定子と彰子
中宮定子に仕えた清少納言、中宮彰子に仕えた紫式部。
前者は主人である定子を手放しで賛美しています。確かに美人で明朗闊達、思いやりもあり、現代に生きていれば、男女ともに好かれる女性だったと思います。
一方、後者の彰子&紫式部の関係はどうだったのでしょうか?清少納言が定子を賞賛するほどは、彰子が大好き!とは感じられません。源氏物語を書くに当たってのスポンサー的役割を果たしていたのが彰子の父・藤原道長だったようですが、作中でこき下ろされている女三宮のモデルが彰子ということも聞いたことがありますし、受領階級の式部が貴族として崇めるのは皇族だけであって、本当は権力者の娘が本当は大嫌いだったと読んだことがあります。
定子は父・道隆が没し、実家が没落、自身も出家したにもかかわらず、一条天皇の寵愛があせることなかったことから、本当に魅力的な女性だったと思いますし、源氏の母・桐壺更衣を彷彿とさせます。
反面、後から策略家の父・道長により入内した彰子はどれだけの魅力があったのでしょうか?定子の遺児・敦康親王の養母となり、愛情深く育てたという説もありますが、自分に男児が産めなかった場合のための駒として育てたという説もあります。夫に好かれたかったという気持ちもあったと思います。定子の死後、一条帝の寵愛は彰子一人とありますが、権力者の娘ですし、調和を重んじる帝は道長を怒らせないようにという配慮もあったのではないでしょうか。当時の天皇は、妃の実家の権勢に応じて寵愛するのが常識でしたし、彰子の実家は並びなき権門だったので、寵愛したのは、父が道長だったというだけのように思います。実際一条帝は、定子の妹を身分に関係なく寵愛していますし。そう考えると意外と弘徽殿の女御は彰子がモデルになっているのではないかと思うこともあります。権力者の娘だから、表向きは皇子も産ませて、大事にしているが・・・という感じで。
一条亡き後、孫にも先立たれるほど、あの時代で現代人と同じくらい長生き(86歳くらいで没)したことを考えれば、正直しぶとく生きて、失礼ながら身分が高かっただけで、あまり美人ではなかったようにも思います。権力者の娘として何の苦労もなかったとは言い切れないとしても、壮絶な短い一生を終えた、才色兼備の定子と比べれば、権勢の華やかさでは勝っても、魅力はいまひとつ冴えないように感じられます。ちなみに源氏物語でも権力者(源氏)の娘というだけで、何の苦労もせず、個性のない明石の中宮が私は一番嫌いです(笑)
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