- ベストアンサー
三国志の張飛の字(あざな)。正史と「演義」
三国志で、疑問に思っている事があります。それは、張飛の字(あざな)です。 陳寿が書いた歴史書「三国志」では、「益徳」ですが、物語の「三国志演義」では「翼徳」になっています。他の人は変えていない様ですが、なぜ張飛だけ変えたのでしょうか? 「演義」が字を変えた理由は、自分なりに考えた答えがありますが、研究の結果導き出された正解があるなら知りたいです。ご存知の方、どうかお教えください。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
謎ですね。 はっきりした事はわかってないみたいです。 ただ、 >物語の「三国志演義」では「翼徳」になっています。 の部分ですが、 「三国志演義」にも色々ありまして、現存する最古の「三国志演義」と言われる明の時代の嘉靖元年(1522年)に作られた嘉靖本とも呼ばれる「三国志通俗演義」では正史と同じく「益徳」となっています。 「三国志演義」は多くの複製が作られ、その過程で内容が少々違うものもできたようです。 「三国志通俗演義」から100年以上経った頃、毛宗崗という人物が「三国志演義」を独自に改訂し、後に通称、毛宗崗本と呼ばれるものを出しますが、この本では「翼徳」となっています。 つまり「三国志演義」には「益徳」とするものと「翼徳」とするものがあるわけです。 ところで正史でもない演義でもない「三国志平話」(1321年頃)という本が元の時代に出ています。 この本は三国志時代の逸話集のようなものです。この本では「翼徳」となっています。 という事で、 正史(280年頃)・・・益徳 三国志平話(1321年頃)・・・翼徳 嘉靖本(1522年)・・・益徳 毛宗崗本(1660年以降)・・・翼徳 となるわけでして、これをどう考えるか・・・ 正史と言っても、必ずしも正しいとは限りません。著者の陳寿が自分が正しいと判断した事を書いたわけで、後に陳寿が取り上げなかったものを裴松之が注として収録したりもしています。 可能性は物凄く低いとは思いますが、もしかして正史が間違っていたとか・・・ もしかしたら三国志平話の作者は張飛を翼徳とする話を知り、そう記し、後に毛宗崗は三国志平話を信じ益徳ではなく翼徳としたのかも・・・ 既に他の回答者さんも言っていますが、ただ単に発音が似ているので当て字でそうなったのか、単なる複写時の間違いが広まったのか・・・ まぁ謎ですね。
その他の回答 (2)
- at9_am
- ベストアンサー率40% (1540/3760)
益徳 翼徳 は同じ発音です。 なので、特に意味はないんじゃないかな? と思います。
お礼
二つの音は同じ、または似ていますね。では何で張飛だけ変えたのでしょうね。物語だから、しかも劉備側は主役だから、「カッコイイから」という理由はありそうですが、当時のシナの人が、「翼はカッコイイ」という感覚だったのか分からないから何とも言えず…。 この部分、私が見た限り、本には「『正史』は益徳、『演義』は翼徳」とは書かれていても、その理由は書いてないのです。 ご回答、ありがとうございました。
- jun-tsuboi
- ベストアンサー率8% (164/1938)
こんにちは。 『翼徳』の方がカッコいいから。 三國志演義は蜀があった地域に住んでいた羅貫中が 書いたのはご存知ですね。 ですから蜀に都合が良い方に書かれています。 また三國志の正史も演義も三國時代から何百年も経っていますね。 記憶や文献もあやふやになった可能性があります。
お礼
羅貫中は蜀の人ですか。知りませんでした(汗)。確かに「翼」のほうがカッコイイ感じはします。シナの人たちの感覚も同じなのかしら?尤も、私の説もこれに似ていない事もない…。 ご回答、ありがとうございました。
お礼
正史と「平話」の間に千年以上の時間があります。そこには、「平話」に取り込まれた話や、切り捨てられた話がたくさんあったのでしょう。そういうのが少しでも残っていれば、「翼徳」の出処が推測出来る可能性があるのですが…。 私が考えた説は、次の様なものです。 劉備に長く仕えた主だった武将、関羽、張飛、趙雲。彼らは「飛ぶ」イメージの名、字を持っている。関「羽」、字は「雲」長。張「飛」、趙「雲」、字は子「龍」。ところが、張飛の字だけ「飛ぶ」イメージがなかったので、「益」を音の似た「翼」に変えたのではないか。… これも推測ですし(しかもシロウトの)、「こんな理由で変えた」なんて資料が出てくるはずがありませんから、これは永遠の謎、ですね。自由に想像をふくらませて楽しみましょう。 大変にお詳しいですね。勉強になりました!ご回答、ありがとうございました。