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浪人するか、否かについて
私は物書きを目指し、大学、とりわけ文学部への進学を志望しています。しかし、元々は偏差値40程度の高校の出身で、ふつうの高校生であれば学ぶはずのことも十分に習いませんでした。ある時までは就職を考えていましたが、尊敬する先生から勧められて急きょ、インターンを経たのちに就職を辞退して、大学進学を決めました。けれども、初めは推薦入試(AO・公募制のいずれも)しか頭になかったので、両方とも落選してしまった去年の十二月より、本格的に一般受験を考え始めました。先述したとおり、通常の(というと語弊があるかもしれませんが)教育を受けてこなかったので、なんとか国語だけで受験できる大学を探し、三か月かけて一から勉強しました。 今年は既に二校を受験しましたが、そのどちらも落第してしまいました。一般的に一流私大、準一流私大と呼ばれているほどの難易度のようなので、私などは落ちて当然だとも思います。しかし、国語一筋で勉強してきた上に、普段勉強しているときには自信を感じることも多々あったので、中途半端な自尊心がかえって自分を辛くさせています。予定としては残り三校の受験が残っていますが、受験料を支払ってくれる親への負担を考えると、たとえ合格したとしても進学する意義があるのかどうかわかりません。 物書き、いいかえれば作家という職業に就くことは最終目標ではなく、在学中に文学や、その他の学問について幅広く学べれば満足です。ですが、そこが世間的に評価を受けている大学でなければ、尊大な私には努力をする気さえ起こらないかもしれません。浪人も考えていますが、実は私は、高校は九月入学で、去年の九月に卒業しました。なので、現役生よりも一つ年上であることを思うと、果たして挫折せずにやっていけるかどうか不安になります。 贅沢な悩みと感じる方もおられるかもしれません。しかし、このような立場で懊悩する人間もいるのだとご理解してくださった上で、何かお言葉をいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。
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- snaporaz
- ベストアンサー率40% (939/2342)
シンプルに受験の戦績を見る限りは「推薦AO全滅」、 「国語一点買い・高望み一般逆転作戦」も惨敗予測、 戦意も喪失中(長文質問と返事で現実逃避、時間も浪費)という無残な状況。 これをもたらしているのはひとえにあなた自身の学力不足。これまで学びの機会に恵まれなかったのもあなた自身が選んだこと。既卒なのだし、周囲のせいにせず、現実として受け止めなければなりません。 「国語一点買いできるような大学」の世間的な評価はあなたが考えているものとギャップがあるはずです。上位校ほど「マルチな能力」を求めるからです。人並みのことはこなしたうえでさらに余力があってしかるべきだからです。 試しに、実際に落ちた大学学部を、伏せずに挙げてみてください。ここでの反応も「落ちたのそんなところだったの?」と冷ややかになるでしょうし、そのレベルからであれば浪人したところで行ける大学は(したがってそこで得られる学びの質は)たかが知れている、という予想もついてしまいます。 長文を書きなれている印象は受けますが、ずいぶんとひとりよがりな文体です。それでも「自らの筆力を信じ、それで食っていきたい」というのなら半端な大卒のラベル獲得(求職時の学力担保に大学の威を借りる策)に4年もの時間とコストを費やすよりも、たとえば「シナリオライターや記者養成の専門学校」とかのほうがまだ純粋に書くスキルの向上、ひいては(フリーランスから始めることになるでしょうが)職を得ることにも直結するのでは。 食い扶持は別に確保し趣味的に書く程度で満足、ただしアカデミックな教養は身につけたい、というのなら、「書く」という専門スキルへの執着は捨てて「就職」「就社」優先のつもりで浪人し、高校時代にやるはずだった複数の教科をあらためて今日から一年間真摯に学習しその範囲で「できるだけ名のある大学」に進むべきでしょう。 極めて低いところからのスタートなので、持ち時間も選択肢もそんなにはない、迷っている場合ではない、下手の考え(は結果として)休むに似たり、ということです。
まだ高校生なので、将来の目標が定まらないことは特に責められることでもないと思います。 物書きになれたらいいな、というのは横に置いて今は大学進学をどうするかですね。 ご質問文を拝読して感じたのは、他の方も指摘されているので耳が痛いかもしれませんが、何となく文章がおかしいことです。 文才…ということより、単語の使い方が微妙に違うんです。 文法的に違うというものもありますが(たとえば落第。ここでは不合格と言うのが適切かと思います)、他にも文章全体のバランスから考えて他の表現を選んだほうが適切ではないかと思う部分が多くありました。 おそらくそういうところが入試にも反映されたのではないかと思います。 選択問題の微妙に違う2択で間違えたとか、記述式の問題で微妙に減点されたとか。 次の試験日まであまり日がないとは思いますが、その辺りを考え直してみるともう少し有利になるかもしれません。 その上で進学についてですが。 残り三校について、受かったとしても行きたいかどうかわからない…という気持ちは、受けていない今だから出るものだと思います。 実際に受かれば、達成感やその他色々な喜びで気持ちが逆転する可能性は大いにあります。 なので受験料のことは気にせず、ひとまず全力で受けてみては如何でしょうか。 親に申し訳ないというのは実際に親が渋った場合に言えば良いことです。進んで出してくれているなら親御さんも「払ってあげることでの満足感」を得ていますので、そこは気にせず受け取ってあげて下さい。 大学進学をしたほうが良いか否か、については、私は行ったほうがいいと思います。 やっぱり大学を卒業した人とそうでない人とではどうしても基本的な知識の土台が違ってくるので… 学歴が将来にさほど影響しないという考え方も大いに認められる部分はあるのですが、それは「どうしても進学できる環境じゃなかった」という場合であって、質問者さんのような状況であれば行ったほうがいいと思います。 世間的な評価については、何を基準とするかですね。 恐らく早稲田や慶応といったレベルではなくもう少し下のランクの大学を受けておられると思いますので、その辺りになってくると偏差値と世間的な評価が必ずしも一致しない大学も多いです。 自分の性格に合っているかどうかっていうのもありますし… ただ、こういうのは第六感的な部分が割と信用できて、「なんか嫌だ」とか「ここは良い感じだ」とかそういう気持ちがあればそれを大事にしてみるのも手です。 浪人するかどうかは残りの結果が全て出てから考えればいいのではないでしょうか。 就職するにしても、とりあえず目の前のことをやり切ってしまわないと次に進めないでしょうし、面接でも何と言ったらいいかわからなくないですか。 まずは次の試験、頑張って下さい!
- potatorooms
- ベストアンサー率28% (3506/12498)
ライターさんやデザイナーさんにも依頼する立場の仕事をしています。 就職って言葉が出てきたので驚いているのですが、物書きと就職の間に、どのような折り合いをつけていますか? 先に書いておくと、世の中のほとんどの出版社、マスコミの社員の仕事に、世に出る文章を書く仕事はほとんどありません。 また、出版社、マスコミに限らず世の中のほとんどの人がつくホワイトカラーは、そのほとんどが文書を作る仕事です。 それで生活をしている物書きさんの多くは自営業です。編集プロダクションに所属している人もいますが、その手の人はライターさんです。自分の書きたいものを書く仕事ではありません。 みそララ という漫画に小さな編プロさんとそこに入ったライターさんの仕事が描かれています。イメージがわかないなら読んでみては? あと、念のため。 昨日、何時間勉強しました? 難関大に受かったほとんどの人は、悩んだ時にもペースを落とさずに勉強してます。また、勉強の予定ではなく実績の記録をつけています。成果を確認できた時に、やり方の見直しをするためです。 いま、これができていないなら、浪人はしないほうがいいかと。 もうひとつ。 作家や漫画家になりたい人は、なれたかどうかはべつにして、必ずネタ帳を思っています。これ、何冊くらいに育ちました? この辺が伝わらなかったら、星新一という作家さんを追いかけてみるといいかも。
物書きしたいなら、大学なんて行かないで、ずっと書いては応募を繰り返せばいいと思います。 それをずっとやって、評価されなければ、文才がないとあきらめつくでしょうし。 大学進学や就職にも身が入るでしょう。 あなた自尊心めちゃくちゃ低いですね。 自尊心高かったら、偏差値も大学名も気にしない。 自分はすごいという根拠なき自信があるはずだもん。 看板に依存してるわけです。 就職の時も大企業ばかり狙って落ちて、ニートになりそうなタイプですね。 もはや大学行く行かないよりも深刻な問題だとぼくは思います。 もっとも、目標高いのはいいと思います。 ですから、浪人しつつ、アルバイトで下っ端の仕事を体験してみるのがいいかなと感じました。
お礼
現代の自分には打ち破る常識さえ満足にない状態なので、もっと世の中を見、多くの知識を身につけてから書きたいと考えています。 自尊心は低くありません。打たれ弱くもあり、他人の評価によって自信の多少が変化しやすいのです。そもそも、大企業は受けたことがありません。インターンに行かせていただいていた企業も、その業界でそれほど有名というわけではありません。ただ、そのときは大学に進学したほうが自分のためによいと判断して、お断りしました。
- doraneko66
- ベストアンサー率11% (535/4742)
どちらへ向かおうがどちらでも良いのですが、文学者の就職先なんて 甘く考えていると厳しいと思いますよ。 下手すると浪人して入って卒業してもフリーターってことにもなりかねないし 受験料も払い、浪人費用も払い、就職先に苦労してフリーターになっていたら もともこもないとは思います。 だから、明確な目的と目標がないと厳しいんじゃないかと思います。 これが理系ならまだたくさん就職の幅も広いんですが 文学は色々広がっているとは言え、就職先の幅は狭い と思います。 学業を深めるだけで大学に入るのには、甘いし親にも申し訳ないと思いませんか。 もちろん大卒と言う学位を取り、学校の先生になる保険を 持つと言うならそれはそれで良いと思いますけどね。 絶対に卒業後、夢の方向も夢やぶれた場合の方向も考えておくべきだと思いますよ。 せっかく大学に入れてもらうのに将来のことを考えないのは 親に申し訳なくナンセンスだと思います。 はっきり言って学業だけ、特に文学を深めたいと言うなら 図書館に行き自分の努力だけでも十分深められますよ。 と言うか、社会に出たら常に勉強することが発生し勉強しなければなりません。 作家と言う目標に対して、大学へ行こうが専門だろうが どこも通り道に過ぎません。 どういう知識を得ようが作家になれれば問題ないし どういう知識を得ようが作家になれないのであれば問題はあります。 最悪、早々に作家になれるのは時間がかかることだと思いますので なれない時期にちゃんと生活基盤は作れる人間にはなっていたほうが 良いのでそのための目的とか目標も必要だと思います。 でなければ、あなたのわがままで大学に入ったのに 親に申し訳が立ちません。
お礼
確かに、親に申し訳ありません。一応理解をいただいていますが、学問ばかりにこだわって果たして就職できなければ、大学に入ったことを後悔し、親に申し訳なさを感じるかもしれません。しかし、作家になるというよりも、自分の書く文章を読んでもらいたいという気持ちが大きいので、卒業後はどの職業にでも就き、それとは別に何か書いてみることもよいのではないかと考えていますし、親にもそのように話しています。 このような場でも文才がないと言われてしまうほどなのに、何か文章を書いて人に読んでもらいたいなど、浅はかな考えかもしれませんね。
- potatorooms
- ベストアンサー率28% (3506/12498)
作家についてもアドバイスしておきますね。 物書きには、ライターさんと作家さんがいます。あと、作家さんにも商用作家と同人作家があると思ってください。 ライターさんはいわば職人さんです。出版社やスボンサーの求めに応じて文章を書くことを請け負う仕事です。 ライターさんに求められる最大の才能は締め切りを守る力です。読み手を惹きつけるのは依頼側の役割で、期日までに求められたものを仕上げる力です。 そのためには、何が求められているかを正確に把握し、実現することが必要です。極端なことを言うと、そこに書く技術はあっても、文才は要りません。 商用作家は、自身の文章でどれだけ多くの読者を引き寄せるかを問われます。書く内容を出版社が要望したり、売れる作風を押しつけることはありますが、基本的には作家が自由に書きます。 どれだけ惹きつけられるかという才能が必要で、文章を書く技術は重視しません。リライトしないと読者に意味が伝わらないような作家さんはいくらもいますし、誤字、誤用を直すのも編集者の仕事です。締め切りを守らせるのも編集者の仕事です。極端なことを言うと、売れない本を書かせるくらいなら、五年でも十年でも待つのも出版社の仕事のうちです。 自分の書きたいものではなく、売れるものを書ける人が優秀な商用作家です。 最後に、同人作家は、売れるものではなく、書きたいものを書く人たちです。 誰でも人生の後半には、自身の書きたいものを書くことができます。で、教わることで、誰かに読まれるものを書く機会を得る人もいる。その中で、自分の経験以外のもので読者をつかめる人たちがいて、さらにその中で、何作も書ける人がいる。 書けることが重要なのではなく、読者をつかむ作品の設計図が書けることが重要なんです。それが文才なんじゃないかな。 で、その設計図の書き方をスキルとして確立できた人が商用作家になれる。さらには、一生で書ける以上の速さで設計図を生み出せる人がいて、そうなると、文章を書く人とか完成させる人とかに任せることも考えないと追いつかなくなる。 表立っては、作家なのに原作、原案にまわる人がいたり、ライターさんに任せる人がいたりする。 さて、ご質問者さんは、文才がある人? それとも書く技術がある人? そして、何を目指したい?
お礼
私は、私自身に文章を書く才能があるとは思えませんし、書く技術も今はほとんどないといってよいくらいです。ただ、将来、お仕事をいただければ、雑誌やニュースサイトなどでコラムやエッセーなどを書いてみたいですし、個人的に書きたいと思っているものがある程度形になってきたら、文学賞への応募や、同人誌を作ることも(この二つは既に経験があります)考えます。自分の先生に常日頃から、専門家はいけないと教わってきたので、いろいろな形式に応じられる物書きになりたいと考えています。
>何をもって「文才」というのかわかりませんが、文学的表現の多用されているものを「文才」のある文章とするのでしたら ちがいます。まずは論理的で理解しやすい文章が書けるかどうかです。これはふつう作文力(文章力)といい,ベーシックな部分です。さらに「文才」といったときには,自己の文体をもっているか,独創的な観点をもっているか,豊富な語彙を駆使できるか,表現に揺れがないかなどもふくまれてきて,総合的にいえば「読んで面白いか」です。 ぼくは入試や期末試験で,高校生や大学生の志望理由書やら論述式答案やらを「いや」というほど読みます。その感覚で質問文を評すると,「国語的にはいちおう書けるらしい」だろうと思います。ただし,入試では「落選」とか「落第」とはいいません。大学受験に方向転換した説明も冗長です。たった三ヶ月の勉強を「一筋」とはいいません。9月入学・卒業の事情も不明です(帰国子女なので日本の高校受験に合わず,その結果として偏差値40なんですか?)。 ベーシックな論理性では,かなりおかしいと思います。あまり勉強できなかった(環境のせいにしてない?)という事実と,一流私大がどうのこうの,自尊心がどうのこうのが,ぜんぜんつながらないのです。「自信を感じる」根拠も不明です(偏差値40の高校の期末試験で満点連発でもたいしたことはありません)。 決定的には,ほんとうに熱心な作家志望なのか,わからない点です。当初は,就職して余暇に文章修行をするつもりだったのですか? 先生からなにを「吹き込まれた」のですか(その一言で作家に鞍替えしたのですか)? まあ,そこらは脇へ置いておいて読んでいると,後ろで「物書き、いいかえれば作家という職業に就くことは最終目標ではなく、在学中に文学や、その他の学問について幅広く学べれば満足です」とはぐらかして(逃げて?)しまいましたね。「なに考えてんだろ」という疑念が生じます。 >そこが世間的に評価を受けている大学でなければ、尊大な私には努力をする気さえ起こらないかもしれません。 けっきょく,早稲田の文学部を卒業(または中退 笑)して,有名作家になりたかったのですか? そういう解答しかでてこないようにも思えます。 だから,「追加募集の無名大学でもいいから,大卒でもういちど考えてみなさいな。作家になれなくても,餓死することはないだろよ」と答えたのです。
お礼
独創的な観点を持っているかを重視しているのに、たとえば一単語とっても、「ふつう○○とはいわない」といって普通以外を排斥してしまうのでは、結局固定した文章に到達してしまうだけで、「独創性」とは体の良いお言葉にしか感じられません。九月入学の事情は書かなくてもよいだろうと判断して書きませんでした。 三ヶ月では短すぎるのでしたら、世間ではどのくらいの期間をもって「一筋」と呼んでいるのでしょうか。私はこれまで長く勉強を続けるということをしたことがないので、三ヶ月でも長いと思えたのですが、私が非常識でしょうか。 勉強しなかったのも、そのせいで失敗しているのも私です。しかし、人が勉強するなどして能力を高めることができたとき、環境の負うところが大きいというのは、他の受験生の話を聞くと確かに感じられることです。なので、私はたとえばある人の失敗をその人だけのせいにはしません。その人の失敗は、その人の育った環境に大きく起因していると思います。 自信を感じることの根拠は、たとえば買った問題集をやってよい点数が取れたことで、在籍していた高校の期末試験などは一切関係ありません。 誰かのために作家になりたいと考えているわけではないので、誰かに対してはぐらかしたり、逃げていたりするつもりはありません。大学で勉強することが一番であって、まだ実際に就職することについては漠然とした希望しかないのです。ただ、初めから就職することばかり考えていて、勉強することを「逃げ」としか思っていなかったのであれば、大学進学は考えず、初めから作家養成スクールに入って勉強していました。
No.4の方の「追加募集」というお答えに同意します。 定員が割れる寸前の大学ですから,「一般的に一流私大、準一流私大と呼ばれている」大学ではありえません。もちろん,入れりゃいいと単科の「●●工業大学」ではだめですが,文学部のほかに現代文化学部や社会学部などの文系学部でもいいと思います。 追加募集では,問題作成に時間がかかる「国語」は避けて,「小論文と面接」という試験科目になると思います。作家志望なら,後者のほうがむしろいいんじゃないですか。 >国語一筋で勉強してきた上に、普段勉強しているときには自信を感じることも多々あったので、中途半端な自尊心がかえって自分を辛くさせています。 質問文には,それほどの文才は感じません。辛いだけのプライドなんか,捨てたほうがいいです。 なお,文学部が過去に拘泥しているという(産業界的・文科省的な)考えは,改めたほうがいいです。むちゃくちゃに長い伝統のもとに,現代の問題もあつかっています。
お礼
追加募集のことを合格者の追加発表と誤解していました。再度試験を設けるということのようですね。何をもって「文才」というのかわかりませんが、文学的表現の多用されているものを「文才」のある文章とするのでしたら、確かにおっしゃる通り、この質問は「文才」の感じられない文章です。文学部が過去に拘泥しているという内容は確かに全体に通用する考えではありませんが、国語を勉強し、面接をうける中でそのように痛感したものであるので、申し訳ありませんが、素直に改めることはできそうにありません。
- doraneko66
- ベストアンサー率11% (535/4742)
>大学と同程度のことが学べるものでしょうか もちろん2年と4年では学べることも違うでしょう。 大学では幅広く、深い知識を得られるでしょう。 ただ、それを得たとしても作家になれるわけではありません。 またその幅広く、深い知識に捉われているだけとも言えます。 りっぱな大学で出てプライドが高くいるわりにネットカフェ難民になる人 今では高等遊民なんて言う言葉が流行そうですが、そういう風になる方も いますので、一概に目標や目的なしに大学はお勧めしませんが 尊敬する文学者や先生がおり、学びを得てどうなりたいのか明確な目標が あるなら大学は良いと思います。 大学は大学の良さがあり、専門は専門の良さがあると思うだけです。 そのあたりはそれなりに色々と調べてください。 ぶっちゃけ早く社会に出ていたほうが個人的には良いと思います。 早く社会に出て、現場を知るほうが何倍も勉強になります。 大学だと1から10の手順を教えてくれるかも知れませんが 社会に出たら1から10の手順なんか踏まずに働くこともあるし そのノウハウもあります。 また、その大学にもよると思いますが、大学のイメージとしては たくさんの古い知識の蓄積はありそうですが、最先端の傾向とか 現場の活動には疎い気がします。 特に文学と言うところについては、少し情報を仕入れるのが遅い気がします。 専門学校はその逆で、即戦力を求める企業側の意向を汲み効率良く 勉強をしようとするので、深く幅広くは個人の裁量によるところが 大きいでしょう。 ただ、先に社会に出れる分、ノウハウは早くから身につくし それなりの対価や収入を得られるとは思います。 ま、何を学び何を目標にするかによっても違ってくるし もう受験中と言うこともあり、あまり考えすぎず まずは受験に集中した後、大学だけではないことも視野に 入れたら良いのかなとも思います。
お礼
明確な目標、という言葉が自分にはピンときません。そもそも、学問をするということに明確な目標は付きまとわないものだと考えています。あるいはそうだとしても、それは本当に学問が第一目標なのか、疑わしいです。就職については、すでに一度そのチャンスを得て、自らの意志で断っているので、現場を選り好みしなければ特別に厳しいものだとは考えていません。文学部というものが、語学系の学部と違って現在や未来を見極めるものでなく、過去に固執するものであるということはわかっています。しかし、やはり先端を追い求めすぎるよりは、古い思想を根底に据えてから、ゆっくりと新しいものを知ろうとする姿勢のほうが、文学者にふさわしいように思います。 とりあえず、目先の問題に向かい、その結果を受けてから、もう一度考えることにします。
- potatorooms
- ベストアンサー率28% (3506/12498)
なら、追加募集まで諦めないことです。 滅多にありませんが、各大学、定員に満たなければ3月末から4月にかけて追加の募集をすることがあります。 情報は試験間近にしか出ませんから、あるかどうかわかりませんが、チャンスを逃さないことです。
お礼
どちらも、私の受験した方式にはないようでした。発表に何か間違いでもあれば良かったのですが、残念です。
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お礼
自分の文章を人に読んでもらう方法はたくさんあると思っているので、必ずしも作家になれなくてもよいと考えています。 勉強時間は毎日八時間です。昨日は当該の大学の過去問をやり、以前にやった問題集の中から、自分の苦手な内容解釈に徹底したものを選んでもう一度やり直しました。そのあとに、単語帳で苦手な単語ばかり選んで、説明を読んでから、演習問題をやりました。自分のやり方が合っているのか、間違っているのかはわかりません。 一冊のノートに書いているわけではなく、原稿用紙、メモ帳、テキストファイルなどに分けて書いているので、冊数には換算できませんが、メモを付ける習慣はあります。