- 締切済み
裁判官の責任
住民による九州電力玄海原発稼働差し止めを求めた裁判で、争点だった阿蘇山噴火リスクについて裁判長は 「具体的な危険はない」 と、住民の訴えを退けたのだとか。 よく考えてみるとその後阿蘇山が噴火したとしても、裁判長は何の責任も取らないわけです。責任を持たない人物に法律の強制力を伴うようなことを判断させていいのでしょうか。裁判長のようにその判断が故人の人生や国家の行く末を大きく左右させかねないような重大な任務に就く人物は、大きな責任を持つことを前提で就任を認めるべきだと思います。 医師であれば、「絶対に」などという人はまず信用されないし、信用できないのであれば患者の方で別の医師に変えることも可能ですが、裁判官は選ぶことができないのですからなおさらです。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- hekiyu2
- ベストアンサー率35% (271/774)
責任を持たない人物に法律の強制力を伴うようなことを判断させていいのでしょうか。 裁判長のようにその判断が故人の人生や国家の行く末を大きく 左右させかねないような重大な任務に就く人物は、 大きな責任を持つことを前提で就任を認めるべきだと思います。 ↑ 裁判、というものを誤解しています。 裁判官は、危険がない、とする被告の 主張の方が、危険があるとする原告の主張よりも 説得力がある、と判断しただけです。 だから責任を負う理由がありません。 悪いのは、危険が無いと主張した被告であり、 それを覆すことが出来なかった原告です。 考えてもみてください。 法の専門家に過ぎない裁判官が、そんな危険性を 科学的に正確に判断など出来る訳がない でしょう。
そもそも、日本列島の成り立ちは、 ユーラシアプレートと、太平洋プレートの、ぶつかった場所にできた歪んだ、土地となります。 今もこのプレートの活動は続いており、、日本海側が盛り上がっていて、太平洋話は沈み込む、つまり、東側に回転をして行っている状態です。 こんな地形の場所で、なにがおこってもそもそもおかしくはないのです。 なので、それをダメとしたら、家を建てることも、鉄道を作ることも全て危険だという話になってしまいます。 なので、長期にわたっての、内容を見て、擬態的な危険はない。という判断を下す以外にはないのです。 なんでも少しでも危険があったらダメだ!という人もいますが、 この地球自体が崩壊する危険は0ではありません。 危険が0でなければ危険だと行ってしまったら、何もできなくなるということが現実ということになります。 なので、現状わかる上で、の危険と考えられるものでなければ、具体的な危険はない。という以外にないわけです。
- sat000
- ベストアンサー率40% (324/808)
天変地異は日本ならば可能性として完全にゼロと言い切れる地域はありませんが、それでも人々は住んでいますし、原発だけでなく火力発電所も石油コンビナートも有毒ガスを扱う工場も建っています。可能性がゼロではないだけではなく、具体的にこういう危険があると言うのであれば、そういう主張をする人が立証する責任があります。裁判であれば、証拠を積み重ねて裁判官を納得させないといけません。ご指摘の裁判では、それができなかったというだけでしょう。 裁判官が未来を予知するわけではありません。裁判官は原告、被告のどちらの主張に合理性があるかを証拠に基づいて判断するだけです。それでも裁判官も人間ですから間違うこともありますし、個人の主義思想によって大津地裁のように偏向した判断に至ることもあります。そのために三審制を採用しているのです。