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アンケートカテゴリでも質問させていただきます。

『メンタルヘルス』カテゴリで同じような質問をしたのですが、良い回答が得られなかったので、『アンケート』カテゴリでも質問させていただきます。 実は、下記の【A】~【E】の出来事が自分の中で起きたことがあったのです。 【A】『動くな』『目を開けるな』『食べるな』『飲むな』『書くな』『起きるな』『ペンをとじるな』『裏返すな』『黙れ』『頭が回らない』『わからないようにしました』『金縛り』『(体を)銅像のように固められた』『制限が入る』『止める』『ねる』『ん《故人の名》』『みんなで《中学の時のクラスメイト(女)の名》』などの言葉が頭に浮かび(受け身で言う「発見された」感じ)、静止状態に至ったり頭の働きが鈍くなったりした。  静止状態に至ったというのは、日常の動作などができなかったり、全身が硬直してしまったということである。 【B】頭の中に「(例)どこにも行かない」という言葉が浮かんだ。直後に幻聴の声がきっかけで頭の中で逆の言葉「(例)どこにも行く」という言葉に切り替わった。何日かしてから、今度は「(例)どこにも行かない」という言葉に戻った。 【C】「(言葉を長く詳しく)つなげて言う」「(言葉を)短く区切る」「ずっと鳴らす」「自分も動かす」「(長文を)途中から読む」「朝もやる」「朝も言う」「(同じ言葉を速く)何回も言う」「何回も変える」「考えが入ってくる」「捨てる」「まんまにする(=そのままにする)」「家にも何かやる」「体にも何かやる」「来週も操られる(来週も自分で自分を動かす)」「(曲の)題名を言う」と言ったような言葉が、頭の中(心の中)で勝手に浮かんだ。  それらの言葉が頭の中(心の中)で勝手に浮かぶまでは様々な禁止や命令、制限などが強かった。 【D】一昨年、喫茶店(作業所)で働いていたとき、頭の中に「ある」という言葉と文字が浮かんだ。文字「ある」はそれ以前にどこかで見た「ある」という文字を明瞭に思い越したものだった。  その時、その場にいた利用者さんが「何だぁ」と言った。自分はそれを嫌な声だと感じた。  するとそれまで頭に浮かんでいた「ある」という文字が別の文字「有る」に置き換わった。  この「有る」という文字もまた、それ以前にどこかで見たものがそのままはっきりと記憶に定着したものと思う。  また、自分は速やかに心の中で、その「有る」という文字を、自分の意志によってだと思うが、モトの「ある」に変えた。  「ある」→「有る」、「有る」→「ある」などの変換が繰り返されることに辛さを感じた。  「ある」と「有る」の変換は数ヶ月起こり続け、それ以降は次第に変換が起こらなくなっていった。 【E】中学の時、「Good morning!おはよう」「漢字 中国の文字」などの同じ意味である言葉や簡略化した言葉「~する」および「愛のうた ストロベリーフラワー」などの言葉が頭に浮かんだ時、人の笑い声や犬の吠え声がまるで自分に対して怒っているような声に聞こえた。 そのことがきっかけで、違う言葉・誤った言葉を頭の中で思ったり、例えば人の名前(「姓・名」)、「漢字 中国の文字」「~する」の言葉の中に余分な言葉を入れて頭の中で思ったというこだわりがあった。さらにそれがきっかけになって、喫茶店で働いていたとき、「できました」「通ります」「終わりました」の丁寧語・「できた」「通る」「終わった」の簡略化した言葉その他すべての言葉を【思わされた(受け身で言う)】感覚があった。 僕は【A】~【E】およびそれ以外の出来事が頭の中で起こったのは何かきっかけがあったのです。 そのきっかけというのは、自分の頭の中で起きた(ことだと思う)別のことが関連付いて起きたように感じたりしたということです。またそのように思ったりもしました。 (つまり自分の頭の中で起きたことだと思うのが生じ、それがきっかけで【A】~【E】などの出来事が起きたということ) ここで質問です。 僕が書いたような出来事を経験したことがあったかどうかを具体的に書いて回答下さい。 病気を持った方でもそうでない方でもそういう方がいたら回答を書いて下さい。 全く同じ症状、似た症状を経験したことのある方、誰からでも回答が欲しいです。 頭の中で関連して起きた出来事について言葉にして表現できないので質問してみました。

みんなの回答

  • Nannette
  • ベストアンサー率26% (1499/5697)
回答No.1

 わたし自身にはそうした自覚症状はありませんが、似たような症状のことで友人から相談を受けたことはありました。でも、わたしとて医師でも心療関係者でもありませんから、ズバリ専門的に正しい答えは出来ませんでした。  ただひとつ、ご質問者様は、ご自身の頭の中である日芽生えた原因…といった表現をなさっていますが、一番最初の原因となったものは、やはり、これまでの人生の中で、外界との接触や経験によって出来てしまった心的なキズ、いわゆるトラウマだろうと私は想像します。  そうした外界との接触や経験から出来てしまった心的なキズ、それが何であったのか、それは分かりません、人ひとりひとりみんな違うからです。クラスメートにいじめられた、不良に暴行を受けた、女の子の場合なら男の子にいやらしいことをされた、そうした具体的な例がトラウマになるケースももちろんありますが、多くは、もっともっと小さな出来事、本人でさえ今では忘れ去ってしまっている、そんな、普通に考えれば大したことでもないこと、そうしたものが、こうした強迫観念の原因になっていると言われています。  もちろん、ここに書いたことは、ただの一般論にしか過ぎず、もちろん専門的な説明でもありません。ただ、言えることは、人一倍感受性に富んでいる、どちらかというと知的水準の高い人によく表れる症状のひとつではないかということです。そして、こうした知的水準の高い人というのは、一方で原因を探ろうと努力しながらも、他方では事実を隠ぺいし通そうともするなど、とても複雑な思考をするものだと言われています。  つまり、十中八、九、こうした症状は精神科的なものではなくて、いわゆる心療科的なものだとわたしは想像します。言いかえれば、原因は、脳の中身の問題ではなくて、意外なほど簡単な外的要因、ただ、その原因と今出ている症状との脈絡がとても深くで回り回っているはずだということ。これも一般論ながらとても顕著なプロセスなのです。  ということは、ご質問者様が、いくらメンタルヘルスのカテやアンケートのカテで質問を立てようが、それに対して十分に効果的な的確な回答は誰にも出来ないということです。誰にも…、そうです、専門の医師や心療科のスタッフでさえ、ただこれだけの質問文を読んで、それをもとに効果的なことをひとまとめの文章にして答えるなんて出来ないはずだからです。  専門医や診療スタッフの手によってさえ、こうした症状の改善には少々時間を要するものです。ですから、こうしたケースの場合には、心療科を受診するのが一番いい方法です。心療科というのは精神科とは違います、恥ずかしがることはありません。  心療科では、まず専門医がいろいろ問診をするでしょう。そして、専門家の目で診察をしたあと、今度はカウンセラーという専門家との面談に入ります。カウンセラーとは、二人きりで自由に話し合う、ただそれだけのことです。一切を構えず、自分を飾らず、卑下もせず、カウンセラーを信じて淡々と本当の自分をさらけ出すだけです。でも、それそのことが大切な治療であり、効果も期待できるものです、ただ、通院が何度になるか、かなり定期的に受診する必要はあります。  もう一度言います。ご質問者様が、いくらこの教えてgooで質問なさっても、真に効果につながる回答は得られないはずです、それどころか、ご質問者様に幾らかでも満足を与える回答すらもあり得ないでしょう。正しい治療を受けるのが最善の方策、完治するか、あるいは症状が軽減するだけか、それも分かりませんが、とにかく心療科を訪ねてみてください、それ以上のことはお答えできません。

noname#181272
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >わたし自身にはそうした自覚症状はありませんが、似たような症状のことで友人から相談を受けたことはありました。 : そうですか。似たような症状とはどういう症状を友人から聞いたのか、教えていただけませんか? 回答者さんは症状などが起きた一番の原因がトラウマだと思うのですね。 僕は小学4年の頃転校してきたばかりの時、いじめにあいました。 蹴られたりしました。 また職員室に入る時、自分の「失礼します」という声が声変わりする前のかわいらしい声になっていて、それをクラスメイトの子が「バカバカ・・・・」と言ったのです。 それ以来、外出してから全くしゃべらなくなり、しゃべるのは家にいるときが多いです。 人や犬の声などが怒った、うるさいような声に聞こえるようになったのは小学高学年頃からだったようです。 【A】の出来事についてもっと深く考えて話してみますと、 『動くな』という禁止語が頭から離れないことにこだわりを持ち(気になるというのかな?)、影響を受けたということがあったのです。 頭に焼き付いていた『動くな』という言葉などが何らかによって表に出て、それはまるで発見されたというふうに自分は思いこんだことがありました。 それが静止に至ったきっかけです。 禁止語が頭から離れないことにこだわりを持ったというのは、これも自分の頭の中で生じた日芽生えた原因のせいだと言えると思うのです。 『動くな』という禁止語が頭から離れなく、意識に上ったのが2006年夏からで、その頃静止がひどくなって食事もとれないなどの状態に陥ってしまったのです。 禁止語が頭から離れなくこだわりがあったので自分は『うごめざすな』『うごくんだなも』『うごくんだぱも』などの言葉を用いて自分で工夫して思ったことがあったのです。 しかし『動くな』という言葉が喫茶店で働いている時に、まるで思わされた・言わされた感じがあったのです。 それがあったと同時に静止もなくなって、それはまるで何かに操られた感じ・治された感じだと思ったのです。 自分は「まるで思わされた」「発見された」「操られた」などの表現を病的な雰囲気の伴わない表現に言い換えてもらいたいことも思ったのです。 自分は自分の中で起きた症状と自分以外の人の中で起きた症状はそれぞれ違うと思ったのです。

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