• ベストアンサー

藤村の詩、解釈お願いします。

島崎藤村 落梅集 「胸より胸に」の其の六から一節。  君ゆゑにわれは休まず  君ゆゑにわれは仆(たふ)れず  嗚呼われは君に引かれて  暗き世をはずかに捜る ◆質問: 1.第四句「暗き世をはずかに捜る」の解釈をお願いします。 2.”はずかに”の語の意味と、できれば用例もお願いします。 以上

  • w-h-o
  • お礼率100% (62/62)

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.4

1.第四句「暗き世をはずかに捜る」の解釈 この暗い夜においても仄(ほの)かながら手探りを続ける。 2.”はずかに”の語の意味 確かに春陽堂版(1901年刊)には「はずかに」とありますが、 1917年刊の研究社版「藤村詩集:羅馬字」では「Kuraki Yo wo wadukani saguru.」であり、戦後の1946年刊の春陽堂版では「わづかに」となっています。 ここで、歴史的仮名遣いにおいて「はずか」では意味が不明ですが、「はつか」であれば中古の形容動詞ナリ活用で「はっきりしないかすかなさま、ほのかだ」という意味になります。後世では「わづか」に転用された経緯から、出版社は「わづか」に<校正>してしまったのではないでしょうか。 「名義抄」では「緬 ハツカニ ホノカニ」とあります。 そもそも「古語大辞典」(小学館)の「語誌」では「源氏物語によれば「はつか」は「かすか」「ほのか」に近く、「わづか」は「やっとのこと」に近い。」との指摘もあります。 およそ漢語・古語に造詣の深い藤村のここでの詩興からすれば「緬 ハツカニ ホノカニ」と表したかったように思えてなりません。

w-h-o
質問者

お礼

早速のご回答をありがとうございました。 出典に遡っての解説をありがとうございます。  春陽堂版(1901年刊)「はずかに」 ⇒1917年刊の研究社版「Kuraki Yo wo wadukani saguru.」 ⇒1946年刊の春陽堂版では「わづかに」 ⇒後世では出版社は「わづか」に<校正> 知りたかった図星のご回答をいただき嬉しく存じます。   藤村が、はつかorはづか でなく はずか としたのはなぜでしょう。 「古語大辞典」の解説は初見ですが興味深く拝読いたしました。 蛇足ながら: 「緬 ハツカニ ホノカニ」にも触れておられますが、 「裁 ハツカニ」と充てている例もあったりします…出所失念。 因みに中国古典辞書類には(日本語部分は筆者注記)  緬 《康熙字典》…【說文】微絲也:毛のように/とても-細い  裁 《康熙字典》…【玉篇】裂也。:切れ端  裁《漢典》…【國語辞典】[副] 僅:わずか *少なくともこの詩における藤村の詩興は”緬”が適切のようですね。

その他の回答 (3)

  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9728/12102)
回答No.3

以下のとおりお答えします。 >1.第四句「暗き世をはずかに捜る」の解釈をお願いします。 ⇒「暗い世の中を(例えば、素晴らしいもの・美しいものがないか)ちょっと/何とかして探してみる・調べてみる」といったニュアンスではないでしょうか。 >2.”はずかに”の語の意味と、できれば用例もお願いします。 ⇒古語辞典を見ますと、「はつか」の項で、 「①あるかないか、わからないさま。わずか。②やっと、かろうじて」 と説明されています。そして、例として、 「むかし男はつかなりける女のもとに」、「この殿は、はつかに宰相ばかりにておわせしかば」というのが挙げられています。 なお、私も『落梅集』初版(奥付に明治35年刊、実価35銭とあります!)の復刻版を持っておりますが、その中で2か所ほど同じ(とおぼしき)語句を発見しました。 (1)3ページ「小諸なる古城のほとり」:「麦の色はづかに青し」。 (2)953ページ「アマ*のなげき」:「行くは僅か〔はづか〕に舟一葉〔ひとは〕」。 *「海女」の意味ですが、原文では漢字1文字(「延」の下に「虫」)で表されています。

w-h-o
質問者

お礼

早速にご丁寧なご回答をありがとうございました。 明治34年刊では「はずか」でしたが、 明治35年刊では「僅か〔はづか〕」でしたか、 新発見です。 重ねてありがとうございました。

noname#252332
noname#252332
回答No.2

麦の色はつかに青し

w-h-o
質問者

お礼

早速のご回答をありがとうございました。

noname#252332
noname#252332
回答No.1

 わずかに手探りする。末尾の盲目に繋がると思います。 http://www2.odn.ne.jp/kotowaza/KOUGYOKU/21-5-16-tikumagawa-660.jpg

w-h-o
質問者

お礼

早速のご回答をありがとうございました。

関連するQ&A

  • 詩と散文の違いについて

     日本語を勉強中の中国人です。小説より、詩と散文のほうが好きです。最近、島崎藤村の『千曲川のスケッチ』を読んでおります。詩と散文の違いを知りたいのですが、どなたか教えていただけないでしょうか。  また、質問文に不自然な日本語の表現がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 水を割るはなぜ慣用句?

    言葉の問題で質問させていただきたいと思います。 「水を割る」という慣用句があると広辞苑の電子辞書でたまたま見ました。濃い液体に水を加えて薄めるという意味だったと思いますが これがなぜ慣用句なのか分かりません。 慣用句とは、「手がはやい」などのように何の変哲もない独立した 語句同士が組み合わさり、異なった意味をもつようになったものと理解しています。この「水を割る」の場合は「を」は目的語なので、 「水」というのは液体全部を指しているのでしょうか? 「割る」というのは「薄める」という意味なら辞書に載っています。 私はお酒を飲まないのでますます分からないのですが、 たとえば「焼酎を水で割る」というのなら理解はできます。 どんな用例で使われるのでしょうか?? 少し調べたのですが用例もなく困っています。 ご存知の方がいらっしゃいましたらよろしくお願いします。

  • 英文解釈で困っております

    Even the same person may define an activity as work or play depending on the situation within which the activity occurs.のdependingの解釈について教えて下さい。前に1度同じ質問をさせて頂きましたが、このときは2通りの解釈があり、どのように解釈すれば良いか分りませんでした。私が理解した範囲では、このとき教えて頂いた解釈は下記になります。どのように解釈すれば良いか教えて下さい。 解釈1 dependingは現在分詞で意味上の主語がwork or playになり、depending on the situation within which the activity occurs.までは、work or playを修飾する形容詞句である。 解釈2 dependingは分詞構文で、depending on the situation within which the activity occurs.までが副詞句としてdefineを修飾する。(このときの意味上の主語はわかりません。解釈2のケースだと意味上の主語が何になるかも教えて頂けると助かります)

  • 浮き世の月

    浮き世の月 見過しにけり 未二年 井原西鶴の辞世の句です、金銭に対する嫌悪が表現されているとの解釈がありますが、西鶴の名前ぐらいしか知識の無い私には、句の意味合いがよく判りません。 浮き世の月で検索すると「忠臣蔵」ばかりヒットしてしまいます。特に、最後の一節は意味が不明で困っています。 カテゴリーに迷いましたが、ご存知の方、お教えください。

  • 三分(さんぶ)の意味、解釈は?

    菜根譚に 「友と交わるにはすべからく三分の侠気を帯ぶし、人となるには一点の素心を存するを要す。」 とありますが、ここで言う“三分”は、どう解釈したらいいのでしょうか?侠気は一般的には“多くあるべし”だと思うのですが、“三分”は私的には“少し”の感じが強いのです、どう解釈したらよいのでしょうか、この一連の句はじっさいの人の生き方を論じている言葉ですから、理想論を言っているのではなく「人生、侠気については実際生活においては、三分これでいいのだ」と言っているのでしょうか? すみません、今この質問を書きながら考えていましたら。今分かりました!このところの意味は「人生、損得ばかりでなく、損得抜きの純真な義侠心も何時も茂併せ持っていなさい」と言う意味なのですね。 一応自分なりに分かりましたが、皆さまのお考えもおきか頂きたく投稿させて頂きます。

  • 解釈してください

    『...けれども、間もなく本部に転勤してからは、ちょくちょくはお互いに 近況の連絡をしていたのだけど、私もあちこちに転勤したりして いつしか疎遠になってしまってた。 そして、先輩の声を最後に聞いたのは、確か15年前くらいだ。 スピード出世したはずなのに 「俺もいろいろとあってな・・・会社、辞めることにしたよ」。 ・・・なんて言うとても哀しい言葉だった。 その言葉を前にして、受話器を片手に、私がうまく何も言えないでいると 先輩はぽつりと、私に小さくこんなふうに言った。 「お前だけには、知って欲しかったからな・・・」 まるでそれは、先輩が今まで誰にも見せなかった心の中の声のようで そんな言葉が、私の涙をあふれさせていた。 あの頃を、昨日のことのように覚えているのに 時はなんという速さで私達の、あいだを過ぎ去っていくんだろう。...』 その中に『スピード出世したはずなのに』という文句はわかることができません。 『俺もいろいろとあってな』の『あってな』の使い方と意味は解釈してください。 中国日本語の独学者です。書いた文句には不自然なところがあるに違いません。それと併せて指摘してくれないでしょうか。

  • 定義や意味についての解釈

    いま日本語を勉強していて、ちょっと質問はありますが、皆様に聞いていただきたいです。 日本語では、対象を定義すると意味を解釈するについてどんな表現がありますか?「って」「とは」を除いて、ほかの表現はありますか?特徴と区別は何ですか? 日本人の皆様、お願いします。

  • 英文の解釈に関する質問です。

    英文の解釈をする時、 我々日本人は、訳した時に違和感のない「自然な意味(=イメージ)のつながり」を感じるように意味を選択(=解釈)するものだと思うのですが(少なくとも私はそうですが・・・。)、 このようなスタンスで英文を解釈していた時に、ふと、ある疑問が湧いて悩んでしまいました。 その疑問とは、「母語である日本語における『意味の自然なつながり方』の感覚を基準にして、外国語である英語の意味を選択(=解釈)しても良いのか?」という疑問です。 例えば、以下のような英文の場合 The Nepalese government Monday banned all bottled drinks from the Everest region to minimize littering on the slopes of the world's highest peak. 「to minimize…」以下の箇所は「to不定詞の副詞的用法の『目的』の意味」とされ、述語動詞の「banned」にかかると解釈されるのが「正当な」意味の取り方だと思うのですが、このときの意味の解釈の基準になっているのは、文構造や文法はもちろんですが、それだけではなく文を前から読んでいったときに頭の中で再現される「意味のイメージの自然なつながり方」、すなわち、「どう意味を取ればイメージが自然に無理なく連続するか」という意識や感覚も働いていると思います。 このような「意味(=イメージ)の自然なつながり方」を基準にした英文解釈を行っている時に、ふと気付いたのが、 「日本語(日本人)の『意味(=イメージ)の自然なつながり方』の感覚と、英語(圏の人)の『意味(=イメージ)の自然なつながり方』は全く同じものなのだろうか? 中学校以来「両者の『自然なつながり方』に差異は無い」という殆ど暗黙の前提のうちに英文解釈を行ってきて実際にそんなに問題にぶつかったことは無かったが、よくよく考えると両者が無条件に一致している理由も証拠もない。それにも関らず「解釈する」と称して、英文を日本語の意味(イメージ)に変換したのちに、そのイメージ間の『自然なつながり方』に沿って勝手に整合してしまってもいいのだろうか? もし英語(圏の人)の『意味(=イメージ)の自然なつながり方』が我々の持つそれとは異なるところ大ならば、なぜ我々日本人の持つ『意味(=イメージ)の自然なつながり方』の感覚を基準にして彼の国の言葉の意味(イメージ)をいじくって、自分たち好みの整合性のあるイメージの連続映像に仕立て上げても問題が起こらないのだろう?・・・」 などのような疑問で、こんなことをグルグル考えているうちに頭が痛くなりました(笑)。 以上のような疑問なのですが、お答え戴ければ幸いです。 まとまりの無い長文で恐縮ですが、宜しくお願い致します。 追記 例文の英文の意味解釈に関しては、文法上の理由や「自然な意味(=イメージ)のつながり方」から言っても納得しています。ただ、この英文自体は単純ですが、この英文を解釈している最中に「もっと複雑で難しい英文を解釈するときはどうなのだろう?」と一般化した疑問の形で上述の疑問群が現れてきました。 英文解釈そのものは練習で上達してきましたが、ふと湧いた疑問に苦しめられています。

  • the silicon coated glass の文法的な解釈は?

    the silicon coated glassの意味は "シリコンでコーティングされたガラス"ですが、 文法を考えたとたんに意味がわからなくなってしまいました。 the silicon coated glass = the glass coated with silicon となると思いますが、質問の文章(文章ではなく名詞句?)では、 withが(省略?)なくなり、withの目的語が動詞の過去分詞形の前に置かれる状態となっています。 また、"FK506 binding protein"では、 意味は"FK506結合タンパク質"で、 FK506 binding protein = the protein which binds to FK506 質問の言葉では、toがなくなり、toの目的語のFK506がbindingの前に置かれていて、 文意はとれても文法的に意味がわからなくなってしまいました。 この言葉の解釈の方法(何が形式上の主語、目的語なのか等)を、 教えていただけませんでしょうか。 また、英文を書くときにこのような表記(分詞の前置修飾?)を多用してよいものなのでしょうか。 長くてくだらない質問で申し訳ありませんが、 どうかよろしくお願いいたします。

  • 英文解釈(文法を教えて下さい。)

    2文あるのですが、 1.World leaders are once again set to discuss global warming. →世界の各国首脳は再び地球温暖化の討論を始めようとしている。 とあるのですが、訳に「始めようとしている」とあるのに、何故are set toなのでしょうか?? このsetは受動態ですよね??だとすると意味は着手されているとかに厳密にいうとなると思うのですが、どなたか教えて下さい。 2.the leading industrialized nation で、「先進工業国」と訳されているのですが、 「the leading(形容詞)」→「 industrialized (過去分詞)」→「nation(名詞)」の語順てありえますか? というのは、もし、 industrialized を上記の通り過去分詞ととらえるのならば、the leading industrialized、と2語以上の語群がnationを修飾しているので、本来名詞の後ろにくっつけないとだめだと思うのです。だとしたらこの句は分詞ではないのでしょうか。 どのように解釈すればいいのでしょう。 よろしくお願いいたします。