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静止している物体が静止し続けるのはなぜか?
風の吹いていない摩擦のない平らな床の上に置いた物体が静止し続けるのはなぜだと思いますか?経験則を用いずに説明してください。
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- ddtddtddt
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すいません。「ハミルトニアンの用途はなにか?」の質問が締め切られていたので、ここに投稿します。駄目だったら削除してください。 たしかゴールドスタインは持ってらしたので・・・。 ゴールドスタインの「第7章 Hamiltonianの運動方程式」(← 自分の持ってる版では)には、こう書かれています。 [引用] ・・・この章でわれわれは力学の形式的な展開をさらに進め、ハミルトニアン形式として知られている力学の理論のもう一つの表現に注意をむけることにしよう。このようにしても、何も物理的に新しい内容がつけ加わるわけではない。われわれは、単に、すでに確立されている物理的な原理を用いて計算を行うための、別な(そしてもっと有力な)方法が得られるだけである・・・ [引用終] というわけでハミルトン形式は、なによりも運動方程式を積分する具体的な計算手段として考えられました(そうは見えないかも知れませんが(^^;))。運動方程式を積分する具体的で「(そしてもっと有力な)方法」という事は、理論的見通しも良くなるという事にもつながります。それを示すのが、ハミルトニアンと各種保存則との関係です。それをおいといても、正準方程式は連立一階微分方程式です。 ラグランジュ形式は連立二階微分方程式です。一般に二階微分方程式より、一階微分方程式の方が解きやすいです。ハミルトン形式は、ラグランジュ形式の連立二階微分方程式を一階微分方程式へ系統的に引き直す方法だと、まず言えます。ところがその方法は一通りではありません。 ハミルトン形式がまずめざしたところは、一階微分方程式へ引き直した時に、方程式の形が不変に保たれる事です。前にどこかで述べたと思いますが、方程式の形の不変性は計算手段としてバカチョン方式を与えるからです。ところが不用意に二階から一階への引き直しを行うと、せっかく任意の座標変換で形が不変だったラグランジュ方程式(二階)が一階へ引き直した途端、座標変換で不変でなくなります。少なくとも座標変換で不変な一階への引き直しを考えると、ルジャンドル変換となり、それは正準変換(シンプレクティック変換)へとつながります。 正準変換は任意の一般化座標に関する変換を含み、さらに制限付きで一般化運動量の変換も許します。ここから新たな可能性が開けます。一般化座標と一般化運動量の組を(q,p)で表します。 正準変換S:(q,p) → (Q,P) を考えた時、(Q,P)が等速直線運動になるような正準変換Sはないだろうか?。結論としては(うるさい事を言わなければ)そのような変換Sは必ず存在します。(Q,P)が等速直線運動ならその積分は自明です。Pは時間的に一定で、Q=P/m×t+V0。ここにmは質点の質量,V0は初速です。 つまり(Q,P)が等速直線運動になるような正準変換Sとは、運動方程式の解と等価というわけです。そのようなSをみつける方法が、ハミルトン-ヤコビ方程式です。 ハミルトン-ヤコビ方程式は、もとの(q,p)でのハミルトニアンHと変換Sとの関係を表す偏微分方程式です。同方程式は、連立一階常微分方程式として表現された運動方程式(正準方程式)と同等です。こうして形式的な計算手段はわかるのですが、一般に常微分方程式より偏微分方程式の方がはるかに求積は困難です。なのでハミルトン-ヤコビ方程式があっさり解けるケースがなければ、正準変換による運動方程式の求積は絵に描いた餅です。 しかしけっこうあっさり解けるケースがあります。例えば多質点系でたくさんの周期運動があるのだけれど、それぞれの周期運動は各質点の挙動だけで決まるというケースなどです。こういう状況を変数分離が成り立つと言います。要するに多質点系のハミルトン-ヤコビ方程式の系が、それぞれ独立な一変数のハミルトン-ヤコビ方程式に分離されるという状況です。 ゴールドスタインによれば三体問題は変数分離ではないが、今日の多数の原子集団を扱う原子核物理においては、変数分離が成り立つという事です。また歴史的に太陽系の安定問題は、三体問題ですら状況が複雑すぎてニュートンは太陽系の安定性を神の御業に求めましたが、18世紀のラグランジュとハミルトンは、太陽を除く太陽系の最大の重力源である木星と土星に対して変数分離を仮定し、それらの永年軌道(平均運動)は安定である事を示したと思われます。 最後に保存系のシミューレーションをやっておられると思いますので、数値積分の話を。 ある時刻tにおける座標と運動量を(q(t),p(t))とした時、時間ステップ幅をτとして、運動方程式の数値積分は、 S:(q(t),p(t)) → (q(t+τ),p(t+τ)) という変換だとも考えられます。この変換Sが厳密解を与えるならば少なくとも保存系では、それはシンプレクティック変換(正準変換)でなければならない事もわかっています。よって与えられた運動方程式(正準方程式)を満たすような数値積分によるSを構成すれば、厳密解になるわけですが、それは一般に不可能である事も示されています。 でも近似変換はあるのですよ(^^)。次は1次の陽的オイラー法です。 q(t+τ)=q(t)+τp(t) p(t+τ)=p(t)+∂U/∂q(q(t)) ここでU(q)は保存力を与えるポテンシャルです。ご存じのように1次の陽的オイラー法はとてもあっさり発散し、とても実用的には使い物になりません。それで4次のルンゲクッタ法などを使ってると思います。 次が1次の陽的シンプレクティック法と言われる解法です。 q(t+τ)=q(t)+τp(t) p(t+τ)=p(t)+∂U/∂q(q(t+τ)) アルゴリズムとしてほとんど変わらないので計算速度は1次の陽的オイラー法と同じですが、精度は劇的に変化します。U(q)の中のqを、q(t)にするかq(t+τ)にするだけで!。 理由は、後の方はシンプレクティック変換(正準変換)になっているからです。後の方がシンプレクティック変換という事は、それはある運動方程式の厳密解を与えるという事です。もとの系に対するその近似運動方程式とは、もとのエネルギー曲線から時間ステップ幅τのオーダーしかずれていない近似エネルギー曲線を厳密にたどる解を、後の1次の陽的シンプレクティック法は与えます。 もちろん局所精度は4次のルンゲクッタ法の方が上です。しかし1次の陽的シンプレクティック法は、いくら長時間積分しても無条件安定です。保存系の全体挙動を素早く知りたいならば、1次の陽的シンプレクティック法をおすすめします。自分のプログラムでは計算速度は、4次のルンゲクッタ法より3~4倍速かったです(^^)。興味があれば、シンプレクティック積分法でネットを調べてみてください。ただし数学科のサイトも出てくるので、そこは無視して・・・(^^;)。 ゴールドスタインの「第7章 Hamiltonianの運動方程式」~「第9章 Hamiltonian-Jacobiの理論」は是非、丹念に丁寧に読んでみてください。ハミルトン形式の価値がわかると思います。でもシンプレクティック積分法については皆無です。それについては、現在日本で成書が出てないのが悩みの種です(^^;)。
- ddtddtddt
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経験則を用いずに・・・ですか。難しいなぁ~(^^;)。 皆さんもやっておられるように、エネルギーで考えたり運動方程式で考えたりする事は出来ますが、結局どれも経験則には違いない。例えばラグランジュ方程式やハミルトン方程式(正準方程式)は既にご存じと思います。これらはラグラジアンやハミルトニアン(エネルギー)さえ認めれば、運動方程式のように力を意識しなくても使える形になってますが、ラグラジアンやハミルトニアンをある程度系統的に導こうとすると、やはり運動方程式からの導出になってしまう. ラグラジアンやハミルトニアンを天下りに認めるとしても、その理由を問われたら、やっぱり経験則と言うしかない(^^;)。 そこでここでは「経験則」とは、ニュートンの運動の第一法則「慣性法則」の事だと邪推して限定します。ところが自分の意見では、そうであるならば「静止物体が静止し続ける」ことこそ「経験則として積極的に認めるべきだ」という結論になります(^^;)。 19世紀にエルンスト・マッハは、「力学の批判的発展史」を著します。マッハの目的は、19世紀にいたっても力学についてまわった、神学的思想や形而上学的発想を一掃する事にありました。それで思考経済の法則を唱え、近代実証主義の開祖となります。思考経済の法則とは「余計な事は考えるな!。法則が全てだ!」です(^^;)。 これを「慣性法則」との関係で言うと、「運動方程式」で力を0とすれば等速直線運動が導かれるので「慣性法則」は要らない、となります。静止は作用力0の時に運動の初速を0とした、等速直線運動の特別な場合です。「慣性法則」は「運動方程式」の特殊ケースを二重に言っただけの話になります。ただしマッハはニュートンを非常に尊敬していたので、「慣性法則を奉るお前らは、ニュートンの真意をわっかてない!」となりますが(^^)。 マッハもニュートンも気づいていたんです。「運動の相対性」という問題を。運動方程式ma=Fに現れる加速度aが、どう観測されるかを反省してみます。加速度は速度の時間微分です。速度は物体の位置の時間微分です。物体の位置は、それを観測する観測系の原点位置に影響されるので、相対的です。しかし速度は位置の時間微分なので、原点位置とは無関係です。ところが観測系が速度を持っていれば、物体速度も観測系の速度に依存するので絶対的ではありません。ここで「何に対する位置?」「何に対する速度?」という問題が生じますが、そういう問題が生じるからこそ「位置や速度は観測系に依存して絶対的でない」証拠です。 というわけで加速度は、観測系の原点位置にも速度にも依存しないので、絶対的なのでしょうか?。そうでなければ困るのです。何故なら運動方程式ma=Fの右辺に現れる力Fは、観測系の原点位置にも速度にも依存しない物理量と思えるからです(それが経験則です(^^;))。逆に言えば、物体の加速度がaであった時には、F =maの力が働いていなければならないからです。ニュートンの運動方程式を信じる限り、加速度は相対的であってはなりません。運動方程式の解には初期位置と初速度の任意性がありますが、初期加速度の任意性がない事からもそれはわかります。 でも、観測系が加速度を持つ場合もありますよね?。その場合は運動方程式に「みかけの力(慣性力:観測系の加速度と実質的に同等)」が現れます。つまり運動方程式は、加速度を持つ観測系においては、そのままの形では成り立たないわけです。ニュートンもこの点は痛烈に意識していました。しかし観測系の加速度を観測できれば、加速度を持たない観測系(慣性系)への変換は可能です。それは加速度の絶対観測ができるのと同じです。ニュートンはそういう意味において、加速度は観測者によらない絶対量である事を次のように示しました。それがニュートンのバケツです。 ターンテーブルの中心に載ったバケツをグルグル回そう。バケツには水が入っている。ターンテーブルの回転速度が十分大きければ、バケツの水面は中心がへこみ、バケツの中心から外側の水面はバケツの縁へと昇って行くであろう。この現象は、バケツが回転するバケツの外の観測系(慣性系?)であろうと、バケツが回転しないバケツとともに回転する観測系(加速度系)でも同じである。つまり向心力と遠心力は同時に観測できる。これはバケツの向心加速度が遠心力に形を変えて観測されたものだ。 「慣性系?」に対するバケツの回転速度は実際に測定できる。それは実質的に向心加速度と同じである。それと水面のせり上がり量(実際に測定可能)から運動方程式を介して得られる回転速度を比較すれば、測定回転速度=理論値なら、「慣性系?」は本当に絶対空間に絶対静止していた「慣性系」という事になるし、そうでないなら測定回転速度と理論値との差から、「慣性系?」の絶対空間に対する回転速度(向心加速度)まで計算できる。よって加速度は絶対的に観測できる(加速度から力も絶対的に観測可能)。運動方程式は宇宙方程式として使えるのだ!(ニュートンの思い?(^^))。 しかしマッハは弟子たちに、こう言います。 バケツには水が入っている。ターンテーブルの中心に載ったバケツをグルグル回すかわりに、ターンテーブルの中心に載ったバケツを中心に、そのまわりの全宇宙をグルグル回す事が出来たとしよう。その時お前らは、バケツには遠心力が働かないと証明できるのか?。 ・・・でっ、できません!。マッハ先生・・・(^^;)。 だから言ってるだろう。運動や加速度や力は、すべて相対的だと思い知れ!。いや、全てが相対的なら相対的という言葉すらそもそもおかしい。この世には経験法則しかないのだ。だからニュートンの運動法則は、運動方程式と作用反作用の法則と万有引力の法則さえあれば良いのだ。ニュートンが慣性法則を述べたのは、あくまで一般的理解に資するためで(ニュートンの時代に微積分はなかった)、本当は不要と考えていたはずだ。お前らはその真意をわかっていない。 (・・・というのがマッハの立論だと自分には思えます(^^;)) 現在ではマッハの立論は論理的には正しいが、物理的現実からは乖離したやり過ぎだとみなされています(それはマッハの責任ではありません)。一つには20世紀以降、近接作用論へと時代が移行したからでしょう。全ての相互作用の伝播速度は光速を超えないはずだ。宇宙が回りだした瞬間に、遠心力作用がバケツにとどくのはおかしい、と。しかし、ここまで徹底した過激な首尾一貫性があったからこそ、マッハの立論には価値があります。 マッハは結局、運動方程式だけでは相対静止か絶対静止かは判定不可能である事を、論理的に示しました。それは相対的等速直線運動なのか、絶対的等速直線運動なのかと言っても同じですし、これはある観測系で加速度が0の時、力が働いていないと判断して良いのか?という問題に直結します。だから慣性法則なんですよ。 「力の有る無しは、経験的に判定できる」と宣言するのが「慣性法則」です。例えば、地球上の物体の運動は経験的に全てそうです。近似的な慣性系が目の前にあるじゃないか、という訳です。そしてそう認めた時には、その質量差から太陽はもっとそうだとなり、太陽こそ慣性系だと仮定した時には運動方程式と万有引力の法則だけに基づいて、探査機を木星や土星へ何十年もかけて投入できます。これは太陽を慣性系とする仮定から期待できる結果で、それは現実のものとなりました。ある観測系が慣性系だとわかった時には、それに対して等速直線運動する全ての観測系は慣性系です。そして相対速度は、原理的には必ず観測可能です。 地球を慣性系と仮定し・・・太陽を慣性系と仮定し・・・の連鎖は、原理的には全宇宙に対する観測網に拡げられます。 現実には銀河程度のようですが。 慣性系では力0と加速度0が厳密に同等なので、そこでは運動方程式が厳密にそのままの形で成立します。慣性法則は、数理的な力学と現実世界との接点です。それは運動方程式からは導けない物理的経験事実を述べていて、運動方程式とは独立な物理法則だと自分は考えます。 以上が、「静止物体が静止し続ける」ことは「経験則として積極的に認めるべきだ」と思える理由です。そして#11さんと同じように、#9さんに一票(^^)。
- CygnusX1
- ベストアンサー率68% (66/97)
m a = F 質量×加速度は力 で、力が 0 なら、加速度 0 で、動かない。 うーん、これまでの皆さんの回答と同じことか(^^;; 個人的には No.9 さんの答えに一票
力が働かないからです。 止まってる物が動くには何らかの力が物体に加わる必要があります。 逆に言うなら空気抵抗も摩擦もないなら動いてる物は止まる事はないです。 加減速を生じるには力が加わる必要があります。 床面が斜めだと動くのは重力が働くからです。 水平面なら重力は垂直に掛かるので重力だけは物は動くことはないです。
- lumiheart
- ベストアンサー率47% (1148/2427)
前出の先生方が何故か触れてないけれど 「相対速度がゼロに過ぎないダケ」 >経験則を用いずに説明してください。 床の速度と物体の速度が同じだから動いてないように見えるダケ! 実はとんでもない速度で動いてたりする https://kids.gakken.co.jp/kagaku/kagaku110/science0289/ 地球の表面速度1700km/h https://mayonez.jp/topic/1020422 地球の公転速度107208km/h https://kijidasu.com/?p=32224 太陽系の移動速度は86万4千km/h
- kon555
- ベストアンサー率51% (1845/3565)
>>慣性の法則を用いずに説明可能でしょうか? 「慣性の法則は経験則」という定義がよく分からないのですが、エネルギー保存法則でも説明は可能です。 物体の運動の変化とは結局「運動エネルギー」の変化です。独立した系のエネルギー総量は一定ですから、外部からの干渉がなければ運動状態=エネルギー状態は一定です。 ただ、もしも貴方が「エネルギー保存法則も経験則だ」というのであれば、貴方の言う『経験則を用いずに』を満たす事は不可能でしょう。 なぜなら結局のところ、科学とは観測事象という経験から類推され、再現性が確認された機序と理論の集合だからです。 要は科学とは再現性が高いレベルで確認された経験則です。それを用いずに物理現象を『説明』する事は、論理的に不可能ですからね。
動き出すきっかけがない
- Don-Ryu
- ベストアンサー率24% (256/1051)
どこからもエネルギーを与えられず、奪われないから。
- sailor
- ベストアンサー率46% (1954/4186)
高度な素粒子物理などは専門外ですが、エネルギー保存則で簡単に説明ができるでしょう。止まっていた物体が動くという事(摩擦がないとすれば加速や原則も含めて、その物体が持っている運動ネルギーや位置エネルギーが変化する場合も含む)は、その物体が持っている運動エネルギーが増えるということで、その増える分のエネルギーの供給源が無けらばならないでしょう。質問中では風がとありますが、別に風でなくても、とにかく外からエネルギーを得ない限り勝手に動くということはありません。それは無から何かを生み出すということになりますからね。この場合のエネルギーは別に運動エネルギーとは限りません。摩擦が0であれば熱エネルギーでも動く可能性はあります。 それから、細かくいうと、摩擦が0で有っても、物体が置かれた平面と物体の間に、その物体をそこに留める力がないかというと、そうではないんですよ。物質と物質の間にはその物質を構成している分子間に分子間力というものがあって、安定した状態から変化するのを拒む性質が有るんですよ。まぁ、そうした力が全く無いと仮定しても、運動エネルギーを持たない物体が運動エネルギーを持つためには、そのエネルギーをどこからか得ない限りありえないということです。 アインシュタインの相対性理論の有名なE=MC^2という公式が有るでしょ。この数式はエネルギーは物質の質量と光速の2乗の積と同じであると言っているんですが、これは物質の持つエネルギーを完全取り出すとという話で(=ですから逆もなり立ちます。エネルギーから物質を作り出すこともできます)すが、そのような特殊な場合でなくても、運動エネルギーは質量と速度の2乗の積と比例するんですよ。したがって、外から何もエネルギーが供給されていないのに速度が増すということは、どこからか勝手にエネルギーが湧いてきて居るということになります。これができれば永久機関も作れます。
- kon555
- ベストアンサー率51% (1845/3565)
理科のテスト的な、理想条件下の話をするならば慣性の法則です。「物体は常に運動状態を保持する」と言い換えてもいいです。 止まっている物は止まったまま、動いている物は動いたまま、外部からエネルギーが加わらない限り、この状態は変化しません。 質問文の条件下では重力というエネルギーが加わっていますが、それを水平な床が支えた状態で安定しているため、ここに何らかの力が加わらない限り運動状態が変化しないわけです。 そしてもう少し重箱の隅をつつくなら「床が重力方向にたいして垂直な平面だから」でもあります。『摩擦がない』という条件である以上、ほんの少しでも床が傾いていれば、物体は重力に動かされます。 これは『平らな床』という定義レベルの話ですね。物体として凹凸がないのと、どういう方向で平面が存在するかは別の話なので。 どのレベルの『なぜ』まで考えるかによって回答が無限に存在しそうですが、とりあえずこんなところでどうでしょう。
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お礼
ご回答ありがとうございます。ただ、慣性の法則は経験則なので、今回の質問の主旨とは異なります。慣性の法則を用いずに説明可能でしょうか?