- 締切済み
卒論の内容がさっぱり思いつきません
まだあまりメジャーでない発達障害(以下Aとします)の一種について、その教育支援を何かしらの方法で見出したいです。 ですがその「何かしら」がわかりません。 初めは、ADHDなどすでに教育支援が確立しているものの支援例から、「A」に使えるものと使えないものとで分類しようと思いましたが、分類したところでそれが何になる?と思ってます。 教授に相談に行くためにはある程度話がまとまっていないと怒られます。 何か助言をいただけないでしょうか。
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- hiyakuhiyaku
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昔の主治医がその種の研究してるらしい。あのポ-ズだから話しかけたれ
- as9
- ベストアンサー率15% (73/480)
>教授に相談に行くためにはある程度話がまとまっていないと怒られます 怒られてください 教授と会話をして活路を見出して下さい それがあなたにとっての勉強です
- potatorooms
- ベストアンサー率28% (3506/12498)
ご質問のジャンルのことは全く分かりませんが、科学の手が届くところの話なら、分類は、分類するためにするのではなく、個を確立するために行います。 分類には定義が伴い、定義とは個を他者と区別するために行います。 日本には昔、色として、赤、青、白、黒の四種類しかなく、自然あるすべての色をこの四種で記載していました。 これだと、例えば、青色に分類される今でいう緑色の研究や緑色の利用を考える人にとって、緑色を青色と区別することには特別な意味が存在します。 緑色を分類できないと、研究の範囲、利用の範囲が特定できないからです。 緑色と青色を区別していない人にとって、その研究や利用は、すべてには当てはまらない価値の不確かなものと評価されるます。 ご質問のAが緑色に当たるとして、A=緑色が万人の真理であるならわざわざ分類は不要ですが、そうでないなら、定義をしそれに基づいて分類することは、研究論文の最初の一歩です。
あなたの眼前に「生徒」,「実験動物」,「患者」,「セメント粉」などがあって,自由に試行錯誤できるわけではないでしょう。だったら,「確立しているもの分類」でお茶をにごし,「教授に怒られ」るしかないでしょ(笑)。
- citytombi
- ベストアンサー率19% (1721/8628)
前提として、教育現場のそういう児童・生徒に対する教育支援(特別学級)で、ADHDを細分化して、そこまできめの細かい指導をしているかどうかです。 要するに、先生側でもそういう専門家がいないのでは?と思います。 きめ細かい指導をしていないという背景として「しなくていいのか」「したいけどできないのか」では、その後の導き方が大きく違ってきます。
- Dr_Hyper
- ベストアンサー率41% (2483/6032)
すごく単純に言うと,まず語句,用語の理解をしていきましょう。 すこし学問的に言えば,それぞれの定義や重要なポイントをまず自分でまとめることが大事です。 あなたが注目する発達障害は, 何が原因で (どこまで分かっているのかを調べる,遺伝性なのかとか,後天的なのかなど) どのような問題が,あるのか。 集団生活,社会性,学習能力などを他の障害と比較しながらまとめる。 それらを踏まえて治療とサポートは,どう言われていて,どのようになされているのか(現状でいい。理想論とは別) まずここまでがイントロ(序章)ですよね。 この時点であなたなりに問題点や疑問などが見えてくると思います。 それについて調べた結果が 結果 となります。 もし既に結果があるのであれば,それを調査するにいたった疑問を逆算で作らないと行けませんが,まだ何も始めていないのであれば, 例えばADHSとこの障害では何が違うのか。 まずそこが分かってなければ比較することすらできません。 決定的に違うと思われることが見えてくれば,そこを掘り下げればいいわけですし,そこが難しければ安易にそこを調べたいという必要はありません。 結果を述べた後は,文献と睨めっこです。 あなたが調べた結果は,他の障害ではどう扱われているのか,他の国ではどうされているのか,discussionと呼ばれるセクションは感想を書くところでは無く,比較可能な事柄と比較して,どこが同じで,どこが違うのかを示します。 最後に文献を並べて これを論文と言います。 まとめると,まずもう既に調べた結果がある,または調べられそうな資料が複数ある。その場合には,それを調べようとおもうだけの疑問や問題意識を序章にさかのぼる形で書きます。 もし手持ちに何もないのであれば,語句の勉強からはじめて周辺の事実からその障害について理解を深めます。そこから,例えばどうしてこの障害だけ,こういった支援をしているのだろう?とかどうして確立された方法がないのだろう? といった疑問点が産まれくれば,その周辺の事実をインタビューしたり調べたり考えないといけない訳です。 疑問や問題点がないで調べただけというのは,小学生の夏休みの宿題です。 逆に言えば,卒論程度であれば,この姿勢だけでも整えば大した事が分からなくても合格していると行っても過言ではありません。
何か助言をとおっしゃるなら、自分で考えて下さい。 他人のネタで教授に相談して卒論を作成して、うまい具合に卒業しても何の意味もありません。
ごめんなさい(>_<) Aの存在を信じるか否か、それは、学生の信念(ポリシー)だと 思います(>_<) 何の為に(?)と疑って居ると、何も解決できないと思います(>_<) いかがでしょうか・・・?
補足
質問を大雑把に書きすぎました。ごめんなさい。 「分類して何になる?」と言うのは、 分類なんて誰でもできることをわざわざ卒論にして、どんな結論を出せばいいんだ、ということです。 結局、「A」の教育的支援は、ほかの発達障害の支援を参考にするしかない、って結論に至るとしか思えなくて、そんなことする意味ある?と思ってます。ただ「A」の支援を見出したい、これは変えたくないです