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歴史
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- TANUHACHI
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簡単にいいますと、それまでの移入移植文化を「唐風文化」などと呼びますが、これは「外来」もしくは「舶来」と同じ意味です。 それとは異なり日本で独自に発展を遂げた文化様式を「国風文化」と呼んでいます。少し古い日本史の教科書(70年代から80年代末にかけて)などでは「遣唐使の廃止に伴い………」などの説明が付されていますが、これは現在の研究動向からみれば否定されており、少なくとも奈良時代には仮名文字の存在があったとの見解もあります。 ではなぜ「和風」と呼ばずに「国風」と呼んだのかとの問題も生じます。漢文で書かれた中国の書籍を一般に漢籍と呼び、その対極にある漢字仮名交じり文で書かれた書物を和書と呼びます。こうした括り方からすれば「和風文化」と呼ぶ方が適切であるともいえます。 「国風」の言葉から想起されるものとしてはどうしても「国学」があり、それは江戸時代の賀茂真淵やら本居宣長さらには平田篤胤といった復古調のスタンスに連なるイメージを払拭することも否めません。下手をすれば「原点回帰」を強く意識する余り、その後の歴史の推移を全てひっくり返すとの歴史教育本来のあり方からは乖離してしまう危険性もあります。 中国との国交が断絶した平安時代でも、日本の行政システムでは「相国」「丞相」といった中国での呼び方が依然として文書に使用され、商品経済では民間貿易による輸入品が商われるなどの事象もみられ、完全な断絶状態にあったとはいえません。 話は横にそれてしまいましたが、この後の鎌倉時代には建築様式として「天竺様」「唐様」さらには「折衷様」などのスタイルもみられます。鎌倉時代に再建された東大寺南大門の天竺様に対し、円覚寺の舎利殿など鎌倉後期にみられる建築様式は唐様、現在では禅宗様とも呼ばれ、天竺様とは対照的な姿を観せてもいて、宋や明の文化的影響を受けてはいないとも言えないことになります。ですので本来ならば「国風」との用語を安易に使うことには懸念を感じさせることともなります。 こうした「素朴な質問」を目にするにつけ、僕自身も歴史学の一端に連なる者として少なからず責任の重さを感じています。平安期以前に関しては「古墳文化」「飛鳥文化」をはじめ「天平文化」などの「時代を象徴するモニュメントや地域・年号」を使いながら、この時代を説明する時に限ってはなぜ「国風文化」として「文化様式の特性」を突然に問題として持ち出すのか。その必然性がどこにあるのかとの新たな問題を突きつけられていることに気付かせていただいたことに感謝致します。ありがとうございました。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
平安中期の文化を特別なもの、日本独自のものとして抜き出して評価したのは、本居宣長です。 彼は 古事記と源氏物語を研究して、日本独自のものとは何か?を考えました。 やまとごころ と からごころ との2つに分けて、前者を日本独自のもの、後者を中国からの輸入モノとしました。 江戸時代の中期からの研究によって、「平安時代って特別だよね」そして「これぞ日本風」という認識ができました。 こういった主張をしていた人々は 国学・和学・皇朝学・古学というように自分の研究を認識しておりました。 明治時代というのは西洋学問の導入なのですが、学校制度の導入でもあるので、それまで私塾で「われは 国学なり」「われは和学なり」とか個々の人間がバラバラに言ってもいられない。 ということで、日本語というのが 国語 と定義されたように、日本風というのも 国風と定義された(んじゃないかな) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E8%AA%9E 日本における国語参照
- marbleshit
- ベストアンサー率49% (5033/10253)
中国の影響が強かった奈良時代の文化(唐風)に対して、 これを国風(和風・倭風)文化と呼んでいる。現在まで続く日本の文化の中にも、 この流れを汲むものが多い。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%A2%A8%E6%96%87%E5%8C%96
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