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理念は知覚を統制しますか?
理念は知覚を統制しますか?
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- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
こんばんは。 理念と知覚の間に「認識」を置くと、判り易くなると思います。 知覚が「コレ!(は、「これ」なんじゃない?)」と、働いた時に、 理念があまりにも強過ぎて反論を許さないほど、であると、 あるいは「これ」は許されず、別の何かであると「認識」される。 したがって、「知覚を統制する」のではなく、 理念が、知覚の結果得られる認識を誤まらせる。 実際的には、(ちょっとオカシイという場合) 知覚がオカシイ場合と理念がオカシイ場合と、両方あるのでしょうか。 ・・・せっかく、知覚が正しいのに、理念がおかしい結果、正しい認識に至れないとは、 残念なことです。
- ghostbuster
- ベストアンサー率81% (422/520)
『知覚の現象学』のこの箇所がその答えになっていると思うのですが。 「理念は対象として、万人にとって同一で、すべての時間およびすべての場所にたいして通用するものたろうとし、最後に客観的な時間・空間の一点への対象の個別化が、ひとつの普遍的な措定力の表現としてあらわれてくる。私は自分が前述定的な知のなかで、内面的な交流のなかで生きているかぎりでの私の身体や時間や世界には、もはや関心をもたなくなる。私の語るものは、ただ理念としての私の身体、理念としての宇宙、空間の理念、時間の理念だけとなる。このようにして、(キルケゴールの言う意味での)〈客観的〉思考――常識の思考、科学の思考――が形成されるわけであり、これはもと知覚経験の結果であり、自然的帰結でしかないにもかかわらず、これが知覚経験との接触をわれわれに失わせてしまうのである。 意識の全生活は、諸対象の措定へと向かうものだ。なぜなら、意識が意識つまり自己知であるのは、ただ意識が或る一つの認定し得る対象のなかで己れ自身を奪還し、収拾するそのかぎりにおいてだけだからだ。しかし、それにもかかわらず、ただ一つだけ切り離して対象を絶対的に措定することは、意識の死を意味する。なぜなら、そうすることは、あたかも或る溶液のなかに入れられた結晶体がその溶液を一挙に結晶させてしまうように、全経験を凝固化させてしまうからである。」(メルロ=ポンティ『知覚の現象学』I P.131-132)
- NemurinekoNya
- ベストアンサー率50% (540/1073)
お礼、ありがとうございます。 理念・イデーからは少しはずれるのですが、 表象=記号(まぁ言葉・言語だね~)が人間の知覚や認知、思考etcによって構成されるというか、作られる、って考え方や、現代思想もありますよね。 人間の脳には、生まれながらに文法の祖型・ヒナガタのようなモノが備わっているというしさ。 時に応じて、名称や姿を変えてイデアが復活するのだから、プラトンって本当に偉大だよね。 ハイデガーだったと思うけれど、 「これまでの哲学(実存哲学以前の西洋哲学)はすべてプラトンの解説にすぎなかった」 とか言っているし、わたしなんぞは、思わず、この言葉に納得してしまう(笑い)。 興味があるようならば、Wikipediaの分析哲学 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E6%9E%90%E5%93%B2%E5%AD%A6 などの解説を読んでくださいませ。
お礼
たいへん面白いご意見をいただき感謝いたします。ありがとうございました。
- NemurinekoNya
- ベストアンサー率50% (540/1073)
ここでいう理念とは、哲学でいう《イデー》のことですか? 《イデー》、その訳語である《理念》は、感覚される事物などに形相を与えるイデアみたいなものですから、《イデー》という言葉の定義からすれば、知覚を統制するってことになるんですかね。 しかし、これは《イデー》が実在すればの話ですよ。 多くの人は、《イデー》の存在を認めないので、 「理念が知覚を統制する」は成り立たない!! ということになるのですかね。
補足
1、ドイツ語のIdeeとプラトンのイデアの関係。 2、カントとフッサールのイデーの認識の相違。 この辺が問題となりそうですね。
- kanto-i
- ベストアンサー率30% (180/596)
知覚を統制するのは「事実」です。
お礼
たいへん参考になります。ありがとうございました。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
その「知覚」が身の回りの現象の表面的感受レベルであれば、 それは不合理であり、理念との間に乖離を生じます。 たとえば「色」などという存在はなく、光波の連続的な波長の 変化の途中に、我々の遺伝的・経験的な生理的反射が結び つけられた結果に他なりません(赤=温かい(炎)、美味しい(肉)、 危険(血)、青=冷たい(水)、清廉(青空)といった経験の潜在化)。 同様に、ロジカルな極限とも言える時空の広がりについても、 その実体は感受表面での量子相互作用に他ならず、五感の 相関した蓄積による先行感覚(光、音)に対する生理的感覚 の先入化(そこに行けば何が起きるか)による“予測”こそが、 空間の広がりであるように、どんなに理念的と思われても 情緒的な要素が潜在しているのです。
お礼
たいへん貴重なご見解をいただき感謝いたします。ありがとうございました。
- MOG777
- ベストアンサー率14% (20/139)
理念が思い込みの一種だとすると 思い込みにより知覚は影響されます。
お礼
私もよく思い込みに惑わされてしまいます(笑)。たいへん参考になりました。ありがとうございました。
- 神野 〇〇(@kemuai)
- ベストアンサー率13% (17/123)
集中力しだいっしょ
お礼
本当にそうですね。集中力を持続するのはたいへんですが。どうもありがとうございました。
お礼
>これが知覚経験との接触をわれわれに失わせてしまうのである。 >全経験を凝固化させてしまうからである。 さすがに素晴らしい文章ですね。 たいへん参考になりました。ありがとうございました。