「すごい」の使い方について

このQ&Aのポイント
  • 「すごい」はマイナスイメージの語として使用され、非常に恐ろしい様子を表します。名詞にかかる修飾語か述語で使用されることが多く、その他の修飾語では使用されません。
  • 「すごい」は具体的な恐怖を示さず、主観的に恐怖を述べるニュアンスがあります。通常、恐怖の他に驚きや憤慨などの思い入れが加わるため、客観的な恐怖を表す文脈では使用されないことがあります。
  • 日常会話では通じるかもしれませんが、文章としては「その絶壁はすごく長い」という表現は一般的には正しくありません。
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「すごい」 の使い方について。

解説していただけなせんか。 「その絶壁はすごく長い」 この文についてです。 辞書の 「すごい」 の項目に 「その絶壁はすごく長い」 使えない用例としてこの文章が書かれていました。 これは間違った使い方なのでしょうか。 こう表記されています。 すごい (1) (1) もりを打ちこまれたトドはすごい顔でにらんだ。 (2) 事故現場はあまりにもすごくて息がとまりそうだ。 (3) 二キロにわたってすごい絶壁が続いている。 (2) (1) 彼の奥さんはすごい美人だ。 (2) 最近、朝晩すごく冷えるね。 (3) とにかくすごい力で、歯が立ちゃしない。 (4) この車はすごいよ。スポーツカーなみの性能だよ。 (5) こないだ、通りですっごい大きい犬をみたわ。 【解説】 (1) 非常に恐ろしい様子を表す。マイナスイメージの語。 例のように名詞にかかる修飾語か述語で用いられることが多く、その他の修飾語では用いられない。 「その絶壁はすごく長い」 (この文はふつう(2)の意味になる) とあり、使えない用例としてこの文章が書かれていました。 これは間違った使い方なのでしょうか。 「すごい」 は 「おそろしい」 に比べて、受ける恐怖がより感覚的で、 具体的に何がどのように恐ろしいのかまでは言及しておらず、非常に主観的に恐怖を述べるニュアンスがある。 したがって、 「すごい」を用いたときにはしばしば、恐怖の他に驚き・憤慨などの別の思い入れが加わり、 客観的な恐怖を表す文脈においてはふつう用いない。 ともあります。 息子の辞書に書いてあり、説明を求められたのですが、うまく答えられませんでした。 日常の会話としてなら意味は通じると思うのですが、文章としては間違いなのでしょうか。 お詳しい方、解説していただけませんか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.7

この辞書は#5さんも指摘されておられるように、様々な用法の一時期のみを強調している傾向があります。 また、「客観的な恐怖を表す文脈においてはふつう用いない。」ならば、(1)の(3)「すごい絶壁」も用法が疑義が生じます。絶壁を見て誰もがまずは「強い圧迫感で、思わず息をのむ」でしょうが、それが「 非常に恐ろしい様子」として「マイナスイメージ」に繋がるとは限らないからです。 まずは、大まかに「すごい」の変遷を確認してみます。 「凄し」 1.貴族社会期…「艶(えん)」との対象語 対象の強い圧迫感で、思わず息をのむ気持ちを表す。 1)寒々としてゾッとする「艶にも、凄くも見ゆるなりけり」 2)態度や様子が冷たくひややかだ。「凄き言の葉」 3)ぞっとするほどすばらしい。「凄う面白く」 2.武家社会期…恐怖・寂寥 おそろしい。またはさびしいこと。 「隠れもなく凄い野にてござある」 3.江戸期…感動詞 すばらしい、すてきだとの感動詞。 「凄ひ!大したもんだ。」 4.江戸期…程度用法 余りにその程度が甚だしくて、人に舌を巻かせるほどだ。 「凄ひ人ごみ」「そいつは凄ひぜ」 5.明治期以降…連用形を副詞的に用いる たいへん/たいそう/とても」と同様な用い方。 「すごく面白い。」 6.近年…連体形を副詞的に用いる 連用形が当たり前で陳腐化したため、強調のために「すっごく」となり、挙句は、連体形を以て副詞として用いだす。 「すごい面白い。」 その辞書は2.「武家社会期…恐怖・寂寥」を(1)として基準においたため、(2)がそのた一杯扱いとなって、結果は時代背景や用法を無視してごちゃ混ぜしてしまったため、細部での説得力を失っている様子です。 その結果、5.「明治期以降…連用形を副詞的に用いる」については2.「武家社会期…恐怖・寂寥」に限定して使用可能としたため、一層分かりにくくなりました。 かてて加えて、6.「近年…終止形を副詞的に用いる」を全く無視しています。 およそ、「凄(すご)し」「非道(ひど)し/酷し」「偉(えら)し」のように激しい情態を表す名詞は、先ず形容詞として体言を修飾し、続いて用言ともなるように「転成」が進み出し、やがてその程度に特化して行くうちに副詞的用法や再名詞化も生じます。 そして、その内の一部では「えらくシンドイよ→えらいシンドイよ」のような強調の増した連体形の副詞用法も混じり出します。一部、若者間での「すっごく」「すんごい」といった俗語的表現も、今日の会話語レベルではもはや世代層を越えた「すごい」の副詞化傾向がはっきりしつつある段階といえるでしょう。

vocedmax
質問者

お礼

丁寧でわかりやすい解説ありがとうございます。 言葉は時代とともに使われ方が変化するのですね。 貴重な資料を示していただき嬉しく思います。 大変満足しました。

その他の回答 (6)

noname#194996
noname#194996
回答No.6

この辞書の編纂者の考え方としては >「すごい」 は 「おそろしい」 に比べて、受ける恐怖がより感覚的で、 具体的に何がどのように恐ろしいのかまでは言及しておらず、非常に主観的に恐怖を述べるニュアンスがある。 したがって、 「すごい」を用いたときにはしばしば、恐怖の他に驚き・憤慨などの別の思い入れが加わり、 1)の例は、あくまでそういうニュアンスがあるとして読まねばならない、ということです。 それとは別に、従来 >名詞にかかる修飾語か述語で用いられることが多く、その他の修飾語では用いられない。 ことばだったから 「その絶壁はすごく長い」の「長い」は名詞ではありませんし、この「すごく」の使い方は述語として用いられては居ません。 そういう理由からこの文の「すごく」の使い方は間違いなのです。 言葉の用法が時代とともに変わっていくのは事実として間違いありませんが、私は日本語を大事にしたいと思う考えから、この編纂者の「すごく」に対して持つ思い(の保守性)も大事にしたいと思います。

vocedmax
質問者

お礼

ご解説ありがとうございます。 なるほど、そのように読めば良いのですね。 大変参考になりました。 なかなか糸口がつかめず、息子には、「日常会話ならいいが文章として使う場合は、極力使用しない方が良いのでは」などと答えていました。 最初にご回答いただいたhiro1970611さんも 「名詞にかかる……」と指摘されていたようにそこなのですね。 言われてみれば、「なるほど」とうなずけます。 お手間をおかけしました。 ありがとうございます。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.5

 こんにちは。余り自信はないのですが、その辞書の編纂者は「すごい」という言葉の多様な使われ方や現実を度外視している様な印象を受けました。言葉は良くないかもしれませんが 、海の底奥深くにひっそりと暮らす深海魚の様なイメージです。  (1)に示されている3つの文例に使われている「すごい・すごく」はそれぞれ「恐ろしい」「凄惨」「筆舌に尽くし難い(素晴らしい)」などの意味に置き換えることもできます。こうしたことから辞書の説明にある「非常に恐ろしい」「マイナスイメージ」との「言葉から受ける印象の評価」が必ずしも適切ではないこともわかります。  雄大な眺めとしての「絶景」を表現する「その絶壁はすごく長い」の文章のどこにマイナスイメージや恐ろしいとの感覚があるのでしょうか。絶壁をなしている海岸線などが他の場所に比べて「距離として長く拡がっている」ならば、その風景を喩える「すごく」が恐ろしいことを形容しているとはいえません。  その辞書が内包している「問題点」の1つは「見出し語としての『すごい』」を表記する時点で「すごい」とひらがな表記にしていることがあると考えられます。もしこれが「凄(すご)い」「すご(凄)い」だったならば、そこから凄惨なとの言葉の意味を示す事もできます。英語ならば“ghastly=ゾッとする”であり、単に「すごい」ならば“very”に“more”です。両者の違いは明らかです。  もしこの辞書の編纂者の考え方でいくならば、「あげる」は「物を下から上に移動させる」だけになってしまいます。しかし「あげる」には「上げる」もあるならば「挙げる」や「揚げる」もあります。それぞれの「文字の意味」を理解して使い分けない限りは、トンチンカンな遣り取りになってしまいます。  その辞書の編纂者はおそらく「すごいきれいな生け花」や「チョーきれいなマリンブルーの海」などの表現を認めない頑固な方なのでしょうね(「全然いい」なども夏目漱石の時代には極日常的に使われていた表現です)。  結論からいえば、「文章として間違いではありません」との一言になります。 

vocedmax
質問者

お礼

ご丁寧な解説ありがとうございます。 ご指摘を参考に、今一度手持ちの資料に目を通します。 ありがとうございました。

  • 1311tobi
  • ベストアンサー率49% (84/169)
回答No.4

「すごい」と「すごく」の文法的な違い。 「使えない用例」として出ていたのは、「その絶壁はすごく長い」で間違いありませんか? 「その絶壁はすご“い”長い」が「使えない用例」ならわかるのですが……。 「(1) 非常に恐ろしい様子を表す。マイナスイメージの語。」というのも疑問です。  本来はそうだったと思いますが、現在は「マイナスイメージ」以外でも使います。「すごい人気」「すごくおいしい」などを誤用とする人は少数派でしょう。  やや俗語っぽい感じがあるので、「改まった文章には向かない」とは言えると思いますが……。  少し前にYahoo!知恵袋に書いたことを転載します。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1394685518  基本的にはsoteionさんのコメントの前半部のとおりです。  下記の辞書の記述をご参照ください。 「すごい」→形容詞の連体形(もしくは終止形)なので、後ろに続くのは体言(名詞など)。 「すごく」→形容詞の〈連用形を副詞的に用いて〉いるので、後ろに続くのは用言(動詞・形容詞など)。  ただ、ちょっと気になることもあって……。  下記に書いたことを転載します。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1350887713  結論から言うと、「すごいおいしい」などの「すごい+用言」は、現段階では誤用です。辞書によっては「俗語的な言い方」としているものもあります。  詳しくは下記をご参照ください。 http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1356.html  以下は一部の抜粋(重言)。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  古典的な問題とは思ったが、〈「すごい」 「すごく」〉のキーワードで検索して唖然とする。いっくらなんでも多すぎだろう。 「知恵袋」に限っても123件(グーグルにいたっては約14,500,000件だって(笑)。今回の「テーマトピ」のようにキーワードに引っかからない(いかん。「ように+否定形」になっている)ものを含めるとどれくらいあるんだろう。 http://chiebukuro.search.yahoo.co.jp/search?vaop=a&b=1&p=%E3%80%8C%E3%81%99%E3%81%94%E3%81%84%E3%80%8D%E3%80%80%E3%80%8C%E3%81%99%E3%81%94%E3%81%8F%E3%80%8D&flg=3&fr=common-navi&dnum=2078297843 ■「ように+否定形」に関しては下記参照。 http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1195.html  辞書的には、「すごい+用言」は問答無用?で間違い。ただ、それではつまらない?ので少し屁理屈をこねてみる。  以下はほぼヨタ話。 ■Web辞書(『大辞泉』から) http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E3%81%99%E3%81%94%E3%81%84&stype=0&dtype=0 ================================ すご・い【×凄い】 [形][文]すご・し[ク] 1 ぞっとするほど恐ろしい。非常に気味が悪い。「—・い目でにらむ」 2 びっくりするほど程度がはなはだしい。大層なものだ。「—・い人気」 3 (連用形を副詞的に用いて)程度のはなはだしいことを表す。「—・く寒い」「—・くおもしろい」 [派生] すごさ[名]すごみ[名] [用法] すごい・ひどい——「すごい(ひどい)嵐」「すごい(ひどい)寒さ」「すごく(ひどく)速い」など、はなはだしいの意では相通じて用いられる。◇ 「すごい」は俗語的な言い方で、「すごく険しい」「すごくおいしい」「すごく悪い点数」など副詞的に幅広く用いられる。また「すごい評判だ」「すごいあばら家」などプラス、マイナス両面の評価に使う。◇「ひどい」は「ひどい人」「ひどい仕打ち」「ひどいことを言う」のように、マイナス評価について用いられる。◇俗に連体形を副詞的に用いて「すごいおもしろい人だ」のような言い方もある。 ================================  [用法] の最後に〈◇俗に連体形を副詞的に用いて「すごいおもしろい人だ」のような言い方もある。〉とあるから、「俗」ならOKってことになる。でも「俗」って何? そもそも「すごい」自体が「俗語的な言い方」とされている。これではよくわからない。当方はけっこう使いますが。  Web辞書『大辞林』のほうはこういう余計?なことはいっさいなく、「すごい+体言」しかのせていない。 「知恵袋」のなかでは下記がおもしろい。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1117443476 「すごい楽しい」は「すごい! 楽しい!」の短縮形……ものすっごく強引な気もするけど、一理あるのかな?  別の解釈を出そう。 「すごいおもしろい人」は、「すごいおもしろい/人」と考えると「すごい+用言」で×になる。  しかし、「すごい/おもしろい人」と考えれば「すごい+体言」と考えることができなくはない。 「すごい/バカなヤツ」ならさらに異和感がなくなるような……無理か。 でも文法的に正しく書くと、「すごく変な人」で「すごい変人」ってことになってけっこうまぎらわしい。  いっそ「すげー」にすれば、「すげー変な人」でも「すげー変人」でもOKかもしれない(笑)。

vocedmax
質問者

お礼

大変ご親切に解説いただきありがとうございます。 お手間をおかけしました。 なんか、うれしかったです。 今一度、勉強し直します。 ありがとうございました。

回答No.3

再チャレンジです^^;  もしかして  「その絶壁はすごく長い」が正しくて、これに「すごい」が使えないって意味じゃないでしょうか?  「その絶壁はすごい長い」がダメって事かも    最近、テレビで、よく使っている人を観るので、わざわざ書いてるのかも?  もしそうなら、わかりにくい辞書ですね。  使えない辞書wざぶとん3枚w

vocedmax
質問者

お礼

ご親切にご回答いただきありがたく思います。 勉強になります。 一度目に指摘していただいたことに注意して何度も読み返しました。 「名詞にかかる修飾語か述語でもちいられる」 これかもしれませんね。 ほんとうにありがとうございました。

回答No.2

おそらく、「すごく」(連用形)とか、「すごい」(終止・連体形)という形容詞は、今日的には、「大変に」とか、「非常に」というニュアンスで、話し言葉として用いられています。 文章として用いるには、やや幼すぎる感があります。つまり、こういうのは、幼児言葉に属するのだと思います。従って、作文などでも地の文としては不適切言語でしょうし、公式の論文などでは、まず、こういう言葉は用いられません。勿論、会話文ならば、当然ですが、構いません。 因みに、「凄い」と漢字にすると、「恐怖感」のようなものに接近するのではないかというニュアンスがありましょうが、今日では、普通に「すごい!」と言えば、それは、素晴らしいことというニュアンスでして、恐怖感とは、全く別ベクトルに向かう言葉のように思います。 そんなわけで、特に、「その絶壁はすごく長い。」が間違った用法とは考えにくいですね。 「大変に長い」、「非常に長い」ということになっていると思われます。

vocedmax
質問者

お礼

ご解説ありがとうございます。 おっしゃるように文章に用いるには、客観的正確さにおいて「すごい」 は適切ではありませんね。 大変参考になりました。 ありがとうございます。

回答No.1

名詞にかかる修飾語か述語で用いられる ↑ってことじゃないのかな?  名詞に掛かるってとこがキモ (その絶壁はすごく長い絶壁)なら絶壁が名詞だし文法的にもオッケーじゃないかな? 「その絶壁はすごく長い」が会話文なら省略してるとしていけるかもw    たぶんだよ(汗)

vocedmax
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ご意見参考に勉強します。

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