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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:米国は、日本軍のコタバル攻撃をいつ知ったのですか。)

米国が日本軍のコタバル攻撃を知ったタイミングとは?

dayoneの回答

  • dayone
  • ベストアンサー率79% (360/452)
回答No.8

再度、失礼致しますm(_"_)m 前投稿では「私、門外漢の私見はハッキリしています」と申し上げましたが、 暗号解読云々の話を持ち出しますと収拾がつきませんので、 あくまでも日本側の視点に立ったお話とさせていただきます。 あと、前投稿の後に下記の記述に出会しましたが、 〇村川淳一作:日本陸軍航空史 http://lab4.jp.apan.net/nishiko/murakawa/ その13:開戦劈頭の快進撃/ 日本陸軍航空史(その13) ~開戦劈頭の快進撃~ 村川淳一 08.3.21 <画面:29-30/49> (2)コタバル上陸 最初の陸海軍協定では、ハワイ空襲が12月8日黎明(ハワイ時間04:30、日本時間00:00) とされ、その他の正面の攻撃は、これ以降とされていましたが、11月下旬に至って、 ハワイ空襲時刻は、飛行部隊の練度の問題から払暁に変更されました。 しかし、他方面への攻勢は詳細に具体化されていて、その変更が困難ということで、 そのままにされました。 上記では全体の参考文献が六つ掲げられていますが、この箇所の根拠はハッキリしません。 なお、前投稿の「日出一、二時間前「オアフ」島の北方約二〇〇哩附近にて全搭載機 約四〇〇機を発進」のソースが『大東亜戦争全史草案 第2編』だけでは心許ないので、 改めて他を当たって見ましたところ、下記「昭和16年上奏関係書類綴」の中でも 「日出一、二時間前「オアフ」島ノ北方約二〇〇浬附近ニテ全搭載機約四〇〇機ヲ發進」 とあって、「哩→浬」を除けば内容に差はありませんので、 「ハワイ空襲が12月8日黎明(ハワイ時間04:30、日本時間00:00)」の件は、 十一月五日時点に上奏とは別に密約があったのか、 あるいはそれ以前の計画だったのか定かではありませんが、何れにしましても、 十一月五日時点で公であったのは「日出一、二時間前…発進」の方です。 〇件名標題:兵棋ニ依ル作戦計画御説明ニ関スル件 昭和16年11月8日 [階層]防衛省防衛研究所>陸軍一般史料>中央>作戦指導>上奏> 昭和16年上奏関係書類綴 巻1 昭和16年9月~16年12月 [レファレンスコード]C13071024900[年代域]昭和16年[画像数]28 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C13071024900 <4・5/28> さてさて、 コタバル上陸開始予定時刻「八日01:00<日本時間>」(八日00:00<現地時間>)と、 真珠湾空襲開始予定時刻「八日03:30<日本時間>」(七日08:00<当時の現地時間>)との 両方が「同一時刻」ならば理想的なのかもしれません。 しかし、どうなのでしょう? ・「大東亜戦争全史草案 第3編其の1」 標題:第3篇 進攻作戦/第3章 布哇作戦 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C13071330000 <21/30> …若し途中に於て発見せられた場合に於ては空襲決行日の二日以前ならば 空襲せずに引返すことゝし決行日の前日ならば強襲を行うべきか 又は引返すべきかは当時の情況により決定する如く考えられていた。 上記の如く、二日以前なら発見されれば引き返し、前日ならば情況により判断の 余地はありますね。 でも、 真珠湾第一次攻撃隊発艦予定時刻「八日01:30<日本時間>」(七日06:00<当時の現地時間>) 以降、百機以上が編隊を組んでハワイに向けて南下、 哨戒機や一隻の船にでも発見されれば、何時交戦になってもおかしくはありませんので、 発艦時点を基準に考えてもおかしくないように思います。 駆逐艦ワードやレーダー捕捉の件は省きますが、ある意味奇跡としか思えません。 戦略上ではハワイ攻撃が有り得ても、戦術を考慮してしまいますと、 航続距離・補給問題、魚雷浅瀬問題、哨戒リスクなど諸々を重ね合わせると 現地ハワイやワシントンを含め多くは実現は無理と高をくくっていたのでは ないでしょうか? なので、コタバル上陸情報がハワイ、ワシントンに届いたとしても、 フィリピン危機は浮かんでも、ハワイ危機には直結しないように思います。 以上 前振りが長くなってしまいました^^ 肝心のメインテーマに言及出来ず申し訳ありませんm(_"_)m

kouki-koureisya
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。 Wikiの記述 「しかし源田の案により、暗闇での発艦を回避するため、攻撃隊の発進は当初の予定より2時間遅れとなった。この決定を軍令部が把握した時には命令変更の時間がなかったため、三代辰吉中佐がコタバル攻撃部隊へ伝達しないことにした。」 は、いったいどこから出てきたのか、図書館でいろいろ調べてみましたが、そんなことを書いている本はありませんでした。 ジョン・トーランドの『大日本帝国の興亡』 2巻に出ているそうですが、まさか著者の創作ではないでしょうから、「三代辰吉中佐」の話は何の話と混線しているのか気になりました。 それにしても 吉備国際大学社会福祉学部研究紀要 「アジア・太平洋戦争開戦に至る日タイ関係」には、「直前になって、海軍が夜間のパールハーバー奇襲を断念して、午前3時30分(ハワイ時間の午前7時30分)に変更したため、……」と書いてありますが、この“直前”とは、説明文全体の流れからどう解釈しても出撃当日または前日となりますね。 この論文の著者にどういう意味なのか、聞いてみたいです。 今回も大変お世話になりました。 今後ともよろしくお願いいたします。

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