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インパール作戦のときの英軍のグライダーって

kandaWolfの回答

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  • kandaWolf
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回答No.6

 インパール作戦当時のイギリス軍のグライダー利用は、二つあったように思います。  ひとつは、日本軍に包囲されたイギリス軍への「空中補給」。もうひとつは、チンデット作戦と呼ばれる、特殊部隊による後方かく乱です。  前者ですが、当時の日本軍のドクトリンは、敵の規模にかかわらず、まず攻撃、特に包囲を重視(通常は、包囲により相手の兵站線を切れ、戦闘が有利になります。)でありました。この戦いでも、補給物資がたりずよれよれの日本軍が、空中補給を受けているイギリス軍を包囲し、かえって、自分たちの方が補給切れに苦しめられたと言います。  チンデットの方ですが、グライダーは、イギリスの特殊部隊員の潜入や、彼らへの補給に利用されたと考えられます。グライダーは、音がしないし、レーダーにも映りにくいので、特殊部隊用に適しているのでしょう。  物資輸送に適さないとお考えになった理由はわからないのですが、  基本的には、本物の輸送機より、安い。音が静か。着陸距離が短い。等だと思います。その他、パラシュートで落とすより、確実に届けられるということもあるでしょう。

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