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死なないですむ方法を どうか教えてください。

こんにちは。 過去の経験から起因する心の病で、 毎日が死の誘惑とのたたかいです。 今日も日曜礼拝に行って、ほんの少し心が救われたのですが、眠ると悪夢がやってきて、私を死へと誘います。 死にたくないんです。 幸せになれると信じたいんです。 幸せな自分の人生を、手に入れたいんです。 受けた傷が深くて、この傷を抱えて悶絶しながら生きるよりいっそ死を受け入れたらどんなに楽か、と毎日苦しみます。 私のような方、そしてそれを克服なさった方も、きっとおられると思います。 助けてください。 私は生きたいです。 本当は幸せになりたいんです。 どうかどうか、私が生きていることを赦されたいんです。 私が生まれたことを、生きていることを、心から神様に愛されていると信じたいんです。 苦しくて苦しくて。 毎日が拷問のようです。 死にたくない。 癒されたい。 でも死んでしまうかもしれない。 今日このあと、いきつづけられる自信が持てない。 見知らぬ私に、どうか愛の手をさしのべてください。

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  • cyobin_man
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回答No.1

丸っきりの素人ですが >日曜礼拝に行って、ほんの少し心が救われたのです  であれば 仏教で言う”出家”されてはいかがでしょうか?    本当の”出家”まではしなくとも      そんな生活をしばらく体験してみては?      軽々しく答えて申し訳ないです。

kanakyu-
質問者

お礼

ありがとうございます。 心配してくださって、ありがとうございます。 今は神様の教えをまだまだ勉強中で、 洗礼も受けていません。 いつか洗礼をうけたいと思います。 神様は私たちをお見捨てにはならないです。 感謝します。 このまま一人でいるとおかしくなりそうなので、 しばらく外出します。 とにかく回答いただきありがとうございます。

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その他の回答 (14)

  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.5

辛いですね。 私も7~8年、悪夢にうなされてました。 心の中に幼い頃からの思い出が沢山詰まった壷があるんですが、そこから生皮をはぐように、楽しかった思い出が、一枚、一枚はがされていくんです。これは夢の中で発狂しそうになったり、実際に呼吸困難になったり、心不全も起こるくらいの悪夢でした、こういうのが7~8年続きました。 で、生理学的、爆睡を妨げているのはセロトニン神経の弱りですし、朝方、憂鬱になるのはコルチゾールというストレスホルモンの影響ですから、必要な対処(病院、サプリ・・・)はしてください。 http://server343.dyndns.org/utu/index.cgi この詩はご存知でしょうか?  『無名の南軍兵士の祈り』  大事をなすための力を与えてほしいと神に願ったのに  従順さを学ぶようにと弱い人になった  偉大なことができるようにと健康を望んだのに  より善きことができるようにと病弱さを与えられた  幸せになるために富を求めたのに  賢くなれるようにと貧しさを授かった  人々の賞賛を得ようとして力を求めたのに  神の必要を感じるようにと弱さを授かった  生活を楽しもうとあらゆるものを求めたのに  あらゆることを喜べるようにと生命だけを授かった  求めたものは何も与えられなかったが  願ったことはすべてかなった  こんな私なのに、声に出していわなかった祈りもすべてかなえられ  私は誰よりも豊かな神の祝福を受けた 質問者さまの、受けている祝福はなんでしょうね? 辛い経験から、何が芽吹いていると思いますか? 神さまの存在とか、必要性を身を持って教えられ、強固な信念にまで発展させてもらえたかも知れませんし、人の痛みを知る能力が開花しているかも知れませんし、人生・生命について真剣に考える機会を与えられているのかも知れませんし、いずれにしても、あなたの山の頂上からでないと見えない景色があるハズなんです。 まだ若く、未経験の時代は、山のふもと辺りに居ますから、まだ何も見えていないし、怖さも知らないし、漠然と幸せを信じたり、これからの道程を楽観していますが、昇れば、昇るほど、息苦しくなりますし、足腰も疲れてきますし、心身伴にガタがきます。 でも、それは登山が順調に進んでいることの現われであって、決して不幸なことではないんです。山の頂上には生の体験からしか得られない貴重な財産(成長)があるんです。 生命は成長することだけが目的で生まれてきていますから、大いに成長すれば良いんです。そして成長を促してくれるもの、成長を与えてくれるものを信じていれば良いんです。 私のHNをクリックしてもらえれば、呼吸法をご紹介してますので、是非、実践して、下っ腹(臍下丹田)に全意識・全神経を集めて、のぼせてしまった気を降ろしてみてください。 今は登山に疲れて、暑さでのぼせているだけです。 普段、歩くときも足の動きに全意識を集中して、つま先の上げ方、かかとから着地して、つま先で蹴るまでの一連の行為、腕の振り方、呼吸のリズムに集中して、歩行禅のつもりで歩いて、のぼせを取ってみてください。

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noname#7335
noname#7335
回答No.4

こんにちは。 お心内を想像すると、大変おつらいだろうと思います。 大丈夫ですか? 私も実は似たようなことを考えることがありますが、 あなたとの違いを述べれば、私にとって「死」は、行きたくないのだけれどもそちらに誘惑される性質のものでなく、こうするのが一番よいという「選択」のひとつなんです。 ですから今の私は、死ぬことの如何について、人に相談することはいたしません。 ただ、その前後の美しい身じまい、人に経済的その他の面で迷惑をできるだけかけたくないので、どうしたらよいかを(事情を明かさず)人に相談したり調べたりはすると思いますが。 あなたが「誘惑」されていることの状況は,わたしも昔同じ思いをしていたことがあったので、辛さはよくわかります。ほんとうにおつらいでしょう。ご友人はおられませんか。かけつけてくれる友人はいらっしゃいますか。 神さまはもちろん、あなたを愛していらっしゃいますよ。 日曜礼拝に行く、というおっしゃりかたから、キリスト教の方ではないかと思っています。 旧約聖書に「たとえ、(あなたを産んだ)母があなたを忘れても、私(神)はあなたを忘れない。今日、私はあなたを私の手のひらに刻んだ」という1節があります。 私があなたのところにすぐ飛んでいくわけにもいきません。 神の愛を身近に、感覚をもって感じたい、なぐさめられたい人のために、私は、「マザー・テレサ」もビデオをお勧めすることにしています。マザーは、ご自分のところにきた女性ひとりひとりを、ほんとうにいとおしそうに抱きしめていらっしゃいました。その映像もあります。ぜひ、見てください。 「マザー・テレサ」の生前の映像を納めたビデオは、女子パウロ会というところから販売されてるはずです。 わたしにはこれだけのことしかできません。 あなたがもしもその誘惑に負けてしまっても、神様はあなたのことを責めたりなさいません。 神は人の苦しみがおわかりにならない方ではないです。 むしろ、神も、貴女と同じように苦しまれてます。 神はあなたのこと、わすれてません。 ご安心ください。

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  • rupo
  • ベストアンサー率14% (7/50)
回答No.3

こんばんわ。 正直、「死にたくない」と思えるのがうらやましいような そんな思いで読ませていただきました。 念のため伺いますが、きちんと精神科などで心理療法士のもとなどでカウンセリングや投薬治療は受けてらっしゃいますか? 治療を受けた上で宗教を頼るならそれもいいと思いますが・・・・。 人から社会から必要とされている思いを実感できれば、 自殺願望は減ると聞きます。 ボランティアで介護や福祉に関わるなどされてみても いいのではないでしょうか?

参考URL:
http://dir.yahoo.co.jp/Society_and_Culture/Social_Work/
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  • kaoru2919
  • ベストアンサー率28% (14/49)
回答No.2

初めまして。 まったく、私も同じ想いでした。今は、あえて、過去形で書かせていただきます。まったく、本当に同じ気持ちでした。 死にたくないのです。私は生きたいのです。ですが、特に夜になると、死にたくはないのに、ものすごく私のそばに、すぐそばに、「死」があるのです。恐ろしい距離に。 私は常に「生きたい」と思いました。思う間、私は「死」んでいたのです。今思えば、そうやって苦しんだ一年弱、私は「死」んでいました。ずーと、死んだ日々でいたい、と暗い毎日が楽にさえ感じました。ですが、私は明るい方向に憧れ、どうすれば、せめて人並みに生きれるか、と悩みました。そんな資格はないのでは・・・、私は既に資格を失っているのでは、神仏に見放されているのでは、とも思いました。夜になるたび、「ああ、今日も生きていた!」と不思議な溜息をつきました。 専門的に考えれば、その一年の期間、私は「鬱」だったのです。 しかし、今の私にも、この想いはあります。鬱ではなくなったとしても、私の犯した罪の重み、罪悪感、劣等感、ぬぐい切れません。だから、一生、他人に向ける笑顔の裏側で傷を隠していきます。 私は無宗派の仏教徒です。仏教に救われた、とはいいません。これから生命が尽きるまで、手探りでやっていこうと思ってます。 うまく纏めることができませんが、相談者さんも、苦しみの中に、小さな光を見つけてください。何年、何十年かかるかもしれません。私は、とりあえず、一日一日を、まるで明日がない、くらいの気持ちでいきています。自分に後ろ暗いことがなければ、少しは堂々とできる、ましな自分になれる、と思ったからです。 長々すいませんでした。。。

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