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書き忘れたこと

先程の質問で書き忘れてたことがありますので再び質問します 武士は先祖書きに女性の名前を書けないのは、儒教の影響からと聞きましたが、本当なんですか?

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回答No.1

>武士は先祖書きに女性の名前を書けないのは、儒教の影響からと聞きましたが、本当なんですか? 書けなかったのではなく書かなかっただけのことです。 天皇家の系図には女性天皇がキチント載せられています。 女性の名前を書かなかったのは儒教の影響ではありません。 武士階級が定着した時点(鎌倉時代)で一族の継承が男系が主体になっていたことが影響しています。 戦闘を専らとした武士の場合筋力の優れた男性が「家」を継承したり繁栄させたことから男系主体の系図になったのだろうと思われます。 これが平和な江戸時代にも引継がれたのかと思います。 男性は家を継ぐ継がないに関わらず名前を記載していたのに女性は一律に女とだけ記載していたのは如何なる思想に基づくのかは知りません。 おそらく儒教というよりも中国の血族主義の影響かと思います。 この血族の繋がりを図式化したものが日本で取り入れられて家系図となりました。 中国や韓国で夫婦別姓なのは嫁入りした女性はあくまでも他の血族の一員だという認識に基づくものです。 近年話題の夫婦別姓の論拠である男女平等とは本質的に異なる考え方です。 中国や韓国では血族が連綿と続くことを重視しますが日本では「家」が継承されることを重視します。 血の繋がりが無くても有能な人物を養子として迎え入れます。 血族主義の中国や韓国では考えられない習慣です。

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