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勤労が美徳という価値観の起源

どこにあるんでしょうか。 低所得者の内容の正しい意見よりもお金持ちや成功者の発言を信頼する拝金主義の起源と同じなのか知りたいです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • hekiyu
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回答No.1

これは江戸時代に、岩田梅岩という儒学者が 言い出したことです。 江戸時代は、封建制で身分が定まっておりました。 だから、いかに努力しても、出世したりするのは 例外で、偉くなるのは非常に難しかったわけです。 そのため、現状で我慢するしかない、という空気が ありました。 その現状で我慢、について、岩田梅岩が理論付けをしたのです。 働くのは、金や出世の為ではない。 働くこと、そのこと自体が目的なのだ。 働くこと、そのこと自体に価値があるのだ。 働くこと、そのことが美徳なのである。 こうして、勤労は美徳、という価値観が江戸時代に 醸成され、それが現代でも続いているわけです。 このお陰で、資源も無い小さな国、日本がここまで やって来られた、という利点があります。

opn656
質問者

お礼

起源がよくわかりました とっても助かりました

その他の回答 (5)

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (817/3046)
回答No.6

http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%92%E5%89%B5%E3%81%A3%E3%81%9F12%E4%BA%BA-PHP%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A0%BA%E5%B1%8B-%E5%A4%AA%E4%B8%80/dp/4569665608 NO1さんの回答と概ね同じなのですが、堺屋太一氏の”日本を創った12人”に石田梅岩について詳しく出ています。 江戸時代になると戦国時代の終了とともに人口が増大し、新田開発が行われますがそれも100年ほどすると頭打ちになります。鎖国社会ですので海外に物を売ることも食料を買うこともできず、職・経済・食糧生産が頭打ちになります。そうなると人口もほぼ頭打ちになるのですが、それでも徐々に人口が増えると人余になり仕事は不足します。そうした人は利益率・労働生産性の低い仕事に打って出ざるをえません。そんななか、こんな割に合わない仕事やってられないという状況に対する対策として、”対価のために働くのではない、働くことそのものが素晴らしいのだ”そういった価値観がこの時代に生み出されていきました。ある意味美談でもなんでもない夢も仕事もない悲惨な時代です。次男三男坊は結婚さえできない時代です。江戸などの都市部で仕事がある人にとっては文化的で労働時代の短いいい時代だったんでしょうけどね。

opn656
質問者

お礼

ありがとうございます

  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率64% (1068/1663)
回答No.5

現代の日本にある勤労を美徳とする価値観の直接の起源は、戦前、全国各地の小学校に銅像が建てられるなど、国家的規模でその思想の普及が進められた二宮尊徳(金次郎)だと思います。

opn656
質問者

お礼

ありがとう

noname#260418
noname#260418
回答No.4

世の中金でしょ!と 言わない慎ましさが日本人の 勤労が美徳という価値観です。 吐き気がするほど嫌いな同僚に 笑顔で挨拶、可愛くない赤ちゃんの写真つき ハガキに礼を言い、 今度お茶行こうと言ったきり行かない 仲の良さ。謙譲の美徳です。

opn656
質問者

お礼

ありがとう

noname#260418
noname#260418
回答No.3

勤労の美徳の価値観とは 正しい意見を低所得者の意見と 分けることですか。

opn656
質問者

お礼

ありがとう

回答No.2

南太平洋のポリネシア文化圏の中心、西サモア(の非都市部) では、私有財産が否定されており、僕が旅行でホームステイ した時も、近所の人がフラッと入ってきて、「ラジオ聞き たいから」と持っていくのを目撃しました。 都会に働きに出た若者は、「村に持って帰ると共有財産に されるから」というので、田舎に帰らないと言ってました。 そういう村の伝統的住宅は共通の広場を囲んで丸く配置され、 建物は柱だけあって壁がなく、風雨はヤシの葉で編んだ すだれを下げて防いでました。 途上国につきものの雑貨屋は、他国のように村の中心では なく、村はずれの見えない木陰にひっそりと立っていました。 金儲けはいやしい行為なのです。 ヒマラヤ山中のブータンでも、地方では皆んな農民なので 八百屋がなく、仕事帰りに野菜を指差し「売ってくれ」と 言うと、100%タダでくれたばかりか、よほど貧乏だと思わ れたのか、家に招かれて食事をごちそうになった事も何度か あります。 農耕は、体力があればいくらでも生産を伸ばせるし、その 生産物は(ブータンの田舎では)換金できないので、貯えも できず、ただ自然と調和した形で耕作の年周期に従うだけの 暮らしなのです。 そうした自給自足の暮らしが終わり、分業化して貨幣が発生 すると、“貯え”が可能になり、取引きによる貧富の格差が生じ るようになったのです。 そして体制側は、庶民を使役する事で力を得るので、満足さ せないように、ある時は3Cや私有地戸建てといった“馬車馬 の目の前のニンジン”を作り出し、ある時は貧富の格差を拡大 して生きるために酷使する方法をとったのです。 そのどちらの方法も、人の生きる真の目的である精神的充足量 よりも、経済的な金持ちを目的とする拝金主義に誘導します。 一生、自分の家も持てず、家族団らんの時間もロクになく、 経済奴隷として使役される日本より、家族や地域のつながりや 伝統やお年寄りを敬う西サモアやブータンの方が幸せに思え ました。 ブータンが提唱した「GNP(国民総生産量)よりGNH(国民総 幸福量)を発展の指標とする」は、決して負け惜しみではあり ません。

opn656
質問者

お礼

ありがとう

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