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20年前の歴史の教えについて
D-Gabachoの回答
- D-Gabacho
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ネットでちょっと調べてみたら公共図書館のレファレンス事例のデータベースに「江戸時代の庶民が苗字を名乗っていたことに関する資料はあるか?」という質問への回答(http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000188816)が載っていました。それによると、名字を公称できない庶民が村落内や庶民どうしでは堂々と名字を名乗っていたことを最初に明らかにしたのは洞富雄の論文「江戸時代の一般庶民は果して苗字を持たなかったか」(1952年『日本歴史』)で、その説は豊田武『苗字の歴史』(1971年・中公新書)によって補強され決定づけられたらしいです。20年前というと1990年代後半ですから、そのころには江戸時代の庶民が苗字を使っていたことは、とっくに定説化していたはずですから、墓に苗字を彫ってはいけなかったといった記述が教科書にあったとは思えません。質問者さまが教わった教師が、勝手に思い込みで言っていたのだと思います。
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