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生き方

いつ何時死んでも構わないと思えるような精神の領域に達するにはどのような修行をすればいいのでしょうか。私は自分の保身のためにずるい生き方しかできないのをなんとかしたく質問しました。ご回答よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#203300
noname#203300
回答No.5

 還暦過ぎのオジサンですが、『何時死んでも構わない』と思っていますが、『修行』なんかしていません。  60余年、ただただその時その時に出来ることをしてきただけ。『時の流れに身を任せ♪』って深くは考えませんでした。所詮凡人ですから、深く考えたって古今東西の“哲人”にも答えの出ないことが答えが出せるはずもない。『自分の保身のためにずるい生き方』たって、自分が一番可愛いのは当たり前。他人から鬼と言われようが、悪魔と言われようが、気にする必要もない。貧乏は若い頃に嫌と言うほど経験していますから、そんなものは『買って』までしたいとも思わない。まぁ、買ってくれるならいつでも売っていたでしょうが。(笑)  いま、お蔭様で何一つ不自由しない暮らしをしていますが、やり残したこと、やりたいことなんて、今更ありません。未だ性欲も金銭欲もあります(凡人だから当たり前か?)が、それも大したことではない。  女房殿は、7年前に先立っていますから、娘と二人の暮らし。娘は来春から社会人で、大手企業の総合職に内定を頂いているので、来春からは『独居老人』です。このまま好き勝手な生活をして、70前にポックリ死ねれば大往生。人生“逃げ切り”です。まぁ、その前に娘の婿さんを探す“仕事”が残っていますが、出来なくとも“私の所為”じゃない。どうせ何処かのショウモナイ男と結婚するのでしょうから、そんな男を見たくもないという気持ちもチョコッとあります。  この人生の何処に『修行』があったのか? ただ、私の原動力は両親の苦労を見て(勿論子供も苦労した)、「この環境から脱したい」というそれだけ。結婚してからは女房殿に“尻を叩かれ”嫌々ながら働いただけ。必死の努力といえば、母に言われた「この状況から逃げ出すには勉強しかない」という言葉を信じ、大学受験の勉強くらい? その後は『壁に当たったら逃げ道を探す』、是が信条。絶対に“乗り越えよう”とか“飛び越そう”とか出来ないことは考えなかった。  人生って、なんとかなるように出来ているものなのです。凡人でしたら、余り深くは考えないように。  

poorgirl
質問者

お礼

>他人から鬼といわれようが悪魔といわれようが気にする必要もない。 私は人には天使側にいる人と悪魔側にいる人の二種類あると思っていて私は悪魔側だと思っているので、このようにあっけらかんといえるのは羨ましいです。 >私の原動力は親の苦労をみて「この環境から脱したい」ただそれだけ。 本当にそう思います。今まさにそのことに悩み苦しみもがいています。皆様そうなのでしょうか。もっとずっと飄々と生きていらっしゃるように見えます。 >人生なるようになる… 私もいつか貴方様のような境地になれたら素敵と思います。貴重な御回答本当に有難う御座いました。

その他の回答 (4)

noname#190213
noname#190213
回答No.4

こんにちは。 保身の為にずるい生き方しか出来ないのをなんとかしたく・・・。 貴方様はすばらしいですね。ホトンドの人間が自分の保身の為にずるい生き方をしていますよ。けれど良い人と呼ばれる人も偽善者だったりっていうこともアリだと思います。実は気が付いてない人が大多数かと。 それに気付いているなんて。 人間いつ何時死ぬか?をわかっている人は医者に余命宣言された人しかいません。 いつ来るかわからないものに対してナンダカンダと考える必要は無いと思います。 と答えにならない回答、失礼しました。

poorgirl
質問者

お礼

お礼が遅れて申し訳ありません。私は自分をズルいと思っていると書くことで正当化しようとしていたのかもしれません。貴方様の回答を読んでそう思いました。貴重な回答有難う御座いました。

  • ok2775
  • ベストアンサー率20% (102/487)
回答No.3

それは質問者さんが今何かをしたいとか、やり忘れたことが、 なくなったときすなわち無の境地、あの世へ旅立っても 悔いは残らないということでしょう。 その境地になったときが幸せな旅立ちとなります。 禅の修業はこころを無としてとらえるように苦行をわざわざ するということですが、人は無の心にはなかなかなれないので 一生の修行となるということだと思います。

poorgirl
質問者

お礼

お礼が遅れて申し訳ありません。回答有難うございます。禅のこと勉強したいと思います。

  • k_mutou
  • ベストアンサー率12% (101/783)
回答No.2

“生きる”という事は【欲望】だと思います。 《全ての欲を捨てる》という境地に達するしかないかと思います。 《全ての欲を捨てる》というのは“生きる”為の 【欲】をも捨てるのではなく、“生きていこう”とする【欲】だけは持つ事かと。

poorgirl
質問者

お礼

難しいですネ。生きていこうとすると私はたくさんの欲がわいてきます。 参考にします。有難うございました。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.1

 そりゃぁ、日々一生懸命生きて、生きる意味を考え続ける事かな。困難な状態を多く経験してくることも。私はいつ死んでもおかしくないなと思って居ますし、死ぬときには死ぬだろうと。  小さいな事でも感動したり感謝したりすることも大切かな。これで結構心の満足感を得られます。御飯を沢山食べたら幸せでしょう。それと同じで心も満たすこと。大きな事ばかり見ていると、なかなか満たされませんが、日々生きている事の満足感、これは一度死ぬかな?という経験があるとより感じやすくなります。   宗教的な修行なんて要りません。生き抜くことが修行だから。当然、人のために動くことも大切だからね。自分が得た利益を自分だけにしない。分け与えることなども大切。死んだときに「良い人だった」と言われれれば私は満点だと思って居ますから。  人生経験も色々すれば、もう満足だと思うよ。

poorgirl
質問者

お礼

貴方のようにやさしく諭すひとになれたらいいと思います。参考にします。有難う御座います。

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