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「ラ・マンチャの男」について

私は先代の市川染五郎の「ラ・マンチャの男」の初演(昭和44年、帝国劇場)を観て感動に打ち震え、それ以来何回も観て来ましたが、松本幸四郎を襲名して数年経った頃の公演を観た時に、このミュージカルのテーマソングである「見果てぬ夢」の最後の部分の歌詞の「あの星の元へ」という所を1オクターブ下げて歌ったのを聞いて、「それじゃ星の元へは行けないだろう!」と憤慨し、すっかり夢から覚めてしまい、それ以来一度も観に行っていません。いかしアルドンサを松たか子がやるのが気になって、今年は観に行ってみようかとも思うのですが、「ラ・マンチャの男」のスタッフの人に聞いた所、最近では1オクターブ上げて歌うと、裏でスタッフが拍手をすると言うほど、上げて歌うのが稀になってしまった様で、未だ観に行くかどうか最終的に決めていません。8月19日は彼の70回目の誕生日なので上げて歌うでしょうが、いい席が残っていません。それでも松たか子のアルドンサなら観た方がいいと思われる方は何方かいらっしゃるでしょうか?本当は一番好きなミュージカルなのです。同じメロディが何回も続く昨今のミュージカルとは比べ物にならないと思っています。最近の「ラ・マンチャの男」について教えて下さい。どうか宜しく御願いします。

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 コメントありがとうございました。「テーマ」と「役者のパフォーマンス(役者としての能力)」は異質なものです。  『王様と私』でのオリジナルキャストとして演じたユル・ブリンナーのファイナルステージを私は観ております。また『オペラ座の怪人』のロンドンオリジナルでマイケル・クロフォードも観ています。ですがこの二人のアクターも貴方様の水準からすれば「取るに足らない三文役者」の誹りを受けてしまうでしょうね。  「手を抜いていた」と質問者が判断するなら、それも良し。ただ劇場に脚を運ぶ観客の多くが「その作品を観に行く」のであって役者を観に行くこととは違うことであることもお忘れのないように。  かつてサミー・ベイスが森繁久弥のテヴィエを「父親そのもの」と評した話もあり、アイザック・スターンは「ユダヤの民を感じる」として森繁テヴィエに抱擁を求めたとのエピソードもあります。少なくとも僕はそこまでの演劇評論家ではありません。また評論家になりたいとも思いません。

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質問者からのお礼

私は幸四郎を三文役者などとは思っていません。「王様と私」もユル・ブリンナーの物よりも、越路吹雪さんと共演した日本初演版の方が良かったと思っています。ただ、やれば出来るのに手を抜く事が多くなったのが許せないのです。 芝居というのは役者の演技の総体として成立する物で、『役者のパフォーマンス」が良くなければ、「テーマ」も観客には伝わりませんし、それでは「作品」として成り立ちません。役者の演技が良くないのに、その芝居がいいなどという事が有り得るのでしょうか? 貴方が今の「ラ・マンチャの男」に満足していらっしゃる事は良く分かりました。もし御存知なら松たか子のアルドンサについて教えて頂けますか?どうか宜しく御願いします。

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  • 回答No.2

 追記 この作品のエンディングで謳われる『見果てぬ夢』の詩は以下のとおりです。 「たとえ脚は萎えても 腕は疲れ果つとも 瞳高く凝らして 遙か遠き空へ」です。「空」そして「星」ともに天上の高いところにあって普通では手の届かない所にあるもの。それは理想でありそうした気高き精神と同じモノである。だからそこに少しでも近づきたい、私はそんな人間でありたい、とのメッセージが込められています。

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質問者からのお礼

{「空」そして「星」ともに天上の高いところにあって普通では手の届かない所にあるもの。それは理想でありそうした気高き精神と同じモノである。だからそこに少しでも近づきたい、私はそんな人間でありたい}と貴方が仰る「ラ・マンチャの男」のテーマが語られているのが「見果てぬ夢」という歌であり、その一番大切な歌の唄い方を肉体的コンディションによって変えてもいいとするならば、そのテーマは観客には伝わらなくなると私は思いますし、舞台人としての信用に関わる致命的な問題だと考えます。 勿論ロンドンのキャストによる上演でも1オクターブ下げて唄ったのを聞いた事がありますが、息が続く限り伸ばして唄っていました。つまり全身全霊で演じなければアロンゾ・キハーナ=ドン・キホーテという役は成立しないのです。幸四郎が1オクターブ下げて歌った事だけを問題にしているのではなくて、その時、明らかに彼は他の場面でも手を抜いていました。手を抜いているのが分かった瞬間から観る側は白けてしまい、芝居という芸能は成立しなくなります。 もし8月19日の彼の誕生日に観に行かれるなら行って御覧になって下さい。幸四郎は1オクターブ上げて唄うでしょうし、カーテンコールでは英語で唄ってくれる事と思います。 回答有難うございます。矢張り観に行くのは止めにしておいた方が良さそうですね。これ以上、夢が壊されないように。

  • 回答No.1

 松本幸四郎氏がライフワークとするこの作品ですが、ご質問者様と同じく僕も最も好きな作品の一つです。 こう言っては口幅ったいかもしれませんが、1オクターブ高いの低いのと言っているのでは「この作品」と「『見果てぬ夢』の何れ」を観にあるいは聴きために劇場へと足を運ぶのかが解らなくなってしまうとおもわれます。  俳優の肉体的コンディションによって、曲のテンポを微妙に変えたり、途中でアドリブを加えたりすることなどは別に取り立てるほどの問題でもないでしょう。  作品中で『見果てぬ夢』も何度か歌われます。キホーテがソロで謳うシーンもあれば、ラストシーンでセルバンテスが階段を上がっていくシーンもあります。個人的には後者の『見果てぬ夢』の方に原作者のデール・ワッサーマン氏のメッセージが全て込められていると解釈しています。  キホーテのソロは「騎士としての自分に託された聖なる役割」とキハーナが思い込んでいるからソロで謳われるのであり、そのキハーナは老人です。であれば高音域が出にくいのは当然のことでしょう。これに対し終幕で謳うのは地下牢にいる囚人達です。いつ保釈されるともまた何時喚問に呼び出されるとも知れない期待と不安の中に身を置き、何時しか「生きることの意味」すら見失いかねなくなっていた彼らの前に突然現れた男が「生きることの意味を問う」。これが『ラ・マンチャの男』が現代の私達に問い掛けている重たいメッセージであると僕は勝手に解釈し、毎回の公演を楽しみにしています。  今回の公演は恐らく2002年7月~8月にかけて帝国劇場で上演されたスタイルを踏襲する形でしょう。これはブロードウェイで再演されたスタイルです。オーヴァーチュアがギターソロで始まるスタイルです。真っ暗なステージにピンスポットがあたり、そこには指揮者の塩田さんがいる従来の形とは少し異なる形です。個人的には塩田さんがタクトを振り下ろし、トランペットの高らかな音色とパーカッションに引っ張られる形で全てが始まる。この時は塩田さんの表情にも客席にも一種の緊張感が漲っていますが、それはこの瞬間のためにここにいるとの感動とまた会うことができたとの複雑かな思いが交錯する瞬間でもあるとも思う。  僕は83年の公演からこの作品に付き合い、その間にもアルドンサは上月晃さんから鳳蘭さんそして松たか子さんへとバトンタッチされ、カラスコ博士も西沢利明さん・井上孝雄さん・浜畑賢吉さん・福井貴一さんへと受け継がれています。役者は変わってもこの作品の本質だけは変わりません。それほど素晴らしい作品であることには変わりはないのですから。  ですから、「松たか子を観に来た」それだけでも十分に理屈として成り立っていると思う。歴代のアルドンサ役は全て舞台経験ある方ばかりですから、それなりに稽古や読み合わせなどもスムーズに進んだと思いますが、松たか子さんの場合は「ドン・キホーテ」を演じている役者が目の前にいて四六時中、その一挙手一動や作品作りの過程を知っている訳ですから、それこそ『ラ・マンチャの男』が身体に染みついているといっても過言ではないでしょう。  最後になりますが「あの星の許へ」の「星」は比喩表現としての「星」であり、意味としては「理想」と置き換えることが可能です。ですから「遠くにあるモノ」と理解すれば問題はありません。その目的に到達しようと一歩一歩と歩みを進めるのが人間なのですから。この曲はそれを意味している。  松本幸四郎氏がなぜこの作品に出演し続けるのか。この疑問に対する答えを僕はラストシーンでセルバンテスが喚問に赴く時の表情に全て集約されていると解釈しています。  歌が上手いだけの役者なら多勢います。浜松町に劇場を持つ劇団から離れて東宝の舞台に上がるビックネームの俳優達が後を絶たないのはなぜでしょうか。それは「自分が惚れ込むことの出来る作品に出会うこと」が役者としての醍醐味であると考えているだと思います。何よりも「百聞は一見に如かず」との名言もありますので。

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