• ベストアンサー

肝試しをやる理由

全国的なものかどうか知りませんが、 昔は地域で”肝試し”という小学生対象の行事がありました。 (たいてい暗い場所を歩かせる内容) あれは何か教育的意義や根拠があり実施していたのでしょうか? ※肝試しと言うと他にもありますが、ここでは地域の主に小学生を対象とした行事とします。 あと、なまはげみたいに小さい子を怖がらせる伝統行事もありますが、 同じく”怖がらせる”行為に何か目的と価値があるのでしょうか?

  • nopne
  • お礼率45% (1604/3490)

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2800/7250)
回答No.1

これは、こどもの教育目的です。 それと地域の親睦感の育成です。 今はほとんどないはずですが、なくなった理由は、 ・街灯や店のネオンなんかで市内が明るくなり、闇の場所がなくなった。 ・幼児を狙う変質者のようなものが増え、こいつらは大けがをさせたり殺したりもしかねないので子供の危険が増した。 ということだと思います。 昔は、国道沿いでもないかぎり夜は世の中全部闇というのが普通で、民家はともかく、神社やお寺は本当に真っ暗でした。 そして、人魂は出たんです。 私も見たことがありますし、亡くなった祖母なんかは幼児のころ人魂だらけだったと話してました。 これは墓の土の中のリン成分が発光したというようなことのようですが、真っ暗闇にうっすらと光があると気持ちが悪いです。 肝試しですが、そういう真っ暗なお寺とか神社に行って何かを置いてくるあるいは何かをとってくるというゲームです。 本当に行ったか途中で逃げてきたかはすぐにわかります。 親に守られ安全に安心に暮らしている子供たちがそれに参加すると、まず恐怖を実体験する。 本当に人殺しが歩いているようなところだと恐怖以前に命が危ないですから、子供は出せません。 闇であるだけで安全な空間なら、恐怖だけを味わわせることが可能です。 子供は成長するとともに本当のはっきりした危険を味わうことになりますからそのときに自分を持ちこたえることができなければ命が危ない。 肝試しで闇の中を「だいじょうぶ、こわくない」と自分で自分にいいきかせながら歩くというのはそういうホンモノの危険への擬似訓練になるのです。 平常心を保つということを自分の肉体で養うのです。 そうすると帰ってきたときに達成感があります。人生、達成感は非常に重要です。 やったんだと思うだけで自分に自信がつきますし、大事なのは人に思いやりができることです。 こういうとき怖いだろうな、ということがわかっていたら、弟分妹分に対して「自分が守ってやろう」という気持ちが発生するわけです。 そしてすこし年長になると、自分より年少の子が肝試しに挑戦するとき、通路のあちこちにこっそり立ってオブザーバー、サポータとして役を引き受けます。 ドン引きして歩けないような子に声をかけるとか、怖くて座り込みしっこ漏らしているような子を温かいところに連れていったり。 こういうことをすると、小さい子は少し大きい子に対し、尊敬の念を持ち、信頼感を感じます。 大きい子は守ってやった満足感とともに、思いやりという気持ちが育ちます。 そういうことが目的で肝試しはやられていたと思います。 待っている大人のほうは、戻ってきた子のために麦湯だとか汁粉を用意していたんです。 地域全体、といっても市の全部ではなく何々町程度の規模ですけど、この中でのお互いへの信頼感と貢献心が熟成してくるのです。 本当の生命の危険でない恐怖を味わわせる行事はほとんどこの意味です。 なまはげなんて、この世のモノとも思えない怪物が子供を襲ってくるわけです。 怖いどころではありません。子供は泣きながらきっちり親にしがみつき、離さないで離さないで、と本気で頼むわけです。 親は鬼の怪物に平然としており、鬼と交渉するわけです。 「親の言うこと聞かねーガキいねえか」と鬼がいったら「いや、この子はいい子ですいいつけも守ります朝も早く起きるし家の手伝いもします。な、そだよな、帰ってください」と応対するわけです。 そして鬼は親に説得されて帰るのです。 この経験をすると、子どもは親がどんなに子供を守ろうとしているか、実感します。 そして、呪文のように「朝早く起き、家の手伝いをする」ことをしようと思うわけです。 もちろんいってみれば茶番で、いんちきです。 だけど、その実態がわかったとき、子供はどう思うかというと、決して親が自分をだましたとは思わない。 自分がまっとうな人間になるためにああいう芝居をしてくれたのだと思うのです。 このなまはげもいまはあまり盛んにおこなわれなくなったようです。 幼児虐待だとかいじめ、なんていうことばとともに、鬼役をやりたがる若者がいなくなっているということのようですね。

nopne
質問者

補足

ありがとうございます。 子どもは家庭で育てるものではなく、地域で育てるもの。。。 人間の五感は昔の人はかなりの微小化学反応も検知していた。 (それを気配や予感ともいう)

その他の回答 (2)

noname#235638
noname#235638
回答No.3

思い出作り、程度かなと思います。 なまはげは、囲炉裏にあたってばかりいると 低温やけどするぞ 怠けてると、やけどする という危機管理が目的。 伝統行事は、それが私たちの歴史ですから 良いか?悪いか?ではなくて、継ぎたい人がいれば 継がれていってもいいなかな、と思います。

noname#232424
noname#232424
回答No.2

マンガなどでよく見ますが,ぼくは子供のころから,かつ子供を持つ身となっても「肝試し」を経験したことがありません。怖くて参加しなかったのではなく,実施されなかったのです。 >なまはげみたいに小さい子を怖がらせる伝統行事もありますが、 >同じく”怖がらせる”行為に何か目的と価値があるのでしょうか? もともともナマハゲは民俗学的には「来訪神」の一種で,「生活圏の外から幸福をもたらす神がやってくる」という信仰だったはずです。いまは「なぐごはいねが~(泣く子はいないか)とどなりながら,青年団が鬼の扮装で民家に乱入してくるのがふつうです。しかし,子供を単に怖がらせるだけでなく,教育的立場で「いい子でいるんだぞ」と説教して,親からお礼のお金や酒などをもらって帰ります。

関連するQ&A

  • 子どもを怖がらせる伝統行事の狙いは?

    日本でも「ナマハゲ」など鬼に扮した大人が子どもを泣くほど怖がらせたり、 今では少なくなりましたが、「肝試し」という怖い思いを敢えて体験させる伝統があります。 あーいった子どもに怖い思いをさせる行事には、どんな狙いがあるのでしょうか。 よく。強く育つようにと言われますが、たぶん、少しでも効果が検証されて習慣化されたんだと思います。 どのように良い方へ作用するのだと思われますか? また、男児と女児では効果に差違があるでしょうか? ※ 私論推論歓迎 ※ 質問文中の言葉の選択の違和感は、ある程度ご容赦ください。

  • 全国高等学校の変わった行事や特色など

    現在、全国の高校で変わった行事などを実施、計画している学校を探しております! 皆様のお住まいの都道府県では、そんな情報はありませんか^^? 例えば、○○高校では、唯一の○○部があります!や、○○という地域参加型のイベントを高校主催でやっています! などなど、どんな小さな情報でも構いませんので、少し知恵をお借りしても宜しいですか? 以下欲しい情報です。 ・どの様なイベントなのか? ・何を目的としているのか? ・何月頃からやっているのか? また、その学校の行事をしった経緯なども教えていただければ幸いです! それでは、宜しくお願い致します^^

  • 社会学に詳しい方

    社会的行為についてお聞きしたいのですが。。 「伝統的行為」「感情的行為」「価値合理的行為」 「目的合理的行為」と4つに分類されると思うのですが、文章だけでは理解できずに困ってます。 身の回りの行為で具体例をあげていただけるとうれしいです。

  • 研究の限界について

    素朴な質問です。どうかご教授ください。研究の限界のところで、「本研究は、1県のみの結果であり、地域の特性が影響していることも考えられるため一般化することは難しい。今後は、調査対象を全国に広げていくことが必要である。」と書かれてある論文をよく目にします。ですが、その後同じ方法で、対象範囲を全国に広げてしてみたという論文を読んだことがありません。同じやり方で単に対象を広げただけの論文は、論文としての価値はあまり認められないということなのでしょうか。

  • ホテル混雑予想のための地域の行事の一覧

    題名の通りなんですが、地方の場合には祭りや学会、マラソン大会など多くの人が一気に集まる行事があると途端にホテルが取れなくなります。 そういうのをあらかじめ知りたいのですが、そういう目的で全国の地域ごとの行事一覧みたいなサイトや情報源はありませんか。 ホテル予約サイトで先々の値段をみるのが手っ取り早いのかもしれませんが。

  • 志望理由

    初めて書いたので まだまだだと思いますが 文章の流れなどを主に 大学での面接の 志望理由の添削お願いします(´`) 大学については 教育大学で 特徴は教育大学だけど地域との連携もしていて、まちづくりも学べるところです 事前に 自己推薦書を提出しました 自己推薦書の内容は 社会の教員を目指している なぜ社会なのか 長所(根性、継続力、周りをみれる) 私にとって貴学のいいところ と、いうかんじです。 今回、志望理由は 自己推薦書にかききれなかったところを中心に考えてみました。 私は将来、社会の教員になりたいと考えています。教育系目指した理由は中学生の時に教育大学の学生に出会った事からです。その私たちに教える姿が輝いて見えて、私は教員の仕事に魅力を感じたからです。 私にはもう一つやりたいことがあります。それは町に貢献することです。なぜこのような事を考えたかというと、去年亡くなってしまった、私が小学生の頃の校長先生で、町で音楽祭を開いた人がいて、芸術と遠かった町にそういった物を定着させたその校長先生は私の憧れでした。その校長先生は音楽会で、町の文化や芸術をつなぐ人がもっといたらいいと言っていました。私はその役割をしたいと思っています。  貴学は、教育大学でありながら、地域の文化や芸術についても学ぶことができるところが一番の志望の理由です。普通教育大学では教育だけを学ぶ所がほとんどです。その中で、ジェネラリストの育成を目指す貴学はフィールドワークや副専攻を通して教育、地域、文化など多くの事を学べると思います。 サークル活動でも吹奏楽団は全国大会出場という活発なところも魅力的でした。私の充実した大学生活を送るためにも多様な歴史と文化で構成された〇〇にある貴学は学習の場として最適だと思い、志望しました。 自分的には きっかけが長く、志望理由ではなく、将来の夢を語ってしまっているような気がするので.不安です.(>_<) よろしくお願いします

  • 地域教育について

    私は現在教育学部の大学生です。ゆとり教育が問題とされているなかで、地域教育、地域活動などに参加している子供と、していない子とでは生活態度、学習態度、性格面などでの違いがあるのかについて調査しています。(地域教育が子供に及ぼす影響について)さまざまな小学校(5、6年生対象に)にアンケート調査も実施したいのですが、現在教師の方で、アンケートに協力してくれる方はいませんか?またアンケートは無理でも自分の地域ではこのような子供むけの地域活動をしているなどあったらおしえてください!お願いします!!

  • 誰か僕を助けてくれないでしょうか?

    HELP! ビートルズにも「HELP」という曲がありましたが 誰か僕を助けてくれないでしょうか? 結構いいものを見つけたのですが 大学は中退で師もおらず なかなか分かって貰えなくて困っています。 存在が価値であり、存在が目的であり、存在が意味の根拠であり、正義の根拠でもある 存在することに意義がある。存在する為に生きているのです。 これは導いた事ですが。存在性 と言うものを考えています。 存在性とはそのものを存在させる為に働く性質、必要な性質、有効な性質です。 誰か検索して助けて下さい! HELP! 救けてくれ~~~~~~~~~~

  • 高校野球の抗議って、いけないことですか?

    決勝戦、見ました。8回ウラの「押し出しフォアボールんになった判定」をめぐって、議論されているようですが・・・。 「あきらかに違う判定に対して、その場ですぐに監督が抗議をする」のは、いけないことなのですか?それとも「潔しとする、古くからの日本の伝統」なのですか? 詳しい方、教えてください。 「青年を教育する」という、高校野球本来の目的から考えた時に、それだけは認めていいのでは?と考えます。 今回のように、終わってしまってからの抗議をマスコミに言うのは、教育上もっとも良くない行為だと私は考えますが、どうなのでしょうか?

  • PAS耐圧試験について

    耐圧試験を依頼された場合、耐圧試験実施のタイミングは装柱前の地上で、もしくは装柱されてからやりますか。電源等の引き込みが地域によって異なりますが一般論としてお願い致します。そして、その明確な根拠を全国の電気技術者方宜しくお願い致します。