兼山秘策のコマ番号211/350の意味

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  • 兼山秘策のコマ番号211/350の意味について、要約すると「有馬兵庫殿、加納遠江殿両人勢盛にして君辺の柄をとられ候故、老中などいずれも彼に媚申さるヽ事目ざましく候」という箇所では、有馬兵庫殿と加納遠江殿が力を持ち、他の老中たちも彼らに媚びへつらっている状況を指しています。また、久世重之だけは老中の威厳を保っていると述べられています。
  • この兼山秘策の部分では、有馬兵庫殿と加納遠江殿が勢力を持ち、他の老中たちが彼らに媚申しているという状況が描かれています。しかし、久世重之だけは彼らとは一線を画し、老中としての威厳を守っているとされています。
  • 兼山秘策のコマ番号211/350の意味について、要約すると「有馬兵庫殿と加納遠江殿が勢力を持ち、君辺の柄をとられている中、久世重之だけが彼らに媚申せず、老中としての威厳を保っている」という状況が描かれています。
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兼山秘策のコマ番号211/350の意味

(⇩)この下記の URL の「兼山秘策」の該当箇所(コマ番号211/350)の右側の頁の、9 行目 から 12~13 行目 までの https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950385/211 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950385/211 「有馬兵庫殿、加納遠江殿両人勢盛にして君辺の柄をとられ候故、老中などいずれも彼に媚申さるヽ事目ざましく候~~(中略)~~久世殿~~」 の辺りを訳して意味を教えてください。 ● 「有馬兵庫殿、加納遠江殿両人勢盛にして君辺の柄をとられ候故、老中などいずれも彼に媚申さるヽ事目ざましく候」など ● ほかの老中たちが有馬・加納に媚びへつらう中、久世重之だけは老中としての威厳を保っているというようなこと。 (⇧)といった内容の事が書かれているそうです。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950385/211 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950385/211 (⇧)上記の URL の「兼山秘策」の該当箇所(コマ番号211/350)の右側の頁の、9 行目 から 12~13 行目 までの 「有馬兵庫殿、加納遠江殿両人勢盛にして君辺の柄をとられ候故、老中などいずれも彼に媚申さるヽ事目ざましく候~~(中略)~~久世殿~~」 の辺りを訳して意味を教えてください。

noname#246386
noname#246386
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  • D-Gabacho
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回答No.1

有馬兵庫頭(氏倫)殿・加納遠江守(久通)殿の両人は権勢が盛んで、主君の側近として実権を握っており、老中など誰もが彼らに媚びへつらっているのは目にあまります。水野(忠之)殿なども日ごろの評判とは大違いで失望しました。そんな状況ですから目付たちは下の者から隠し事などを聞き出し、老中の会議の内容までもひそかに彼ら二人に報告していることなどもあったため、久世(重之)殿が目付たちを残らず呼びつけて「お前たちはお役目をどのように思って勤めているのか。人の隠し事を聞き出して、こちらに報告せず、評議を経ることなく直接近臣(有馬・加納)へ報告することは、自分の立身出世だけを心がけ、法規も武士としての礼儀をも忘れることである。ただ目明かしなどのような考えで勤めているようだ。もってのほかである。今後このようなことがあれば、自分から願い出て自害するべきだ。自分などこのように勤めているが、立身などに心がけることはない」と申され、目付たちは苦々しげな様子だったそうです。

noname#246386
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