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古代の人の下穿きはどんなものだったのでしょう?
よく弥生時代の日本人の服装として、貫頭衣が図鑑に載せられたり、博物館に展示されています。 そこでふと疑問に思ったのですが、その下にはなにを着けていたのでしょう。女性ならまだしも、男性は何もなしだといろいろと不都合があると思うのですが。 エジプトなんかだとふんどしみたいなものを穿いてますよね。日本人はどうしていたのでしょう。 下らない質問かとは思いましたが、調べてもわからないというか何をあたれば良いのかわからなかったので、ご存じの方がいらしたら教えて下さい。よろしくお願いします。
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ざっと調べてみましたが、魏志倭人伝の頃は麻を織った布を身体につけているだけで、男性は布状のものを巻きつけているだけ、女性は貫頭衣を着ているだけで、下着らしきものはつけていなかったようです。 しかし、古事記が編纂されることになると、男性はふんどし状の下着をつけ、女性は裳という下着(アンダーウエアというより、服の一番下という感じ)をつけていたようですが、いずれにしてもこれらの下着を身に着けられるのは高貴な人だけで、それが戦国時代まで続きました。 江戸時代になると木綿を国産できるようになり、布の価格が下がって、ふんどしも庶民化しましたし、手ぬぐいなども現れました。 日本人の誰もが下着をつけるようになったのは、江戸時代からのようです。 さて、女性の場合は日本書紀にふんどしをしている記述がるそうですが、基本的には「畚褌」と呼ばれる、前垂れのないタイプのようでした。この下着は裳の下に来ていたようですが、戦国時代にそれまでの装束(十二単のような宮中装束)が廃れてくると、畚褌も廃れ腰巻に変わるようになったようです。 しかし生理日には畚褌を用いたり、ふんどしを用いたりしてその間に布や縄などの吸い取り用具をいれ、処理をしていたようです。 これも江戸時代になると、布が一般的になりますので、現在の布ナプキンの形に変わっていったようです。 女性のふんどしも一般的だったようですが、どちらかというと生理用品の意味合いが強いようですね。
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- あずき なな(@azuki-7)
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当時は下着なんてものは無く何もつけてなかった 弥生人から聞いたので間違いないです
お礼
なるほど、弥生人から聞いたのならまちがいありませんね。 ありがとうございました。
お礼
古代の一般的な日本人は下着を着けなかったのですね。現代人の常識からすると、男性はぶらぶらして邪魔なんじゃないかと思うのですが、慣れればそれほど気にならないのかもしれません。 たしかに麻のふんどしというのはあまり装着感がよくないような気もしますね。 それにしても、麻の着物ではいくら重ね着をしても結構冬は寒そうな気がするのですが、これも慣れれば大丈夫になるのでしょうか。下着の話ではありませんが、ご回答を読みながら気になってしまいました。 ご回答ありがとうございました。