• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:人間が人間としての自覚を持って生きるためには)

人間が人間としての自覚を持って生きるためには

このQ&Aのポイント
  • 人間が人間として自覚して生きれば人間は自然淘汰の競争原理を克服して永遠に滅びないことを悟られたようです。
  • 人間は神の言葉を創り、言葉でお互いに対話することにより共同体という社会を構成して繁栄していました。
  • 人間が自らを滅ぼそうとしている現在、一番尊い生き物である人間は人間として自覚することを大切にし、争いを止め助け合うような生き方をすることが求められています。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.12

No.6です。 お礼ありがとうございました。 補足になりますが、人間の自覚のきっかけは「痛い目を見る」です。 上手くいかない。 失敗してしまう。 思うようにならない。 そんな痛い思いをして、自分と自分のプロセスを振り返るときが自覚です。 それまでに失敗を積み重ねた人は、より自分を見ながら進むので大きな失敗はしません。 しかし、小さな失敗をスルーして生きていくと、どこかで大きな失敗を必ずやります。 とても手痛い仕打ちを受けます。 その時、原因を外に探すなら失敗の連続になります。 それは気がつくまで終わりがありません。 自覚とは、新しいものを用意する必要はなく失敗して気がつくことです。 日本人の多くは、そして人類の多くはまだ気がついていない人であふれています。 気がつく人が増えれば、経済も立て直しできますし他の問題もクリアできます。 世界中が「ルワンダ虐殺」のようになる前に、気づいてほしいと願うばかりです。 日々是良好、今の時代の日本人でよかった。 痛い目に懲りて、それぞれがそれに気づけばこんなに平和で豊かな国は他にないほどです。 自覚=痛い目で気づく 自覚のために新しいものは、一つも必要ありません。 と言うことです。 この補足は、どちらかというと質問者様以外にもという思いを持っているので書きました。 少しでも、誰かのお役に立てればと願いを込めてです。

Tefu_Tefu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >少しでも、誰かのお役に立てればと願いを込めてです これこそが人間の心だと思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (12)

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2725/5435)
回答No.2

まず人間の自覚とはなんでしょう?・・人間の本質は「我」でしょうか? 自覚とはなんでしょう? 「全知全能」この意味は?・・神仏は我々人間の知らないことも知っている・・ということは、神仏の大きさを我々は測り知ることも出来ないということですよ。 で、それらがなぜ人類が滅びないという一つの結論に到達するのか、途中がすっぽ抜けていませんか? なにか、答えを得ているように見えて、何も得ていない・・そんな風に感じられるのですけれど。

Tefu_Tefu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >人間の自覚とはなんでしょう 人間は 自ら環境に活かされている生き物であると認識すること。そして 健康な精神と健康な肉体を保つということ 人間は 呼吸により適度な酸素を体に運ぶことで精気を養い 適度な食物を得ることで生きることができます。 人間は 共同体を創ることで豊かさを持つことができていると認識すること。そして 「慈・悲・喜・捨」の心を失わないということです。 >「全知全能」 そうですね 人間は三位一体(「父」と「子」と「聖霊(聖神)」)によって創られています。人間は 父でもあり子でもあり聖霊でもあるのです。貴方が聖霊を信じなければどうしようもありませんが。 人間は 五感で認識できるのは目の前の僅かな時空間であることが分かりますか?ならば 何故 認識できない時空間が存在していると思えるんでしょうか?答えは 人間の精神が記憶で補っているんです。この時空間を補う行為が聖霊なんです。 よって この世界を存在させているのは 貴方であり 父であるんです。 >人類が滅びないという一つの結論に到達するのか 父であり子であり聖霊である 私達(共同体)が「慈・悲・喜・捨」の心を失わないで 一番尊い生き物として生きることができれば 一番尊い生き物は滅びないと人間(一番尊い生き物として生きることを選択できる)は滅びないと信じるでしょう。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#181644
noname#181644
回答No.1

こんにちは。 人としての尊厳を見て、それをいかに守るか、そのように考えた時、人間本来の静けさや落ち着き、意識のまとまり、精神の明晰さ、こころの強靭さや柔軟さ等々が発揮され、人間らしく生きられるのではないかと考えます。 死や無を妄想して恐れることなく、生存の執着を克服し、(人として)活き活きとした人生を歩けるようになるのではないでしょうか。 私はそのように考えます。

Tefu_Tefu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >人としての尊厳を見て 人間は自らのことは 自分では観ることはできないので 他に自己を投射することにより 「慈・悲・喜・捨」(慈しみ、憐れみ、随喜、落ち着き)の心 を確認することができるということですね。 私もそのように思います。そこで 自らの健全な精神と健康な肉体を保つことにより 知彗により生きていけたらと思います。 >死や無を妄想して恐れることなく 私は 死や無は人間を生かすためにあると考えます。生存の執着は 人として生きていくこととは直接には結び付かないと思います。人は自分がやりたいことがあれば そのことに無我夢中で専念するだけです。 人間が他の生き物と違う処は 他人と喜びや悲しみを分かち合い 生きていくために協力できることだと思います。大事なことは この世界で他人がいなければ 自分が何をやったとしても虚しく感じるのではないでしょうか?

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 我が家は仏教なんでしょうが、仏教が解りません。天台宗となっています。

    我が家は仏教なんでしょうが、仏教が解りません。天台宗となっています。 人間は死んだら、死後の世界は極楽浄土なのか、輪廻転生なのか、無なのか? いろんな法要がされますが、僧侶はなにを信じ、お経を唱えるのでしょうか? それと、経典には死者を弔うものはないと読んだ記憶があります。

  • 解脱後のヘルプミ―

    輪廻転生から解脱し、極楽浄土へと向かった後にこの世から助けを求める人(ゲームや漫画やアニメDVDが欲しい、他者にいじめられている、イラスト描きたい、建物を建設したいなど)が存在しているかもしれません。 この場合はどうしますか? 1:見ているだけ 2:下界に降りて助ける 3:既にこの世の生き物が全て絶滅しているのでどうしようもない 4:創造神に助けてもらう 5:その他

  • 【宗教・仏教】仏教の極楽住生とは何ですか? 人間

    【宗教・仏教】仏教の極楽住生とは何ですか? 人間の死後には極楽住生の世界が9つの世界に分かれていて上品上生の世界が一番上位の極楽浄土だそうですが、なぜ昔の人は1番上の極楽浄土の世界ではない他の上品中生や上品下生も信仰したのですか? なぜ上品中生という中流階級の世界に来世を憧れたり、上品下生という下級の世界にも憧れたのでしょう?

  • 解脱

    来世や極楽浄土ではなく、六道輪廻や生死流転からの解脱を目指す宗教を教えてもらえないでしょうか? よろしくお願いします。

  • お釈迦様の時代と現代

    お釈迦様の時代は輪廻転生や生まれ変わりが信じられていて、お釈迦様は輪廻転生などからの解脱を目指しました。 現代人は、来世や浄土など信じておらず、むしろ死んだら解脱と信じられています。 お釈迦様の時代と現代人は真逆の思考を持っているように思えます。 なにかご意見、ご指摘ありましたらお聞かせください。

  • 葬式仏壇の意味とは?

    宗派はあやふやですが、浄土真宗だった気がします。最近葬式に出る機会がありまして、お坊さんの話を聞いてると疑問が出てきて、調べてみたのですが、頭が悪いせいかよくわかりませんでした。そこで質問させていただきます。 質問1 浄土真宗でのお葬式の意味とは、できるだけ来世は地獄や、地球でなく、極楽浄土へ行かせるように努力しますよ。ということでしょうか?場合によっては、地獄や地球に生まれることもある? そしてもし極楽浄土へ行ったら仏になるんですよね? 仏になるということは解脱したということだと思ってたので、つまり極楽浄土へ行くことと解脱することは同じ意味なのか。と思って調べると、いや違う。と書かれていました。 質問2 つまり浄土真宗では、仏(ブッタ)になるということは、解脱せずともなれるということでしょうか? 質問3 あと、仏壇の意味は、極楽浄土へ行った故人である仏様が見守ってくれるよ!という意味であって、故人が楽になれるように、幸せになれるように。という意味は入ってないのでしょうか?(もし仏壇にいるのなら、仏なので極楽浄土にいるため幸せ) 質問4 仏教では幽霊のことをどう捉えていますか?輪廻転生も解脱もできずさまよっている故人という感じでしょうか? 付刃かつ浅学で、申し訳ないです。構っていただけるととても嬉しいです。よろしくおねがいします。

  • 輪廻転生について

    輪廻転生について色々調べましたが人は魂の修行の為輪廻転生しているので使命を持って生まれて来るとか、今世は前世の自分が決め前世の影響がかなり影響しているとか、人は人にしか生まれ変わらないとか、人はほかの動物に生まれ変わる可能性もあるとか、ほかの世界に生まれ変わるとか色々な説があります。自分なりにまとめてみると  ・輪廻転生は魂の修行なのでどんな善人も悪人も人間業を極めるまで人であり続ける。(動物にはならない)  ・今世で果たせなかった使命は来世に持ち越される  ・来世はある程度自分で決められる。 簡単すぎますがこのような結果になりました。ポジティブに考えれば夢をかなえるチャンスは人間界にいる限り永遠にある。ネガティブに考えれば課題がたくさんある。 あくまでも輪廻転生肯定派の意見ですがどう思われますか?あと、まだまだ勉強不足なので何かお知りであれば教えてください。    

  • ゴータマ・シッダールタの説いた教えとは?

    ゴータマ・シッダールタには師がなく、自らの修業の末に啓示を得て教えを説いたと聞きました。 そのときシッダールッタが説いた純粋な教えとは何だったのでしょうか。 仏教は歴史が古いのであとから付け加えられたものが随分あると思います。 八正道などは分かりやすくてよいのですが、次のようなものを本人が説いていたのか疑問に思います。 1.仏像などを造ることを許していたか?偶像崇拝の禁止。 2.捨身飼虎などの自らの過去世の話。 3.人間の魂は輪廻転生するものである。 4.輪廻転生の鎖を断ち切ることが悟り。 5.只管打坐。ひたすら座ることで悟りを得ることが可能。 6.須弥山を中心とする三千世界。 7.仏を守護する天や明王の存在。 8.阿弥陀仏来迎や極楽浄土の存在。 9.未来仏である弥勒菩薩の存在。 10.宇宙の中心の大日如来の存在。 11.末法思想。

  • なぜ、人間はまた人間に生まれかわりたいと思うのか?

    なぜ、人間はまた人間に生まれかわりたいと思うのか? 「輪廻転生というのだろうか、仮に次、生まれかわれるとすれば、 何に生まれ変わりたいか?」 こういう質問なら、大多数の人が、また人間に生まれかわりたい、と 答えるのではないか。 しかし、人間に生まれかわることが、そんなに幸せなことであろうか? 人間は脳が発達しているため、苦悩する生き物である。 僕にはとても楽な生き物とは思えない。 それならば、本能で生きている動物のほうが幸せではないのか? 悩み事をかかえているとき、犬や猫にむかって「お前はいいな~」と、 思った事がないであろうか。 それでも、人間に生まれかわりたいと思うのはなぜであろうか? ちなみに僕は、滝川クリステルさんの愛犬に生まれかわりたいです。

  • 「死後の世界」に疑問を抱いています。

    ここ最近はもう結論づいているんですが、過去に死への恐怖に怯える日々を過ごしていました。主に理由は「死ぬことによる己の自我の消滅への恐怖」。諸説(天国地獄・輪廻転生etc)ありますが、一番現実的である死の消滅=無を直視すると確かに怖い。でも、私自身物事を宇宙規模で考え自分の生まれた理由を考えている内に死への恐怖より生に対する喜びに浸る事で満足しようと言う所に結論づきました。「来世があるなら来世も楽しもう」「天国が有るならそっちに行ってから考えよう」…そう思うのですが、いざ考えてみると輪廻転生と死後の世界どちらとも1つずつ分からない所があります。 まず、輪廻転生に関して。輪廻転生は俗にいう「生まれ変わり」ですよね。それはそれで良いんですが、人間は輪廻転生し続ける…即ち、永遠に→生→死→生→死→を繰り返す訳ですよね。それでは生命の存在の意味自体に疑問を抱きます。それこそ、ファンタジックに別次元・パラレルワールドに移動するならまだしも同じ世界をただ永遠に生まれては死にを繰り返すのは少し酷では無いでしょうか?それこそ、輪廻転生による魂の移動をし続けるよりは一点に留まらせ続ける方が達観出来るし、生命の神秘を紐解くには有利な気もします。 次に死後の世界に関して。死後の世界…私の知る知識では死後、人間界での罪の量によって行ける世界が変わる… そこはまだ分かりますが、その死後の世界に「死」と同等の恐怖が無いわけですよね? 己の消滅に対する恐怖が。そうなるとすると少なくとも人間界がある地球が存続できる150億年はその世界で暮らし続けなければいけないんですよね?本当に死後は永遠を彷徨わなければいけないのでしょうか?  皆さんのご意見をお聞かせ下さい。