• ベストアンサー

近衛文麿は何故A級戦犯なの?

近衛は開戦前に総理を辞めてるし 開戦後も戦争終結を奏上したりと奔走しました。 しかし近衛は戦後A級戦犯にされて自殺しました 近衛に直接の戦争責任は無いはずなのに何故戦犯とされたのでしょうか? 近衛は日米開戦を回避しようと動いていました 確かに軍部から見れば「弱腰」と見られて総辞職させられましたが 国際的に見れば戦争を回避しようとしていたのだから犯罪責任は無いはずなのに…

  • 歴史
  • 回答数1
  • ありがとう数2

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8861)
回答No.1

  何を訴因としたのか死亡したのでわからないが A級戦犯であるので ・日清日露戦争以来の日本の侵略戦争の指示立案の共同謀議の共同正犯 (かなり無理な理由だが、なにしろ東京裁判は、太平洋戦争日華事変のみならず、 直接 満州事変ノモンハン事変まで裁き、間接的には明治維新以降の 日本の対外政策を悪とみなしてるので) であると貴族院議長、日華事変開始時、三国同盟締結時の首相として 該当すると思われた。 副次的には やはり、中国のプロバガンダの対象として C級戦争犯罪であるが、南京虐殺時の最高責任者(と誤解されてた)である当時の首相として 生きていれば、死刑にされた可能性が高い、  死刑判決を受けた戦犯七名の中で日中戦争に関係なかった者は一人もいない。 軍人ではない文官の広田弘毅が異例の極刑に処せられたのも、南京大虐殺事件の当時の外相でありながら、大虐殺の報告を受けつつ、それを制止する措置を怠った不作為の責任が問われたことによる。 松井石根と広田弘毅の死刑は、まさに南京大虐殺の責任を取らされたものであった。  南京大虐殺の時の首相は近衛文麿である。近衛文麿はGHQによる逮捕直前に服毒自殺したため訴追を免れたのだが、市ヶ谷法廷に引き出される身になっていれば間違いなく中国の誤解と怨念により死刑判決を受けただろう。  。

azuki-7
質問者

お礼

東京裁判はアメリカの報復リンチだから それで殺されるよりは自ら死を選んだ近衛の判断は正しかったのかも

関連するQ&A

  • A級戦犯について

    賀屋興宣氏は、 近衛文麿内閣大蔵大臣、北支那開発株式会社総裁、東條英機内閣大蔵大臣を歴任し 大東亜戦争の計画や準備、実行などに主導的な立場で取り組んだとして 28名のA級戦犯の内の一人として訴追され、 極東軍事裁判で終身禁錮刑を宣告され服役しました。 しかし、戦犯釈放を願う署名運動を日本社会党が推進し、 当時の日本の人口7000万人に対し4000万人もの署名が集まり 衆議院は、1958年に戦争犯罪による受刑者の赦免に閲する決議を行い (日本社会党・日本共産党も賛成)により正式赦免となりました。 賀屋興宣氏は、 自由民主党公認で東京都第3区から衆議院議員総選挙に立候補し初当選 (以後5回連続当選) 自由民主党外交調査会長、自由民主党政務調査会長 第二次池田内閣法務大臣、第三次池田内閣においても法務大臣留任と 要職を歴任し、「戦犯」の立場からから見事な名誉回復をされました。 質問1. 与党の政策責任者(自民党政調会長)や 外国人の在留許可、永住許可、帰化を所管する国務大臣(法務大臣)に かつてのA級戦犯が就任する事に際し、 当時は何故、国内や近隣諸国から反対意見が寄せられなかったのでしょうか。 現在は、「A級戦犯」が合祀されているとの理由で、国務大臣が在任中に靖国神社を 参拝する事さえままならないのが現状です。 質問2. 禁固刑などで服役中の「戦犯」は赦免によって名誉回復の道が開かれた (この様に要職を歴任した人がいる)一方で、 前任の近衛文麿氏が決定した対米戦の開始を 内閣総理大臣として、懸命に回避すべく努めたにも関らず絞首刑に処せられた 東條大将に対しては、「戦犯」の汚名を着せられたまま 何故、名誉回復の道が全く無いのでしょうか。

  • A級戦犯

     靖国のことを質問されている方もおられましたので、批判も覚悟で質問することにします。  私が一番問題だと思うのは、敗北が決定的になったサイパン陥落後も戦争を続けたことです。  その時点で戦争がやめれれば、一般国民の被害もずっと少なくて済みました。    19年中にやめることができれば、大空襲も沖縄の悲劇も原爆も満州の悲劇もなくてすみました。  沖縄が陥落した後に、戦争をやめることができれば、原爆も満州の悲劇もなくてすみました。  広島の原爆のときに戦争をやめれば、長崎の原爆も満州の悲劇もなくて済みました。    A級戦犯と言われる人は、自分たちが始めた戦争だったから、命をかけて戦争を終えるべきであったと考えます。  無意味な、勝ち目のない戦争を継続させることは、それだけで重大犯罪だと考えます。  戦争を終結させる努力もしなかった。また、玉音放送を聴いて、責任を感じて自殺した軍人も多い中、逮捕直前に自殺未遂をした元首相。  日本人でも、厳罰を与えたい気持ちでいっぱいです。  それにもかかわらず、A級戦犯の方をフォローする人が多いのには、少し驚いています。  私に言わせれれば、何らかの形で裁かれなければならない人たちだと思うのですが、なぜ不当に裁かれた言われるのですか?  教えてください。  

  • 昭和天皇は、なぜA級戦犯の靖国合祀に不快感?

    「昭和天皇がA級戦犯との合祀が原因で、靖国に参拝しなくなった」というニュースについてお尋ねします。 右よりな考え方をすれば「A級戦犯だって国のために戦ったのだから、合祀は当然。参拝も当然」となりますが、昭和天皇はそのような考え方では無かったのですか? 昭和天皇は第二次世界大戦を軍部と進めましたが、戦後はその戦争が「間違いだった」と思っていたのでしょうか? ウォーギルトプログラムの影響ではないですよね? もしくは、神教との兼ね合いの問題なのでしょうか? 戦争で世界に犠牲者を出してしまったことは反省されていても、A級戦犯に対してそのような思いがあるとは意外に感じてしまいました。 どのような背景があるのでしょうか? なお勝手ではございますが、回答者様の個人的な戦争への評価やイデオロギーについての記載はお避けいただき、あくまで、昭和天皇の戦前から戦後の戦争観、歴史観、軍司令部・A級戦犯への思いの変化についてのご解答をお願い致します。

  • 日米開戦は回避できたか?

     はじめてここに質問します。  「戦争論2」を読んで日米開戦にいたる経緯を細かく知りました。石油の禁輸政策やハルノートを突きつけられれば、戦争もやむなかったと思ってしまいます。  ただ、このことで友人と話をしていたら「勝てないとわかっていながら戦争に踏み切ったのは無責任」、「幕末のときみたいに、戦争を回避することもできたんじゃないの?」といわれました。  質問は(1)本当に日米開戦は回避できたのか。     (2)回避したとして、その後歴史はどう動いたと思うか。 です。   (2)の補足として、回避したらアメリカの植民地になるだろうが、現在のように  自立した国家としての立場で高度経済成長は見込めたか、というような趣旨で  お願いします。

  • 靖国神社問題に対する疑問

    総理大臣の靖国神社参拝に対し中国、韓国は「A級戦犯」のみを問題にしていますが、この主張に疑問を抱いています。恥ずかしながら私もつい最近まで東条英機はダントツに悪い奴だと考えておりましたが、今では東条英機が総理大臣に就任する以前に首相を務めた近衛文麿にもっと大きな戦争責任があるのではないかと考えております。ことに中国に対しては明らかに東条英機よりも近衛文麿のほうが事態を収拾せず戦線を拡大させた責任が大きいと思います。それにもかかわらず中国や韓国は「A級戦犯」のみに戦争責任があり、近衛文麿が靖国神社に合祀されていても何の問題もないと考えているのでしょうか。私は近衛が自殺しなければ絶対にA級戦犯として絞首刑にされただろうと考えております。しかし中国や韓国は自殺して裁判を免れたから無罪放免だと考えているのでしょうか。あるいは、私の「近衛文麿に大きな戦争責任がある」という認識に間違いがあるのでしょうか。どなたか教えてください。

  • マスコミ関係者の戦犯訴追は?

    一部の軍人、官僚に戦争責任を押し付けて、自分達はあたか も被害者であったかのようにふるまうマスコミ連中のメンタ リティをとても腹立たしく思います。ニュルンベルグ裁判では ユリウス・シュトライヒャーという新聞関係者や、ハンス・フ リッチェ(ニュースキャスター)というマスコミ関係者が起訴 されています。そこで質問ですが、 1.東京裁判に関して、日本のマスコミ関係者で戦犯訴追 の対象となった人物っているのでしょうか。(起訴された かどうかは別として、戦犯容疑で取り調べを受けた人) 2.朝日新聞など、戦争遂行をあおったマスコミで、戦後 公式に謝罪、もしくは責任総括した社はあったでしょうか。

  • 太平洋戦争は回避する事が出来たでしょうか?

    太平洋戦争は回避する事が出来たでしょうか? 第二次世界大戦が始まる直前、 日本の政局も混沌と していました。 次々に短命内閣が現れては潰され 現れては潰されました。 そして昭和天皇が一番信頼し頼りにされていた 最後の元老西園寺公望も90歳で亡くなりました。 西園寺の最期の言葉は 「いったいこの国をどこへもってゆくのや」 期待していた近衛と袂をわかち 近衛を首班指名した事を後悔し続けたそうです。 そして西園寺の予言通りになってしまいました。 今現在も無責任体制で民主党政府は 「いったいこの国をどこへ 確かに近衛が首相のときに 支那事変がおこり、 高邁な理想とは裏腹に主体性なく思い付きの 行動を取り続け、軍部のつきあげもないのに 勝手に軍拡しながら「不拡大方針」を唱えたり 挙句は「国民政府を対手とせず」といって 断固膺懲路線に転換。いってることと やってることがちぐはぐなままずるずると 支那事変は拡大の一方をたどります。 近衛は汪精衛を擁立して日中宥和をはかるも 失敗。辞職します。 その後平沼内閣の時に独ソ不可侵条約が締結され 「欧州情勢は複雑怪奇」の名言を残し内閣総辞職 しました。 続く阿部内閣は第二次大戦の勃発があり、 三国同盟を陸軍部内から突き上げられますが 日米関係を考えて棚上げにするという功績を 残したものの統制経済の影響と 凶作の影響からコメが流通不足になり、 米価引き上げを図ってコメの出回りを 引き出そうとするが物価高騰物資不足となり 民心が完全に離反。 阿部はしぶとく内閣総辞職と解散総選挙で 局面の打開を図ろうとするも陸軍が民心の 反軍化を恐れて指示せず、内閣は総辞職。 新内閣の首相には当初陸軍大臣畑俊六が噂されますが、 昭和天皇が当時の日独伊三国同盟締結を 求める風潮を憂慮したために、 米内光政に組閣の大命が降下。 米内は組閣と同時に自ら現役を退き予備役に入り、 親英米派で日独伊三国同盟反対論者だったこと、 近衛文麿らによる新体制運動にも 冷淡な姿勢を貫いたこと等により 陸軍や親軍的な世論から不評を買います。 斎藤隆夫の反軍演説も陸軍の反発を招きました。 組閣から半年たって仏が独に降参すると 独伊への接近を企図し、 近衛文麿を中心とする新体制に期待して 倒閣の機会を窺っていた陸軍は、 畑俊六陸相を単独辞職させ 三長官会議にて後任を推挙しなかったため、 軍部大臣現役武官制により、 総辞職に追い込まれました。 昭和天皇は米内内閣総辞職について 「もし米内内閣があのまま続いていたなら 戦争にはならなかったろうに」と、 後年まで悔いておられました。 そのあとを継いだ近衛内閣は 北部仏印進駐、三国同盟締結、 日ソ中立条約、南部仏印進駐も決定。 日米交渉を開始したが暗礁に乗り上げました。 近衛の理想とした近衛新体制は 骨抜きにされ、大政翼賛会も骨抜きにされ どうにもこうにもにっちもさっちも 行かなくなった状況に近衛はさじをなげて 総辞職。 時局収拾のためには誰からも横槍の入りにくい 皇族内閣が適任だろうという事で 東久邇宮稔彦王(当時は現役軍人で 軍部の受けもよいだろうという理由) を首班候補に東条と近衛は推戴していたが 木戸が「皇族の指導によって 政治・軍事指導が行われたとして、 万が一にも失政があった場合、 国民の恨みが皇族に向くのは 好ましくない」として反対し 重臣会議を諮り、結局、 「強硬論を主張する東條こそ、 逆説的に軍部を抑えられる」という 木戸の意見を採択して東条に大命降下しました。 そして東条内閣の時に太平洋戦争が起きてしまいました。 現役大臣武官制がなければ 米内内閣の倒壊はなかったでしょうし 宇垣内閣の流産もなかったでしょう。 皇族初でおそらく最後の皇族内閣として 戦後の敗戦処理にたった54日の 短命内閣とはいえGHQと小競り合いもなく 見事なまでに時局収捨して降伏事業を 混乱もなく収めることができた 東久邇宮稔彦王殿下が東条内閣の かわりに組閣出来ていたとしたら 戦争には至らなかったかもしれません。 そこで質問です。 ※東久邇宮稔彦王殿下の皇族内閣が  第三次近衛内閣の後に組閣されていたとしたら  太平洋戦争は回避できていたでしょうか。 ※現役大臣武官制が復活していなければ 昭和天皇の信任厚い米内内閣が長期政権を 維持して、太平洋戦争を回避できたでしょうか。 ※太平洋戦争を回避できたとしたら現在の日本は どうなっていたでしょうか。 以上3点についてお答え願います。

  • 昭和天皇

    に戦争責任はあったのでしょうか? もし開戦に天皇が反対されたら戦争は回避 されたのでしょうか? それとも天皇は軍部に利用だけされた存在だったのでしょうか? もし天皇が「一億玉砕せよ。神風は必ず吹く。」 と放送されたら今の日本は無いですね。 そこが他国の独裁者と違うところですよね。 昭和天皇はやはり神と思います。 天皇を騙した政治家軍人に靖国合祀はふさわしくないと思いますが 皆様はどのようにお考えですか?

  • 太平洋戦争開戦の真相を教えてください。

    学校では日本軍の真珠湾奇襲が開戦のきっかけとなったと習いますが、奇襲の理由は習いません。 インターネットで調べたところ、ハルノートなるもので日本が追い込まれ、仕方なく開戦したとありました。 実際のところどうなのでしょうか? 太平洋戦争開戦の責任は日米どちらのものですか?

  • 戦争責任

    日本の行った侵略戦争では10人近くが戦犯として死刑判決をうけましたよね?戦前は天皇主権だったはずなのになぜ天皇はなんら責任は問われないのでしょう? 戦後総理大臣が謝罪したことはありましたが、天皇の口から、戦前に自分の親が戦争を止められずもうしわけなかった、なんていう発言がでないのはなぜなのでしょ?