- ベストアンサー
加賀藩の飛び地等が大阪府枚方市やその周辺に存在は?
(現在の地理でいう)大阪府枚方市 及び その周辺内に、(江戸時代の)加賀藩に関連のある領地(飛び地、化粧領地 など)・土地・建物 等が存在した事はありますか? (現在の地理でいう)大阪府枚方市 及び その周辺内に、(江戸時代の)加賀藩と関連のある領地(飛び地、化粧領地 など)・土地・建物 等が存在した事はあるのかどうか教えてください。
- 歴史
- 回答数1
- ありがとう数2
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
「藩」と書かれているからには江戸時代の話だと思います。 秀吉は、大坂に大名の屋敷を集めた時、所領地から大坂に来た時の賄い地として近辺に1000石程度(本領の大きさにもよったでしょうが)の領地を与えたという話を読んだことがありますが、今となってはノンフィクションなのか小説だったかハッキリした記憶ではありません。 ノンフィクションで秀吉からは飛び地をもらっていたとしても、江戸時代になれば、大坂界隈に集まる必要はないわけですし、大名の財力を削ぐために参勤交代やらお手伝い普請やらいろいろやっていたくらいですから、そんな賄い地を与えて参勤の便宜を図ってやる必要はないわけで、外様大名には本領安堵でオシマイ。 同テーマでの別質問で、「飛び地はなかった」説が紹介されていますが、私の知識、考えでも、お尋ねのような飛び地を与え続けたはずはなかっただろうということになります。 もちろん、大坂に米を集めて売るための藩邸があったのは事実でしょう(どの藩でも藩邸をもっていた)が、それとは違うのですよね?。
関連するQ&A
- 大阪,京都府内に加賀藩の飛地や化粧地が存在した事は
(現在の地理でいう)大阪府内 及び 京都府内に、加賀藩の “飛び地” 若しくは “化粧領地” の様なものが存在した事はありますか? (現在の地理でいう)大阪府内 及び 京都府内に、加賀藩の “飛び地” 若しくは “化粧領地” の様なものが存在した事があるかどうかを教えてください。
- ベストアンサー
- 歴史
- 加賀藩に四国への領地替えを勧めたとかいう話は本当か
加賀藩の四国への領地替え(若しくは、領地加増?)の逸話についての質問があります。 江戸時代の初めの頃に、『将軍が加賀藩主の誰かに、四国への領地替えを勧めた。』とかいう話を聞いたことがあります。 その、江戸時代の初め頃に、“将軍が加賀藩主に四国への領地替え(若しくは領地加増)を勧めた” というのは、本当に合った話なのでしょうか? もし、本当にあった話なのだとしたら、それはいつ頃にあった話なのでしょうか? また、四国全土への領地替えだったと思いますが、本当に合った話なのだとしたら、何故、その時の将軍は、その様な、加賀藩に四国全土への領地替えの様な話を勧めたのでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 江戸時代の、加賀藩の四国への国替えの話について
『江戸時代に、加賀藩が四国への国替えを、江戸幕府より打診された事がある。』という話を聞いた事があります。 その、『加賀藩が、江戸幕府より四国への国替えを打診された事がある。』という話について、下記(⇩)の3つの質問があります。 (1) その、『加賀藩が、江戸幕府より四国への国替えを打診された。』というのは、いつの話で、その理由は何だったのでしょうか? (2) 加賀藩のどの藩主が、その四国への国替えを拒否したのでしょうか? また、その拒否した理由は何だったのでしょうか? (3) 江戸幕府の思惑では、もし、加賀藩が四国への国替えを希望して受け入れたとしたら、その場合、土佐藩等の四国の藩の処遇は、どうするつもりだったのでしょうか? 以上の、上記(↑)の3つの質問の答えを教えてください。
- ベストアンサー
- 歴史
- 御殿山の辺りは、江戸時代は誰の領地だったのか?
大阪府枚方市の御殿山駅や御殿山神社の辺りは、江戸時代は、誰の領地だった(誰が支配していた)のでしょうか? 大阪府枚方市の御殿山駅や御殿山神社の辺りは、江戸時代は、誰が支配していた(誰の領地だった)のかを教えてください。
- ベストアンサー
- 歴史
- 領地に飛び地がある理由
江戸時代の大名や旗本の領地にはしばしば飛び地があります。 内陸の藩が最寄の海沿いに飛び地を持つのは運輸・交通のためでしょうが、中にはずい分遠くに飛び地があることもあります。 私の住む岡山県内には古河藩(現・茨城県内)、挙母藩(愛知県内)、亀山藩(京都府内)などずい分遠くからの飛び地がありました。 また当地の浅尾藩は現・豊中市内や神戸市内などに、岡田藩は岐阜県内に飛び地を持っていました。 このように遠隔地に飛び地を持つのは特別な理由があったのでしょうか? 単に知行高を合わせるためですか、それとも戦などの時に補給地などとして使うといった目的があったのでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 大阪(枚方・樟葉周辺)産科のある病院を探しています
妊娠6週目・36歳の初産です。 現在、私は横浜在住(派遣社員)なのですが、安定期を過ぎたら子どもの父親が住む大阪(樟葉・枚方周辺)へ引っ越し~出産したいと考えています。(授かり婚のため、少々バタバタしています。。) いま通っている婦人科(横浜)の先生から「子宮筋腫があるから、出産は個人のクリニックではなく、病院がいい」とアドバイスを受けたのですが、大阪自体に土地勘もなく、どうやって探せばいいかと困っています。(横浜では、産科は早く予約しないといっぱいになってしまうそうで、もし、間に合わなくなったらと焦るばかりです。。) どなたか、大阪(樟葉・枚方周辺)で産科のあるおススメの病院がありましたら教えてください。
- 締切済み
- 出産・産後
- 江戸時代の藩の領地地図
江戸時代の全藩の領地地図を教えてください。 細かいのでお願いします。(飛び地など) あと、天領も出していただけるとありがたいです。
- ベストアンサー
- その他(趣味・娯楽・エンターテイメント)
- 鎌倉時代の後半くらいに
先祖が石川県で御家人だったみたいなんですが、その後江戸時代とかは加賀藩とかに参加してたりしますか? 加賀藩とかって、武士の家柄しかなれなかったんですか? 新撰組が好きで、京へ行ってなんやかんやで絡んでないかな~とか思ったんですが・・・加賀藩自体あんまり何もしてないとか書いてありましたけど、京には行ってるみたいです。 鎌倉後半に御家人だからって、ずっと江戸時代まで武士やってる訳じゃないんですかね?
- ベストアンサー
- 歴史
- 1藩1郡1市の地域(行政区画が不変)
行政区画が、江戸時代に定まって以降、基本的に同一の地域を探しています。 江戸時代を通じて、藩の領域はあまり変化しなかったと思われますが、それが郡の領域にそのまま受け継がれ、さらに平成の大合併で市の領域がこの境界を踏襲した事例を探しています。 閉鎖的な山間の盆地、あるいは島嶼でこうした事例が見つかるのではないかと推測していますが、ご存じのかたのご教示をお願いします。当方も、兵庫県でひとつ見つけました。 なお、飛び地とか、分村合併など、少々の出入りは勘定に入れません。歴史的自立経済圏のモデル探しが目的です。
- 締切済み
- 歴史
お礼
御回答ありがとうございました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%B3%80%E8%97%A9#幕末の領地 (↑)この URL の“加賀藩”の wiki のページでは、 加賀国 河北郡 - 177村(全域) 石川郡 - 235村(全域) 能美郡のうち - 205村(白山麓18村は幕府領) 能登国 羽咋郡のうち - 177村 鹿島郡のうち - 128村 鳳至郡のうち - 229村 珠洲郡のうち - 75村(1村のみ幕府領との相給のほかは全域) 越中国 射水郡 - 220村(全域) 礪波郡 - 490村(全域) 新川郡のうち - 409村(他に富山藩との入会地9村が存在) 近江国 高島郡のうち - 3村 上記のほか、明治維新後に北見国礼文郡、枝幸郡、宗谷郡を管轄した。 となっていますね。