• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:精神、性質、存在、を使って人間を説明してみました。)

人間とは現実存在の精神である性質と存在のミステリー

urigadai2013の回答

回答No.9

OKウエイブの担当者はオレの回答を削除しやがったよ。 質問者を誹謗中傷すると、担当者の判断で削除するんだな。 ヤフーはそんなことが無いから、誹謗中傷なんて日常茶飯事だが、このOKウエイブはそれが許されないのか? どうりでみんな「お行儀」が良いのか、ようやく分かったよ。 ところで、「この質問コーナーで質問して人間や存在のことが幾らか分かってきました」と言っているが、誤解・曲解のオンパレードじゃないか? 結局、2~3年前からあんたが自分勝手に、デタラメに言っていることを単に補強しただけで、何も変わっていないじゃないか? (人間とは精神である)って、どういうことだ? 実存とはすでに説明したように現実存在を省略した言葉で、現実存在とはプラトンの「イデア論」の批判として、アリストテレスが言い出したこと。 つまり、現実存在とは、精神の反対、物質がある、見たり触れたりできる、感覚できる存在がある、ということなのだ。 ところがプラトンは、現実存在などない、「イデア」とか、精神とか、心があると言ったのだ。 その現実存在を、あんたは精神だという。 それじゃあ、プラトンの「イデア論」そのもので、現実存在とは反対じゃないか? そしてプラトンの「イデア論」を、アリストテレスに次いで、近代になって批判したのがニイチェで、そしてニイチェは実存主義の源流だ。 あなたは「幾らか分かってきました」と言っているが、それでは誤解・曲解以外の何ものでもないじゃないか? 要するに、あんたは実存などぜんぜん知らないということだ。 「幾らか分かってきました」どころではない。 実存とは目に見えるもの、感覚できるものが、真の実在という考えのこと。 ところが精神は見えない、感覚できない、だから実存とはまるで反対だ。 「人間とは現実存在である。精神を中心としている。人間とは精神である」 ・・・・・・.と言っているが、どうして現実存在である人間が、精神なのか? 「人間とは精神である」と言っているが、どうして人間が精神なのか? 精神って、目に見えないよな? 形もなければ、面積もなく、感覚できない、それがどうして現実存在なのだ? 私たちが現実とか、現実存在といったら、目に見えるもの、感覚できるもののことだ。 そんなのは言うまでもない、常識だろう? そんなことは子どもだって、知っている。 ということは、あんたはその子供以下だということだ。 心とか精神はただの言葉、概念だよ。 思考・意志・感情・感覚を1階の具体的な存在とすれば、心とか精神はそれらを総称する、2階の概念、思考・意志・感情・感覚は実在するかもしれないが、心とか精神は2階の概念だから、実在しないんだよ。 もし、心とか精神が存在するというのだったら、いったい心とか精神はどこにあるんだ? 脳の中? 脳は神経繊維・ニューロンと化学物質・シナプスの集まったネット・ワークで、そんな中に心だとか精神なんて存在する余地は無い。 ところがあんたは「人間は脳を介した精神であり、それは性質で出来た存在である」と言っている。 現代の脳科学の進歩発展など、あんたは知らないんじゃないか? アメリカの脳神経学者・マイケル・ガザニガは「人間の脳は処理の規則によって出来ており、そこに私とか、主体は存在しない」と言っている。 脳は細胞のかたまり、ただの肉だ。 その肉でしかない脳が、どのようにして心だとか精神を生み出すことができるのか、それは現代の脳科学・神経生理学をもってしても、解明できない謎だ。 それをあんたはいかにも当然のように「人間は脳を介した精神である」という。 そしてあんたは「存在は性質で出来ている。性質と精神は同じ質である。(精神は性質である?)」という。 まず、性質は物があって性質があるのだから、物の属性だ。 性質はそれ単独では存在しない。 ロックのいう第一性質とは、物が有する客観的なもので、延長・形・固さ・重さ、などを言う。 ところが、あなたは「存在は性質で出来ている」という。 存在はすでに何度も言っているように「存在するもの・存在者(物)」とは違って、目に見えない、感覚できない、つまり現実存在しない。 「存在するもの・存在者(物)」が性質を有するというのなら分かるが、存在が性質を有するというのは分からない。 あなたの誤解・曲解でしかない。 性質とは物理的性質のこと、精神はただの言葉、概念だ、それがどうして「性質と精神は同じ質である」といえるのか? バカも休み休み言ってもらいたい。 そしてあんたは「存在とはハイデガーのいう定義できない空虚なものではなく、人間に限らず、実存のことを言うべきである。でないと不可解(人間は存在である?)」と言っているが、「存在するもの・存在者(物)」はいくらでも定義できるが、存在は抽象的で、普遍的な概念だから、定義できない。 哲学を知っている人間ならば、そんなことはすぐ分かる。 あなたは哲学を全然知らないというだけ。 「人間に限らず、実存のことを言うべきである。でないと不可解」と言っているが、私からするとあなたの言うことの方が不可解だ。 実存とは何度も言うように現実存在のこと、そして現実存在だということは肉体を持つことであって、精神を持つことではない。 そんなことは子どもだって知っている常識だ。 子どもに向かって、精神とお菓子のどっちがいいか? と聞いたら、お菓子の方がいいというに決まっている。 「人間は存在である」と言っているが、人間は「存在するもの・存在者」です。 人間が存在しているのは事実だが、「人間が存在である」とは言えない。 さあ、チャンと回答したから、OKウエイブの担当者もまさか削除しないだろう。

yuniko99
質問者

お礼

私は現実存在が精神である等とは書いた憶えはないですよ、 人間は精神であるという定義にしてはどうかと書いたのです。 人間とは精神のことである(ゆにこ説)人間の体は動物です。 人間は精神であり。体は人間 の 体である。 人間にとっての第一の現実存在はデカルトの「我」です。 我が現実存在であり人間であり精神である。そして認識できる物も現実存在である。 と定義するのが望ましい。 心とか精神は此処にある。性質として皆さんの至る所にあります。 そして勿論脳を拠点としています。 マイケル・ザリガニという人の著書は知りません。 「存在は性質で出来ている」は訂正しました、「精神は性質で出来てる」の誤りです。 私の望みは 存在という言葉を 定義出来ない内容の無いものと定義しないでほしい と言う事です。どういう成り行きか知りませんが、哲学が 存在とは内容の無い定義することも出来ない無と同じものである。なんて言うもんだから 巷の人は「哲学って変わってるよなあ 存在は無で存在しないんだって 存在が存在しない?難しくてとても分からん」と思います。 哲学だけの世界で 苦しみの世界に貢献もしないで、国の税金で道楽している その様な哲学が 残酷だとは思いませんか?人を助ける哲学を作るべきと思いませんか? そりゃ私は「存在が無である」でも構いませんが。巷の人は絶望するでしょうね。 精神は見えないが第一に確認される実存である。そして性質で出来ていると 哲学の定義を変えて貰いたい。でないと理屈の合わない。 あなたの前の投稿が削除されて良かったですねえ あんなものを晒してたら恥ですよ。 ここの皆さんも貴方の知識に一目も二目も置いているのです。 また日本の思想なき若者達も貴方の見識を必要としています。それを自覚してください。 貴方は苦しむ鬱の人や 悩める人々を救いたいとは思いませんか? 彼らは次々に自殺しているのですよ。これは哲学の責任でもあります。 学識の上に今一度 人々の立場に立って考えて貰えませんか? どうも大変ありがとうございます。

関連するQ&A

  • 性質としての精神・人間存在、唯物・唯心の融合?

    私達人間は精神です、精神は性質で出来ています、性質としての存在が人間存在です 我思う処の我は 性質としての人間存在です。実存です。 実存でなくても客観視すれば世界が存在している事は自分が世界であることから間違いありません 物質が存在し その脳内物質の性質が精神としての実存を実現してる 唯心論と唯物論の融合です。人生観と世界観の根拠です。 存在性について語りたいのですが 分かる人が少なくて困っています。 誰か分かる人はいませんか?

  • 精神は性質で出来ていると思うのですが

    精神は性質で出来ていると思うのですが 皆さんはどうお考えですか 精神 或いは実存と言うものはどの様な存在なのでしょうか? 脳内の活動による性質の反応が精神として主体化したのでは と考えるのですが・・・

  • 人間は精神である。精神は人間の存在性である?

    人間と言うと体と頭に宿る精神と・・・と考えますが 私は極論ですが、人間とは精神の事だと言いたいです。 精神は人間の存在性であり。従って人間は存在性そのものです 存在しようという性質(のハタラキ)が人間なのです。 え~~~?という方も居られるとは思いますが そう思う貴方 貴方は精神ではありませんか? 精神がなくなったら、貴方ではなくなるのでは? 精神が存在性でなければ 人間は死んでしまうのでは? 存在性とは そのものを存在させる性質の事です つまり精神は性質なのです? おかしいでしょうか? 教えてください よろしくお願いしますm(_ _)m

  • 誰か「存在」を定義して頂けませんか?

    哲学ではよく使われる「存在」という言葉 しかしその定義 意味解釈は人それぞれ違うようです 存在とは何の事を言うのですが 私は 存在とは(個性ある)性質を持ったエネルギー・性質 と定義しました。 存在を定義するには何を単位?基準に存在とするかが問題だと思うのですが 実存主義でも唯物論でも何を持って存在とするかが違ってきます 例えば酸素分子は存在するのか?鎌やスコップは存在するか?動物は、人間は存在するか? 精神は存在するのか?宇宙は存在するのか? 存在はどう定義すればいいでしょうか?私の定義は間違っているでしょうか? エネルギー・物質の個性を単位にしたのですが。よろしくお願いします。

  • 人間存在とは何者でしょうか?

    人間とは何でしょうか と問えば 二足歩行とか道具を使うとか出てきそうですが 人間存在とは何か?と問えば どうでしょうか? 人間存在は体も入るでしょうか? 精神? 実存?もっと簡単に言えるでしょうか?

  • 精神は性質で出来ている か?

    私は色々考えた挙句 精神は脳の物質反応による性質のハタラキによって出来ていると考えます。 それ以外に説明がつきません そうだと言う方 そうじゃないと言う方の精神の存在の説明をお願いします。 性質というのは物質にもあり、生命・生物にもあり 人間にもあるものです。 性質とはその存在が持つ力 によるハタラキ そしてそのシルシでもあると思います。 これは結構大きな問題です。精神とは何か? 性質で出来ているか? [勿論環境(文明文化とか)や食物なども精神には関わってきます]

  • 私は精神は性質で出来ていると考えているのですが

    私は精神は性質で出来ていると考えているのですが 皆さんはどう思いますか? クオリアという考えもあるようですが 私の観測する限りでは この宇宙にはエネルギーと性質しかないと思えます。 精神は人間の性質としても働きますし 色んな性質を持っています 例えばカッターで物を切るという性質とか 車を運転する性質とか 人を抱く性質とか 懐中電灯で闇のなかを照らして見る性質とか 動物達が持っている性質も持っています。文字を読む性質などは脳内物質の働きでもありますが 脳のホルモン 物質 微弱な電磁波などの働きによって性質が実現してると考えます。 それは物質である酸素分子が性質お持つのと同じです。 どうでしょう?精神は性質で出来ていると言えるでしょうか?

  • 存在性思想は人間を救うでしょうか?

    どなたかの回答に 人類が自滅するのは99.7%の確率と新聞にあったとありました。 人類は賢いようで いつも失敗したり愚を繰り返します。 第一次対戦をやっておいて 第二次対戦をやる 食料がないと分かっていて子供を沢山作ってしまう 温暖化というと 氷河期が来るから構わないという 原発も攻撃されては危険とわかってるのに 集団的自衛権を認めて原発も認める 存在性思想とは検索されると分かりますが 存在を (個性ある)性質を持つエネルギー(物質などを含む)と定義します その存在が存在するためには 存在する為の性質を持つ事が多い 例えば猫が存在するためには 呼吸 歩行 捕食 見ること 聞くこと 嗅ぐことなどなど 数え切れない性質が関わって存在させています。 動物を例に出しましたが 物質でも人間でもそうです 世界の現実は存在をせめぎ合っているのです 存在性思想はベースに進化論があります 性質が単純なものから複雑なものに進化して 複雑な組織や意識を持つ存在が実現したのだと言えます しかし人間は動物とは違います。弱肉強食の生存競争は動物の進化です 人間の進化はそちらに偏らず 経験 学習 試行錯誤 思考 文化・文明で発展していくのです 過競争による過労死や格差社会は望ましくありません もっと調和して平和な世界を実現するために 目的を明らかにしなければなりません 目的は存在する事です 存在が目的で 存在が価値で 存在が意味の根拠です なぜならこの世は存在が全てだからです。あの世は心の中の小宇宙にあるのでしょう 人間精神の小宇宙のことは千差万別ですから 文学や芸術や色んな文化の世界です。 エントロピーの増大も人間がいつの日かコントロールして エネルギー吸収型のリサイクル循環永久機関を実現できると考えます 生物まではエントロピーは増大するままですが、人間は組織化、秩序化で意識を持って 意識でエネルギーを出来るだけコントロールしていくようになると良いと思います。 キリがないのでこの辺で問いますが 人間はどうやったら未来の課題をクリアして 希望をつないでいけるでしょうか?人間は本当に滅ぶのでしょうか? 未来の新たな存在を実現する確率は 0なのでしょうか? 長文は苦手ですが ご意見を聞かせて頂けるとありがたいです。 よろしくお願いします。

  • 存在とは(個性ある)性質を持ったエネルギー・物質

    と定義してみました。 まずエネルギーと物質は同様のものと考えてください。エネルギー(物質)も 物質(エネルギー)でも定義に差し支えるので。エネルギーだけでもよかったのですが 素粒子、量子、超ヒモ、超弦、M理論を考えると エネルギーと書いてしまうと 科学通の方にお然りを受けるので エネルギー・物質 と書いているだけです。 取り敢えずエネルギーも無いところには性質も無い。性質のないエネルギー・物質もなければ エネルギーのない性質もありません。つまり幽霊は居ないと言う事です。 存在の基本は「エネルギーが在る事」であり 当然そこには「性質」も在って、量と質の二元が在る事になります。 科学はこれを測定するために観測などをして実験して証明しなければなりませんが 哲学はそれが出来ない世界も考えることが出来るのです。 性質の存在は「精神は性質で出来ている」ので心の世界「唯心論も」を考える時に重要です。 そして(個性ある)としたのは 個性を持って「存在」と考えないと、何処から何処までがつながっているのか?その実態はなんなのか?などと言い始めたら定義ができないからです。 酸素なら「酸素分子」「酸素原子」「酸素の同位体」オゾン等々の個性を認めないと 「ここには酸素が存在する」と言えなくなってしまうのです。 色即是空とか言い出したら訳が分からなくなります。それがいいと言う人は、酔っ払ってるようなものです^^ 人間でも私「ゆにこ」ならゆにこの性格や体。五体満足か病気はしてないか?ゆにこの能力 知能指数(75?^^)ゆにこの思想などを「ゆにこ」の個性としなければ 荒井さんも山川さんも近藤さんも 1だ 数学の一人 1に過ぎないとか言ったら 私の存在もあなたの存在も味噌も糞も一緒になってしまいます。そこに個性で存在を認めなければ訳が分からなくなります。酩酊してしまうのです。 この様に定義しましたが 如何でしょうか?

  • 存在とは?存在性思想とは?性質進化論など?

    以下の文章で(分かり易く書きました)問題はありますかね?何処がどの様に? この世の不条理に苦悩する人々、若者たちの心は偲び難いものがある 我々は理性で真理を捉えない限りその解決を見ないだろう なぜなら人間は数知れない戦争や戦いを繰り返して来たからです。 私が考えるに存在を定義しない限り哲学は結論が出ないのであって 存在は今まで定まった定義がない。 一説には存在とは内容もなく、無のようなものと ハイデッカーが言ったとか、これはあまりに無残だ 私の説では存在をエネルギーと性質の個性として捉える そう捉えなければ他にどう捉えるのかこちらが聞きたい 定義するならば 存在とは、性質を持ったエネルギーである(単位として) もっと分かり易く書くなら 存在とは、個性ある性質を持ったエネルギーである(個性が単位) この個性とは蜘蛛とかアカシアの木とか人間とかドラム缶とか 大概この世にあるものは言葉で言い表される個性を持っている その個性が単位だ 蜘蛛なら一匹二匹 木なら一本二本 アカシアの木、ブナの木、樫の木、桜の木、檜、杉の木等などの個性がある 蜘蛛やら虫やら数多の微生物やら菌類やらウイルスまで色々と個性がある 人間でも猿の仲間でも個性がある。人種にも一人一人にも個性が有って 一人として同じ人間はいない。 ドラム缶でもダンプカーでもPCでもコタツでも人間の作るもにも個性がある 芸術にも個性があるというから在るのだろう。 存在とは、個性ある性質を持ったエネルギーである 此処で「性質」と「エネルギー」について色々と考えた 「性質とは何か?」そんな性質なんてものが在るのか? 性質とは物質などのエネルギーの属性とされて来たが 女性が男性の属性のように扱われて来た様なもので、性質は物質などと独立した存在である その証拠に、性質はエネルギーがどのように変化しても常に真理を体現する エネルギーはどの様にでも変化するが、性質は同様の状態なら同様の性質が現れる 性質は作用であり、働きであり、相互作用です。 そのような存在が在ると考えた訳です。 次にエネルギーを考えたら、ある人が「この世は全て物質で出来ている、光も重力も素粒子だ!」 と言うので、物質もエネルギーの一種と思っていた私は 存在とは、(個性ある)性質を持ったエネルギー(物質を含む) 或いはエネルギー・物質 と書くようになったのです。 端折りますが 次に精神ですが、精神とは何かを私が観察し、思考した限りでは この宇宙に精神の様に言葉や情報などの多様性を持つものは 性質を置いて他にはない と見て取りました。 他に何があるでしょうか? つまり精神は脳の微妙且つ複雑且つ法則に則った反応の性質部分の事である 言い換えると 我々は性質で出来ていた。我々は性質だったのです。 聖書で言う「言葉」と言う事でしょうか。 こじつけるなら 宇宙が神で、エネルギーが精霊で、イエス(言葉)が性質だという事です。 今日はよく考えずに始めたので最後までは書きません 乞うご期待 次の文章で閉じます この存在性思想は進化論の原理であり、存在が淘汰されてより良い存在、より存在性の強い存在が 存在できるのだという考えです。存在はせめぎ合い存続することが存在するに有利となりました 存続とは引力と循環や回転によって同様の個性を維持する事です。 光も個性ですし電子雲も個性です。 酸素も個性なら DNAも個性です。 しかしここで勘違いをしないで頂きたいのは、人間は脳で考えを淘汰して良い考えや性質を選びます ですから人間は動物のように(体は動物ですが心は動物じゃない)争いや弱肉強食をしない方が 安全に進化していけるのです。人間は破壊力がすごいんでIS等が起こったら何百人も殺します そういう争いは避けるべきなのです。競争は適度にやるのが良いです。 この存在性思想は別名で呼ぶなら「性質進化論」と言う風に呼べると思います。 以上の文章で何か得る物があるでしょうか?