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吉本の騒動で知る、よしもとの東京進出の背後にはダウンタウンの存在?
- 吉本の東京進出において、ダウンタウンの存在が大きかったということを知りました。今回の吉本の騒動をきっかけに知ったのですが、ダウンタウンは先輩芸人のさんまや紳助に比べても、東京の番組に積極的に出演しており、吉本の東京進出に貢献していたようです。
- ダウンタウンとは、ごっつええ感じやひょうきん族などで知られる吉本の芸人コンビです。さんまや紳助が東京の番組に出演するなか、ダウンタウンは吉本の看板芸人として活躍していました。
- また、さんまは吉本所属でありながら、個人事務所を持っていることでも知られています。このことが上層部から煙たがられる理由の一つと言われています。今回の騒動が早く解決されることを願っています。
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おそらくですが、東京で張り付いて仕事を続けた芸人第一号がダウンタウンになるんだと思います。MANZAIブームの頃の漫才師さんたちはずっと大阪が拠点、さんまはちょっと偏った信念があって、意外と色んなところで喧嘩してて、義理堅いので大阪の番組を切りきらなかった。紳助は自分の自由が利く番組を東京、大阪こだわりなく持っていた。この二人も拠点となるとやはり大阪かな、と思います。特に自分の周りの芸人を東京では起用できなかった。 対してダウンタウンは大阪で大きく名を挙げ、東京に進出した後は大阪に番組を持つこともなく、東京制作のゴールデンに出続けました。そこを皮切りに吉本芸人を自分の番組で活躍させて東京に定着させ、その結果、東京吉本というグループまで作り、大阪を経ないで東京の番組に出演させることができるまでに吉本を大きくしたのだと思います。 さらに今の会長、社長はダウンタウンとの繋がりが濃い人たちです。そういう意味でもダウンタウンがなければ、今の吉本の体制にはなっていなかったから、ダウンタウンのおかげにしてるんでしょう。 >さんまは吉本所属でありながら、個人事務所をもたれてるんですよね?? まあ、単に税金対策です。さんまに飛び込んでくる仕事が多くて単価が高いので、別に分けてそこからの給料にして節税の一環にしているんです。
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- NAYAMINAKUNARE
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ダウンタウンは売れっ子になりましたから美談化しています。特に会長大崎のお目付げいにんで、お互い芽が出ない頃、俺が25メートル息継ぎせずに泳げたら願いを一つ聞いてくれるか。と松本に言ったのです。大崎めた経営者では無く芸人タイプのガツガツ人間です。どちらかと言うと岡村隆史さんタイプだと思います。東京でウりにしたのは劇場と、ダウンタウンなどの筆頭芸人です。予てから東京ニモ芸人がいたので裾野を広げるためにやったんでしょう。松本は自分で気付いてないのでしょうが虎使いの、脇役者です。大崎会長のお気に入りでもあるので、そのような記事がでたのでしょう。
- eroero4649
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東京の人が大阪(吉本)の笑いに接するようになったのは「MANZAIブーム」の頃ではないかなと思います。 衝撃だったのはやっぱり「やすしきよし」だったと思います。スピーディーでキレがあるしゃべくり漫才は、東京の漫才にはなかったと思います。そしてB&Bが大ブームを起こして、阪神巨人、紳助竜介、サブローシローといった面々が党右京にどんどん進出してきました。 この「スピーディーなしゃべくり漫才」の影響を受けた東京のお笑いがツービートやセントルイスといった面々でしたが、質量ともに大阪勢に勢いがあったのは間違いないと思います。 しかしMANZAIブームは2年程度で終わってしまいました。当時の記憶がある世代からすると「そんなに短かったかなあ」という気がしますけどね。でもB&Bの洋七師匠はテレビ番組で「実質的に半年くらいで、前後は余韻みたいなものだった」といってましたね。 その後は、芸人も「漫才しかできない」では通用しない時代となり、そこで頭角を現したのがビートたけしであり、明石家さんまであり、島田紳助だったと思います。フリートークで笑いがとれる、司会もできる、なんだったら芝居もできる。芸人が役者としても通用するというのを作り上げたのはやっぱりたけし師匠ですね。今はもう衰えがひどくて見ていられないですが、若かりし頃に連続殺人鬼の大久保清を演じたのが当時ものすごい話題になったんですよ。役者としてもすごいって。 で、その後にやってきたのがダウンタウンです。ダウンタウンの東京進出は、黒船来航に近いインパクトだったと思いますね。 やすしきよしのスピーディーな漫才も東京人には衝撃的でしたが、ダウンタウンはそれ以上だったと思います。とにかく当時の浜ちゃんはキレッキレで、ガチに怖かったですよ。ガチに怖いのに面白い。両立しえないものを両立させていました。そして松ちゃんも、「ツッコもうとしてボケてしまう」という新しい笑いを創造しました。この二人の掛け合いは他の追随を許さない感じでしたね。 その頃、東京ではとんねるずが人気のピークの頃だったと思いますが、いわゆるトレンディ路線だったとんねるずとはダウンタウンは全く違う異才であったと思います。 ダウンタウンが東京を席巻し始める頃に、東京では爆笑問題や浅草キッドといったような面々がデビューし始めたり、あとは松村邦洋とかが人気になりましたが、やはり吉本興業の面々に比べると万人受けというわけではなかったですね。 そうこうするうちに90年代前半から半ばにかけて、少なくとも東京ではお笑い氷河期がやってきます。東京では今でいうところのネタ番組もなくなり、若手が出てこられなくなったんですよ。 吉本興業も吉本天然素材などを売り出していて、確かに当時女の子にキャーキャーいわれていたけれど、お笑いではなかった感じですね。 この氷河期に東京でも人気になったのはナインティナインくらいかなあ。 でもその頃にダウンタウンは「ごっつええ感じ」とか「ガキの使いやあらへんで」なんかで若い男なんかにも大人気でしたからね。当時の若者はどちらか必ず見ていたっていうくらいじゃないですかね。私もごっつええ感じはあんまり見なかったけど、ガキ使は見ていました。視聴者のハガキ投稿からのフリートークの面白さは別格でしたね。 松本人志が一人で武道館ライブをやったのがいつだったかなあ。あのちょっと前くらいが彼の全盛期というか、なんかすごかったですよ。「遺書」という本を出したらベストセラーになりましたし、常盤貴子と付き合ってたし、「一人ごっつ」も欠かさず見てたし、若者の教祖的なカリスマがありましたね。
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6931/20496)
吉本興業の東京進出30年史 https://entamega.com/20422 これが参考になると思います。
- NAYAMINAKUNARE
- ベストアンサー率14% (307/2063)
違います。お笑いブームと言うのがありました。その時に進出してます。ダウンタウンだけではなく、多方面で、吉本が頑張っていたときがありました。今やみんな高給取りで、熱意なくして、沈下してます。
補足
紳助 竜介 B&B やすし きよし とかですか? でも今ワイドショーではなぜダウンタウンのお陰と言ってるのでしょうか?