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ゆうかく

戦前の遊郭や花街の検番で働く男はどんな身分の人だったんでしょうか。 いまでいう風俗のケツもちで怖い人たちだったんでしょうか。 女の人達に金銭面で暴力もふるっていたんでしょうか。 裏社会の身分が低い人でしょうか。 それとも昔は合法で誰でもなれたのでしょうか。

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  • chomicat
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回答No.2

後期高齢者です。 検番ってのは花街(かがい)の組合でしてね、江戸時代はと戦前(明治以降)では全く異なります。 江戸時代の遊郭は全く異なる世界で、その道に身を投ずる人は多種多様。 落ちぶれた武士や道楽者の成れの果て、やくざありとあらゆる人間が身を委ねる場所。 女が逃げないように土地の顔役などが関わった事は事実。 無論武士の最下層である同心の下に居た岡っ引き(通称)はその土地の顔役が兼業。 幕府から給金は出ず遊郭を経営する人間が手当てを出した。 街中でも同じで今で言う商店主が用心棒代わりに使う人間として手当てを出した。 遊郭に身を沈める女達は女衒や人攫い、人買い等によって貧農家から集めたり、我が身を投げ打って苦界に身を沈める武家の妻女、娘、それはまあ色々。 明治時代の伝記を紐解けば武家の子女の多いことは一目瞭然。 なぜなら武家の生活は町民と異なり体面用の出金で爪に火を灯すような生活ゆえ、子女が苦界(遊郭の世界)に自ら身を沈めるのはざら。 昔うちの婆さん(慶応生まれ、昭和26年まで生きてた)がその爺さんから色々聞いていたのを話してくれた。 但し江戸時代の遊郭の女性は行儀作法、茶、華道、歌など一般女性以上の教養人なので大店(大きな商店主)の主などは万金を積んで身を引かせ自分の細君にしたのは知っていますね。 これは明治時代でも変わらず。政治家の細君は花街の人気者が多かった。 昔のブロマイドが残っているけれど、人気の美女のものは全部芸者。 現代のようなおつむテンテン的な美女は居なかった。ほとんど例外なく美人で聡明、身を引かせる時は現代人が思うよりも若いし精々20歳から22歳。 お目見得が14歳くらいだったからねぇ。 江戸時代なら20歳は年増だし20代後半なら姥桜。 閑話休題。 水のみ百所の家なら男児は間引かれ、女児は売られと云うのは聊か小説っぽいけれども 現代の価値では計り知れない世界の事だったことは間違いない。 さて、検番に身を置く人間は男性。花街で生まれた男性は使い道がない。 女が主の世界だから雑用、(男衆;おとこし)をして飯にありつくか、才能があれば太鼓持ち(これは特殊な能力が必要)或いは小才が効いた男なら着付け(男手の着付けでないと着崩れする)の道の修行をするか。 やくざの世界だとか、その道の筋の人だとか云うのは居ない。 その世界に生まれた男性が検番の仕事に携わる。それでもその仕事のできるのは各楼の主のみ。 一応表向きは主(経営者)だけれどこの世界を牛耳っているのは女性。 政府の許可(江戸時代なら将軍家からの認可)や色々な雑用もこなす。 無論足抜きをする女や間夫と駆け落ちするような女も出るからその監視も。 戦後、男の取り合いで刃傷沙汰を起こしたK女史などが国会議員になって売春禁止法を当時の粋人S原T*を通じて国会を通過させ、昭和33年3月31日を限りに花街の灯が消えた。 でもねぇ、世界最古の商売ゆえ大阪の飛田へ行けば昔のまま。 やり手婆も居るし、顔見世の若い女性も居る。 組合と名を変えて昔の検番と同じ役柄のものもある。(^^)v おおよその仕組みは変わっていない。 身分が低いとか裏社会などと云う言葉は意味が無い。 それは下種なTVの仕掛けか小説の読みすぎ。 そんな事を知っているのも我々昭和一桁生まれが最後かなぁ。 昭和33年の3月末日にその花街で女性達と蛍の光を歌って明日でお別れとばかりどんちゃん騒ぎをしたけれど、当時そんな世界に携わっていた女性に暗さなんか微塵も無かった。(都会の人間なら高校生になると金を工面して皆大体こう云う処で遊んだ) 私の知っている範囲(各地色々な処へ行って遊んだけれど)家の犠牲になって身を沈めた女性と云うのにはお目にかかったことは無い。 好きでこの世界に入った人も多かったし、みんな楽天的。 戦後、街頭で進駐軍などを袖を引いていたP・Pなどとは全く違う。彼女達は悲しいかな食うために已む無くが多かったと覚えてる。 少し質問の趣旨からの答えから逸れてしまって御免。

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回答No.1

 検番ねぇ 仔細文献がある話ではないらしく、憶測の域を出ない話として以下は参照されたし・・・ なお、小生は世界的視座での性風俗の知識があったりするので、その知識を踏まえての回答も内在するので、あしからず >戦前の遊郭や花街の検番で働く男はどんな身分の人だったんでしょうか。 身分?基本的には町人集と考えられるが、そもそも、遊郭・花街は、禁裏(朝廷管轄)・もしくは、政治権力の及ばないアンダーグラウンドな世界であることから、身分云々などを問題にする必然性がなかた、と考えられる 女郎島(三重県)の風俗組合の検番と思われる人間に、神職が見られることから、聖職者も存在していただろう >今でいう風俗のケツもちで怖い人たちだったんでしょうか。 ケツもち・・の意味が正直理解できないのだが、 「検番」は、芸能事務所のマネージャーと理解するのが妥当かもしれない ちなみに、諸外国(例外は多いが)でも、検番に相当するだろう存在は確認できる そのような事例でも、いわゆるヤクザ(マフィア)的な組織との繋がりは指摘できることからも、日本も多少は日本も、網元のようなヤクザが関係していた可能性は指摘できうるように思う まぁ、現代の芸能も、同じだと思うのだが、 仔細は不明であり、明確なものはない・・というしかないだろう >女の人達に金銭面で暴力もふるっていたんでしょうか。 稼ぎ口に対する暴力的行為はそれなりにあったように思うが、 稼ぎ口のやる気を刺激することを第一義にするだろう立ち回りが求められることから、物理的暴力ではなく、精神的暴力が多かったのでは?とは思う 仔細は不明なので、なんともw >裏社会の身分が低い人でしょうか。 さぁ?判然としない話なので・・・ 海外の事例では、それなりの知識のある人が担う仕事のようである >それとも昔は合法で誰でもなれたのでしょうか。 不明である 以上

taaaaake
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