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目が釘付けになったという表現が間違っていると思う。

bgm38489の回答

  • bgm38489
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回答No.5

テレビの内容に興味がなかった、ただ、何かを訴えようとしているものから、病的に目を離すことができなかった、ということなのですね。あなた特有の症状なのですから、言い換えなどできるわけがありません。むしろ、どう言い換えても、「それはちょっと…」と言いたくなるんじゃ。 ま、止められたとしたら、テレビの内容に止められたのかと思うから、視線を動かすことができなかった、と素直に書くべきかな。続けて、これは抽象的な表現ではなく…と断りを入れるとよかろう。

noname#181272
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 補足にて返答・質問を書きます。

noname#181272
質問者

補足

>テレビの内容に興味がなかった、ただ、何かを訴えようとしているものから、病的に目を離すことができなかった、ということなのですね。 : そうだと思います。 “テレビから視線をはなすことができなくなった”などは心理療法家から某掲示板上で‘自分の意思で行ったのでないのであれば勝手に起こったという表現がよいのかと思います’という返信を得ました。 それに対して家族は同意です、と言いました。 でも「勝手」という言葉の意味を調べると、“自分に都合のよいように振る舞う・こと(さま)。わがまま。”とあり、「都合」という言葉の意味を調べると“何かをするときにほかの物事に影響を及ぼす事情。わけ。”と書かれていました。 このことから「勝手に起こった」ということが、自分の意思によるものか、自分の意思に反したものの、どちらかになるかが知りたいです。 そうだとするのなら、「眼球の動きを止められた」「視線をそらす動きを止められた」のは勝手に起きたという解釈で合ってます。

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