつけられました。 体罰も受けたことはありますが、今から思えば怒られて当然のことをした場合が多かったと思います。 ま、なかにはそんなに怒られる覚えはないのに…と言ったときもありましたが…。 体罰に関しては賛否両論だと思いますが、やはり火遊びなど悪いことをした場合は必要なのではないかな~と思います。 また、何度言っても分からない子供には多少必要でないかなと思います。 個人的考えであって、他人が見たら虐待だと言うひともいるかもしれませんが…。 ま、行き過ぎた行為でなければ「虐待」でなく「しつけ」の範囲内でないかなと思います。 2sayanaの場合でもマニキュアなどの件に関しては妥当なしつけだと思います。 最近は小中学生でも当たり前になりつつありますが、親の考え方にもよると思いますが私も反対です。 「おはよう」に関しては…ま、他人にならともかく親だからそこまでしなくても、と思う点もありますが、目上の人を敬うという意味では正しい教えだと思います。 また、なによりも2sayanaさん自身が現在感謝しているならばそれは虐待にはあたらないと思います。 虐待であるならば感謝することはないと思います。 また、2sayanaさん自身が子育てするときにも2sayanaさんが信じるようにすればいいのであって、親を見習う必要はないと思います。 よく子供の頃「これだから大人は」とか大人の勝手な部分とか、将来親になったらこういう育て方はしないとか思ったことがあれば、その気持ちを忘れずに育てていったらいいんじゃないかな~と私は思います。

回答No.2

 あなたは良い躾を受けられたようですね。  私の息子は既に大学生ですが、小さい頃は頻繁に体罰を与えました。それには2つの原則を設けていました。 1 前もって何をしたらどんな罰があるかを申し渡しておく。(罪刑法定主義) 2 いきなり体罰を与えない。必ず言って聞かせる。(刑の執行猶予)  ですから、息子は体罰を与えても根に持つことはありませんでした。むしろ、学校で友達に自慢していました。「うちのお父さんが叩いたら、これの3倍ぐらい痛いねんぞ」と言ってね。実際、彼の太ももには私の手の跡が付いていることもしばしばでした。  旧約聖書も体罰を肯定しています。 「むちを控える者はその子を憎む者である。/子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。」(箴言13章24節)  体罰か虐待かは微妙なところですね。私の考えでは、上記の2点の原則と、過度に感情的にならないのがその差だと思います。  ちょっと古いですが、「Place in the heart」という映画があります。私の体罰の2つの原則の手本となった映画です。レンタルビデオショップにもしあれば、ご覧になったらいいでしょう。

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