エホバの証人とは? センセーショナルな宗教の実態を解説

このQ&Aのポイント
  • エホバの証人は、長時間の労働を必要としない生活を求める宗教であり、学業も同様です。
  • エホバの証人は、国歌や校歌の歌唱を禁止しています。
  • エホバの証人は、習い事やクラブ活動などの妨げとなると考えており、子供がしたいと言った場合は対応に慎重になります。
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エホバの証人はどのような宗教なのでしょうか?

下記のような内容が規制されているのでしょうか?妻子が学んでいるので実状を知りたいと思います。これらの質問は私なりに得た知識ですが、これらが、実状であれば子供の将来もあるので心配しています。教えて下さい。 1、ハルマゲドンがくるから、長時間の労働は必要なく、この世での生活ができる範囲の仕事で十分と考えていますか?また、学業も同様ですか? 2、国歌・校歌を歌う事はどうしていけないのですか? 3、奉仕時間の妨げになるから習い事・クラブ活動等を避けたいとお考えですか?子供がしたいと言った場合はどうしますか? 4、エホバに対して否定的な情報は全て迫害されていると思われるのですか? 5、血は避けなさいという言葉が輸血禁止に直結して解釈されているのですか? 6、仲が良かった信者の方が背教者になった場合にその方とのお付合いは辞めますか? 7、我が子が背教者になった場合はどうされますか?子供の考えを尊重しますか? 8、我が子が背教者になった時に精神的なダメージを受けた場合はどのように対処しますか? 9、相手(夫または妻)がエホバ問題で理解してもらえない場合は離婚してもしょうがないと思いますか? 10、エホバの教えでおかしいと思った事はありますか?ある場合にどのような事でしょうか? 11、エホバの教えがおかしいと思っているが、今までの人生をいまさら否定できないと考えていますか? 12、柔道・剣道はだめですか? 13、選挙等も行わないですか?

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noname#259625
noname#259625
回答No.24

これは、A No.23 yangmaskへのお礼に対する返答です。 >あの環境では子供が考えるという機能が損なわれてしまいます。子供の時に宗教は如何なものかと感じます。親として弊害になる部分を見過ごして良いかどうか疑問にも感じています。    「考えるという機能が損なわれる」というのは具体的にどのようなことなのでしょうか。以前話し合ったような「エホバ神が絶対的な存在だからエホバの証人の教義には絶対服従」ということが関係しているのでしょうか。 >武道禁止の定義ですがエホバは組織が解釈した武道禁止を大前提に解釈するから自動的にそのための理屈を作っていないでしょうか?    エホバの証人の考え方をどう評価するかは各人の自由だと思いますが、それと同時にエホバの証人が武術をどう評価するかもやはり尊重されるべきだと私は考えます。しかし、説得は可能です。多分、bonjin0909さんはその努力をなさっているのでしょう? しかし、その説得がいかに論理的で明快であってもやはり最終的にはそれが受け入れられないことがあるものです。それを想定したB案のような他の対策の検討も必要かもしれません。 >・・・神はイザヤ2:4の聖句もそうですが、ガラテアの肉の業の部分もそうですが、直接、武道禁止の定義に結び付ける事は乱暴であるように思います。    この点について、一言。bonjin0909さんの見解は尊重します。しかし、それが実質、他者に受け入れられるには、その見解の正しさを「証明」しなければなりません。「これこれこういう理由で私の見解は正しいということができます」というような形で示さなければ他者はbonjin0909さんの見解を容易に受け入れることができないでしょう。あるいは、先回、イザヤ2:4がなぜ格闘技の授業をしない理由とつながるのかを示した私の見解を具体的に挙げて、その間違いを証明するという形でもよいと思います。いずれにしても、「証明」なしのただの主張だけでは説得は成功しないと思います。    「>この答えは武道のみならず、スポーツ全体を否定しています。そして、スポーツだけではなく、仕事する上でも勝負はあります。」→その人の考えだとそうかもしれません。それで、その人の場合、ある種の闘争心をあおるスポーツを避けたり、競争心の激しい職種や職場を選択しないかもしれません。当然、その人は武道もしないでしょう。それで、この人が、あるいはその子供さんが武道の授業を受けないとしても何も矛盾はないと思います。(要するに、スポーツや仕事に関する許容度は各人で幾分違うけど、格闘技に関しては見解が明確であるということです。)     「>聖書が作られた時代に武道と言うものが存在していない中で・・・」→当時も戦争がありました。人を傷つけ、または殺すためのノウハウは「武道」という名前ではなかったにせよ、存在したでしょう。しかし、当時の神の民であったイスラエルは戦いをしていました。しかし、イザヤは新しくエホバ神の元に集まる民について述べており、「彼らはもはや戦いを学ばない」と預言したのです。それで、先回述べたように殺傷行為に転用し得るノウハウをあえて学ぶことをエホバの証人がしないというのはこの聖句と何も矛盾していないと思います。    ちょっと手厳しい反論のように思えたなら許してください。説得の練習だと思って再び思考してください。時間をかけても結構です。私はbonjin0909さんのご家庭が幸せな方向へと向かえるよう願っています。    まとめると、(1)各人の考えは尊重されるべき、(2)説得には主張だけでなくその正しさを証明することが必要、というのが今回の要点でした。この指針に異議があれば述べていただきたいのですが、そうでなければこのような方針で質疑応答したいと思います。

bonjin0909
質問者

お礼

(1)各人の考えは尊重されるべきはそうです。 (2)説得には主張だけでなくその正しさを証明することが必要だと思いますが、相手が聞く耳を持たなければ話は進みません。 ちょっと手厳しい反論のように思えたなら許してください。説得の練習だと思って再び思考してください。⇒残念ですが、 yangmaskさんはフリーのクリスチャンではないですね!!輸血禁止の時から感じていましたが、聖句の解釈はエホバそのものですね。 bonjin0909さんのご家庭が幸せな方向へと向かえるよう願っています。⇒娘が信者になって私がマイコンされたら価値観が共有されますから幸せになりますよね!! 余計なお時間を取らせてすみませんでした。

その他の回答 (23)

noname#259625
noname#259625
回答No.23

これは、A No.22 yangmaskへのお礼に対する返答です >yangmaskさんのコメントを聞いていると娘はエホバの信者にするしかないという言葉に聞こえます。私は指をくわえて娘が信者になっていくことを見ているしかできないのでしょうか?エホバの教えを理解しなさいというメッセージなのでしょうか?    以前、A案とB案について話したのを覚えていますか。A No.15で、「彼女らの考え・信仰を改めさせるというのがA案だとすれば、彼女らの信仰を容認しつつもとりあえず幸せな生活を送れればよしとするというのがB案で、私はこれまでB案の方を勧めてきました」と言いました。それで、もし娘さんや奥様がエホバの証人の教義に対して本気度が低いのであれば、A案も成るかもしれませんが、もし本気度が高いなら、A案のみで強行する場合、正面衝突してしまうことはほぼ間違いなく、それは本当に家族崩壊の危機さえももたらしかねないものとなると予想しています。エホバの証人の信仰は彼らの生命線なので、妥協の余地がないゆえに折れ得ないというのがその理由なのですが、しかし、bonjin0909さんの場合、奥様と娘さんの改宗は飽くまで家族の幸福という目的を達成するための手段に過ぎず、そこで折れてもまだ余裕があると思うのです。    聞く限りでは娘さん本人はエホバの証人スタイルで学校生活を臨む意向とお見受けしました。それで、A案で衝突して余計に問題を増やすよりも、B案にて一旦改宗させるのはあきらめはするも、懸念しておられる「エホバの証人ゆえに生じる弊害」といえるものを除去するようbonjin0909さんが父親、理解者として娘さんをサポートした方がプラスになるのではないかというのが私の考えでした。(B案により少なくとも家族間の衝突は回避できますし、例えA案強行でも娘さんがエホバのスタイルを貫く限り、その問題は消えませんから。むしろ、娘さんは家庭内では宗教的衝突、学校ではサポートなしの独力で問題に対処しなければならないでしょう。娘さんにとっては全く最悪の環境です。)ですから、別にエホバの証人びいきというわけではなく、現状を考慮した上で(私の考えでは)現実的な考えを述べているに過ぎません。とはいえ、その「現状」という娘さんや奥様の気持ちについては正確に知りかねるのですが。 >中学校で学ぶ武道は喧嘩をするためのものではなく、相手を懲らしめるものでもありません。ルールがあり、スポーツである武道がこの聖句によって禁止される根拠がわかりません。    私も述べましたが柔道の創始者加納治五郎は若者の教育のために古武術をスポーツ化しました。確かにそうですが、しかし今でも殺人技として転用することは十分可能です。柔道を身に着けている人が喧嘩を始めた場合、その技やノウハウを用いないということが果たしてあるでしょうか。また、私も経験から言えることですが、柔道は闘争心を奨励します。その証拠に積極的に相手に技を掛けなければ指導(ポイント)を取られます。もちろん、その奨励度は各指導者の方針にもよりますが。ですから、以上、(1)殺傷行為に転用できる技を身に着けること、(2)闘争心を身に着けることは、先回挙げたイザヤ2:4の「もはや戦いを学ばない」という聖書の言葉と明らかに反していると十分言えると思います。先回は言葉が多くて要点が理解しにくかったかもしれませんね。反省です。 >最近、忙しくて返信が遅くなってしまいすみません。    まったく構いませんよ。大丈夫です。私も昨日まで三日間かぜで寝込んでいました。お互いいろいろ事情がありますよね。尚、最初の疑問点についてはまた別の機会に回答いたします。

bonjin0909
質問者

お礼

最近、私も個別に長老さんと話たり、会衆へ毎週参加したりしていますが、一番気になる事は子供の事です。あの環境では子供が考えるという機能が損なわれてしまいます。子供の時に宗教は如何なものかと感じます。親として弊害になる部分を見過ごして良いかどうか疑問にも感じています。yangmaskさんのコメントで「聞く限りでは娘さん本人はエホバの証人スタイルで学校生活を臨む意向とお見受けしました。」についてですが、確かに、現段階はその事も覚悟が必要と思いますが、まず、私はエホバを頭から否定だけをしないで、フラットな視線で考えるために会衆へ参加したり、長老さんと個別に聖書を学んでいます。確か、このようなコメントをお伝えしたような気がします。そこで、日曜日は会衆へ行き、月曜日は長老さんとお会いしてます。 武道禁止の定義ですがエホバは組織が解釈した武道禁止を大前提に解釈するから自動的にそのための理屈を作っていないでしょうか?ある信者の方へも聞きました。お答え内容ですが、【「闘争心をあおるような言葉で教えたりしませんか?」試合がありますね。 勝つことが、目的に実際はなっていませんか?負けたら、悔しいって泣いてる子供を見ますね。悔しかったら、勝て!って、励ましませんか?才能や素質がある子供は、強くなれるけど、そうでない子供は、負け犬ですか? 人生の落ちこぼれなので、いじめてもいいですか?不完全な人間は“力”を十分には、制御できないのですから、感情に任せたり、カッとなって後先考えなかったり、“力”を悪いことに使う「誘惑」に勝てなかったりするのです。】です。この答えは武道のみならず、スポーツ全体を否定しています。そして、スポーツだけではなく、仕事する上でも勝負はあります。結局、武道禁止する事を正当化するための答えを導いているだけに過ぎないと思います。聖書が作られた時代に武道と言うものが存在していない中で、神はイザヤ2:4の聖句もそうですが、ガラテアの肉の業の部分もそうですが、直接、武道禁止の定義に結び付ける事は乱暴であるように思います。輸血禁止も同様にあの聖句から禁止にしている事が拡大解釈にしか考えられません。1975年の王国奉仕や1972年の目覚めよの中にあったコメントも拡大解釈が招いた原因で今も問題提起されているように感じられます。最近、私も未熟ながら、聖書等を眺め始めましたので生意気言ってすみません!!(笑)

noname#259625
noname#259625
回答No.22

これは、A No.21 yangmaskへのお礼に対する返答です。 >現状、思考停止に近い状況です。    そうですよね。無理せずにあせらずに引き続き情報収集と思考に励んでください。その点はエホバの証人がなぜエホバ神を絶対的存在とみなしているのかを理解する上できっと役立つと思いますので。 >先に以前、質問させていただいた12番のエホバの考え方、そして、yangmaskさんの考え方をお尋ねしても良いでしょうか?    12番目の質問は「12、柔道・剣道はだめですか?」でしたね。ご存知のとおり、エホバの証人の学生さんは格闘技の授業に参加しません。なぜなら、「たとえ自分が傷付けられても他の人を傷付けることはしない」というのがキリスト教の真髄の一つだからです。イエス・キリストはこう言われました。「『目には目,歯には歯』と言われたのをあなた方は聞きました。しかし,わたしはあなた方に言いますが,邪悪な者に手向かってはなりません。だれでもあなたの右のほほを平手打ちする者には,他のほほをも向けなさい。」(マタイ5:38,39) 要するに仕返しを(目には目を)しないようにということです。「平手打ち」はこぶしで殴るのとは違い挑発するための行為です。その挑発に乗ってけんかを始めることがあってはならないということです。それに、「目には目」という処罰は被害者が施すのではなく、資格のある裁き人(裁判所・警察など)が下すものです。もし、最初に平手打ちを受けた人が、それに応じて相手を殴ったりすれば、その人にも暴行罪が成立します。また、「他のほほをも向けなさい」とは仕返しをするつもりが全くないという意思表示であり、暴力魔から逃げたり、正当防衛をしてはいけないという意味ではありません。    また、イザヤ2:4には「そして,彼らはその剣をすきの刃に,その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず,彼らはもはや戦いを学ばない」 とあり、それゆえに彼らは戦い(格闘技も含む)を学びません。    次に、私の意見ですが、私は中学・高校の頃に柔道部に入部していました。最終的に講道館柔道の初段を取りました。もちろん、それは私がキリスト教を知る以前の話ですが。しかし、そのような事情ゆえにいくらか柔道に関することも勉強しました。(昇段試験にペーパーテストがあるんです。) 現在の講道館柔道は昔の柔術のように殺人技ではなく、加納治五郎がそれをベースにスポーツ化したものだと聞いています。加納は教育者であり、柔道を若者たちの教育のために活用しようとしたようです。ですから、受身をしっかり取る限り、特に授業中に柔道で負傷するということは比較的稀だと思います。(とはいえ、私は中2の時に部活中に先輩から背負い投げで投げられて左鎖骨を骨折しましたが。) 危険性のことを言うなら、むしろラグビーやアメリカン・フットボールなどの方が上かもしれませんね。    しかし、柔道部では顧問の先生から「闘争心」を持つよう奨励されました。つまり、「相手に勝つ」ということです。実際、正式な試合の場合、いつまでも相手に攻撃を仕掛けないと指導・注意・警告などを受けて、相手からポイントを取られます。ですから、柔道は確かにスポーツ化されてはいますが、護身のためではなく「相手を倒す」のが主な目標となっていることは否めません。これは、「もはや戦いを学ばない」というエホバの証人の考えとは相反すると言えます。    それから、柔道場には神殿やそれに相当するものがあり、稽古の前と後に「神殿に礼!」という号令と共に神殿に頭を下げていました。これは、紛れもなく宗教的な行為であり、エホバの証人の方々には受け入れられない要素の一つでしょう。また、剣道に関しては全くの素人なので、本で読んだ程度しか知らないのですが、柔道よりも剣道の方がより古代の格闘技に近いと思いました。もちろん、防具を付けている限り、安全性は高いと思いますが。    ですから、先に挙げた聖書的な根拠に加えて、(1)「闘争心」のような精神レベルでの問題、(2)「神殿に礼!」のような宗教的な要素がある、というのも彼らが柔道・剣道の授業に参加するのを避けている理由だと思います。柔道や剣道ができなければ、立派な社会人になれないとか幸福になれないということはまずないと思いますので、エホバの証人の学生さんがそれらの授業に参加しなくても特別な損害はないと思うのですが。

bonjin0909
質問者

お礼

最近、忙しくて返信が遅くなってしまいすみません。 神の存在についてですが、 1、人間の出来る限界を超えた存在が神と言う定義 2、人間の出来る限界を超えたものは神以外で現在、それが何か解っていないという定義 3、要するに神と言う定義=人間の能力では不可能なもの⇒結論できない。 4、聖書が神の代弁書⇒根拠が見えない。 5、どうして聖書が神の言葉? 6、会話ができないのに神がどうして、聖書に伝える事ができる? 7、単純に人間が聖書を神の言葉として表現しただけ!! 以上が私が考えている神の存在に対する不明点ですが、実は他にもあるような気がします。しかし、漠然と上記の点に対して考えています。 次に武道禁止についてですが、聖書においての表現ですが、教えていただいた聖書の言葉が武道禁止に繋がるように感じらえません。中学校で学ぶ武道は喧嘩をするためのものではなく、相手を懲らしめるものでもありません。ルールがあり、スポーツである武道がこの聖句によって禁止される根拠がわかりません。妻子の問題と言うよりも純粋に疑問を感じてしまいます。エホバの方の思考回路か組織の教理かわかりませんが、言葉遊びの延長のようです。 「柔道や剣道ができなければ、立派な社会人になれないとか幸福になれないということはまずないと思いますので、エホバの証人の学生さんがそれらの授業に参加しなくても特別な損害はないと思うのですが。」ですが、私はそうは思いません。yangmaskさんのコメントを聞いていると娘はエホバの信者にするしかないという言葉に聞こえます。私は指をくわえて娘が信者になっていくことを見ているしかできないのでしょうか?エホバの教えを理解しなさいというメッセージなのでしょうか?

noname#259625
noname#259625
回答No.21

これは、A No.20 yangmaskへのお礼に対する返答です。 >しかし、この話が神の定義に結び付けることはいかがでしょうか?・・・    この前説明した「人間以上」の存在者に関して、その意義は、人間もまたそのような創造者によって設計・製作された、つまり命を与えられたということにあります。進化論も、人間を含め生命の起源(生命がどのように生じたか)を説明しようとしていますが、生命の存在意義(生命が何のために、またなぜ生じたのか)については答えることができません。それに対する創造論(神が人間を造ったという説)は、命を与えた創造者には目的があったということ、それゆえに人生には目的があるということを示唆しています。    ですから、人生の目的(自分は何のために生まれたのか、また何のために生きていくのか)という疑問の答えを探しており、かつ「人間以上」の創造者がいるのではないかと考えるようになった人は、当然その創造者に対して「なぜ私を造ったのですか」と問いかけることになるでしょう。神はそれに対する答えを与えており、それが聖書ということになります。そう言い得るのは、(私の場合ですが)私もかつてそのように探求した者であり、その疑問の答えを聖書から見出したからです。    ですから、創造者に関する理論的な話もしましたが、もっと重要なのはその人が「神の必要性」をどれほど感じているかということにかかってくるでしょう。もし仮に神が存在するなら、人生の目的を理解できるだけでなく、人間の苦しみからの解決策をも見出すことができます。それは、bonjin0909さんがご自身で調べていくうちにだんだん分かってくると思います。 >聖書は神の代弁をしてこの世に伝えていると言う見解もあるようですが、聖書を作ったのは人間であり、神ではないと思います。    神が不完全な人間を通してご自分の考えを伝える必要性があったことを聖書はこう言っています。これはモーセに導かれてエジプトから脱出したイスラエル国民が荒野で「十の言葉」を神の声によって直に聞いた時の出来事です。    さて,民は皆,雷,稲妻のひらめき,角笛の音,煙る山を見ていた。それを見て民はわななき,離れた所に立っていた。そしてモーセに向かってこう言いだした。「あなたがわたしたちに話して,それをわたしたちが聴くようにさせてください。神がわたしたちに話されることのないようにしてください。そうしないとわたしたちは死んでしまいます」。 (出エジプト記20:18,19)    人間にとって神からの直接の語りかけはあまりにも強烈であったため、それに耐えうる人間の代表者(ここではモーセ)が神の言葉を聞き、それを民に伝えることになりました。ですから、神が不完全な人間を用いて聖書を書かせたのにはそのような理由があるのです。そのような事情を考慮すると、神が人間にメッセージを送るのにこれ以上に理にかなった方法はないと思います。 >・・・だから、不完全の人間が作った書物に対してキリスト信者の中でも解釈が異なっているかと思います。仮に神の存在があったとしましょう!!しかし、神の言葉を正確に解釈する事は人間の能力では不可能です。仮に楽園があっても神の言葉を人間が解釈する能力がないので楽園の世界は夢物語に感じてしまいます。    エデンの園での反逆が起きて以来、天使たちの間で論争が起こり、サタンのように「神の正義に従うよりも自分の好きな事をした方が幸福になれる」と主張する者たちと、「いや、やはり神の正義に従ってこそ、宇宙の秩序と平和は守られる」という者たちの二派に分かれました。(創世記3:15を見てください) それは人間の世界にも反映されており、サタンに従う者と神とキリストに従う者とがいます。神がは後者を再びご自分の元に集めて、前者を処罰されるおつもりです。それで、神は聖書が後者には理解できても、前者にはそこに記されている真理が理解できないようにされました。その点について聖書はこう言っています。    さて,わたしたちは円熟した人たちの間では知恵を語ります。といっても,この事物の体制の知恵でも,この事物の体制の支配者たちの知恵でもありません。彼らは無に帰するのです。わたしたちが語るのは,神聖な奥義の中の神の知恵,隠された知恵です。・・・この知恵を,この事物の体制の支配者はだれひとり知るに至りませんでした。・・・神はそれを,ご自分の霊によって,このわたしたち(神とキリストに従う者たち)に啓示されたのであり,霊がすべての事,神の奥深い事柄までも究めるのです。(コリント第一2:6-10)    分かりやすく言うと、「この世の高貴な知恵ある人々は神の言葉・聖書を理解できなかったが、神とキリストに従う者たちには聖霊が与えられたのでその真の意味を理解することができた」ということです。聖書は神の「言葉」であり、その背後にある言葉の意味をどのようにでも解釈することが可能です。本当に神の正義を求めている人にしか聖霊は与えられず、それなしにその真の意味は理解できないのです。ラジオの周波数が(心が正義に)合っていなければ電波(聖霊)を受信できず、放送が聞けない(聖書を理解できない)のと同じです。ですから、聖書は不義な人々から真理を隠すための働きがあります。不義な人々は聖書を曲解し、勝手な解釈(神の意図したのとは違う事柄)をします。    確かに神はできればすべての人が悔い改めてご自分の元に帰ってくることを願っており、そのために悔い改める猶予を与えて待ってくださってもいるのですが、飽くまでもそれを望まず、自らの利己的な欲望のために他の人たちの権利を侵害し続ける者たちは最終的に神に退けられます。ですから、聖書はすべての人に理解できるようにはそもそも作られていないということです。神は知恵をもって、本当に正義を愛する人たちだけが真理を理解し、ご自分の元に帰ってこれるようにしておられるのです。    もし難しかったらごめんなさい。また疑問点があればお答えします。

bonjin0909
質問者

お礼

すみません!!すぐの回答が私にとって困難です。今は頭の中で生命の誕生等現社会で解明できない事を考えています。鳥よりも人間の誕生が身近ですので、神の存在と生まれる事が予想される定義などを考えながら頭の中で想像も交えお答えできるように励んでいます。現状、思考停止に近い状況です。 先に以前、質問させていただいた12番のエホバの考え方、そして、yangmaskさんの考え方をお尋ねしても良いでしょうか?

noname#259625
noname#259625
回答No.20

これは、A No.19 yangmaskへのお礼に対する返答です。 >⇒実はこの見解は将来、人間の力で解明出来てしまうかも知れませんと言う話も考えられませんか?現在は解明されていないから人間以上の知恵を神の存在として考える事も理解できるのですが、反面、今は気がついていないというだけかも知れませんという解釈もあると思います。いかがでしょうか?    ご意見ありがとうございます。いやいや、こういう骨のあるご意見を待っておりました。今後もどんどんご意見ください。「最後にキリスト教であるyangmaskさんに対して私のコメントに失礼がありましたらお許し下さい」とのメッセージもしかと受け止めました。大抵のことは大丈夫です。むしろ、疑問点は全部出し切っていただいてOKです。    それはともかく、上の質問についてですが。そうですね、将来人間の科学はもっともっと進歩することは間違いないだろうと思います。例えば、江戸時代の人に「巨大な鉄の塊が大勢の人を乗っけて空を飛ぶんだよ」とジャンボジェットのことを言っても多分信じてもらえないでしょう。同じように、将来科学は現代の私たちの予想をはるかに超える進展を遂げ得ると言えるでしょう。    しかし、重要な点は、過去すでにそのような「人間以上」の技術が開発され実用化されていたということです。つまり、それは私が先回述べたように例えば鳥に見られるような「人間以上」の技術のことです。たとえ、そのメカニズムが将来科学の進歩によってすべて解明されたとしても、過去に実際、誰がそのようなものを造ったのかという事実は変わらないでしょう。例えば、法隆寺の五重の塔は千年という歳月をも耐え得るとても高い木造技術が使われているそうです。確かに、そのしくみを現代科学は解明したのですが、それでもその五重の塔を造った建築者(すみません誰かは知りません)が変更されるということはないでしょう。    ですから、「人間以上」と繰り返し言っている意義は、例えば先回挙げた飛行機のようなものでさえも人間が頭を使って一生懸命考えて、計算して、設計して、製作しなければできないというのであれば、ましてやそれ以上の技術力を要する鳥にはなおのことそうであろうということでした。つまり、鳥のような高度に実用化された飛行機には高度な技術が必要だということを示すために、「人間以上」と述べることにより現段階での人間の科学力と比較したに過ぎません。たとえ、将来人間の科学が鳥のような飛行技術に追いついたと過程したとしても(仮に神と同等のレベルに達したとしても)、というよりもそうなればますます、その鳥のようなものを造るには高いレベルの設計・制作者が必要であることに変わりはないでしょう。    いずれにしても、そのような過去の「設計・製作者」に変更はないということです。将来(科学の進歩)から過去(だれが鳥を設計・製作したか)は影響を受けないからです。この説明分かりにくければまた教えてください。 >しかし、残念な事に神が人間に託した聖書が色々な宗派によって解釈され、それぞれの自論をぶつけ合っているこの世の多くのクリスチャンを神が見たらどのように思うでしょうか?形だけの崇拝であり、真理はすでに失われてしまっているように見えてしまいます。    まさに、現状はそのような嘆かわしい状況にあると私も同意します。しかし、神はあらかじめそのような状態が生じることを予見しておられ、それは聖書に預言されています。「聖書から論じる」を読んでおられるなら、そのような項目があるだろうと思います。以前、No.13でも示しましたが、http://okwave.jp/qa/q7392685.htmlで私yangmaskがA No.11として答えているように、神は人間の自由意志を重んじるゆえにたとえ正義であってもそれを悪い人間に強制することはされません。    それでも、神は道を誤った罪人たちを無制限に放置しているのではありません。サタンも含め悪の勢力全体は神の許しなくしては何も行なうことはできず、それを神が許しておられるのには目的があるからです。神は一度限りサタンの主張が間違いであることを決定的に確証した後で彼らを処罰しようとしておられるということです。(ちなみに水戸黄門も最初は悪代官を放置しておいて、悪の証拠が十分そろったところで印籠を出しますよね。) その後、心の正直な人たちは神の元に帰り、楽園で永遠の命を楽しみます。しかし、一度エデンから追放された罪人(つまりアダムの子孫)が神の元に帰るには手続きが必要であり、そのためにイエス・キリストがこの地上に遣わされてきたということになります。とても長い数千年単位での神のご計画ですが、死んだ人たちは将来復活させるということを前提にしています。人間の計画とはとても比較になりませんが。    それで、結局、現段階で悪が許されているのも、またキリスト教が乱れているというのも、神のご計画の中での想定内の出来事であり、それには目的がきちんとあるということです。神の正義を真に求める人たちは最終的に正しい道に導かれますが、そうでない不純な動機がある人たちは「偽のキリスト教」やその他のまがいものによって足止めされることになり、神の元にたどり着く事ができません。「真理はすでに失われた」のではありません。むしろ、それは(偽のキリスト教などにより)隠されているのであり、本当に正義を求める人たちだけにしか見出されないようになっているのです。それらの点の聖書による裏付けは「論じる」から探してみてください。必要ならまたお伝えします。

bonjin0909
質問者

お礼

現在の人間が解明出来ない技術をすでに、神は設計・製作している。仮に人間の技術が解明したとしても、すでに存在しているものは事実であり、これは神が製作したとの見解のようですね。これはよく話になる進化論の議論に繋がっている見解でしょうか?yangmaskさんの話はよくわかります。しかし、この話が神の定義に結び付けることはいかがでしょうか?そもそも神とは何でしょう!!私は神の存在を最初から否定はしませんが、この世のクリスチャンの話を聞いているとクリスチャンの多くの方が神の存在意義よりも自身が信じている宗派の信仰を推し進めており、その信仰を神の言葉として発信しているように見受けられます。反対であれば、神の存在を考える上での材料としてyangmaskさんのお話が自然に入ってくるかと思いますが、私のように無縁だった人間にとっては神の存在を確信する事は難しいと思います。 どうして、「現段階で悪が許されているのも、またキリスト教が乱れているというのも~本当に正義を求める人たちだけにしか見出されないようになっているのです。」と言えるのでしょうか?聖書は神の代弁をしてこの世に伝えていると言う見解もあるようですが、聖書を作ったのは人間であり、神ではないと思います。だから、不完全の人間が作った書物に対してキリスト信者の中でも解釈が異なっているかと思います。仮に神の存在があったとしましょう!!しかし、神の言葉を正確に解釈する事は人間の能力では不可能です。仮に楽園があっても神の言葉を人間が解釈する能力がないので楽園の世界は夢物語に感じてしまいます。yangmaskさんのお話しに対する感想として視点を替えてのお答えになってしまいました。なぜならば、直接のお答えだと文章でまとめる事が私の能力ではハードルが高すぎました。後日、直接的なお答えはいたします。しかし、yangmaskさんのお話は深いですね!!宗教感に対してこれほど、私自身が考えた事はありません。これからは、妻子の立場もありますので、私にとってはとても良いきっかけになり、とても感謝しております。

noname#259625
noname#259625
回答No.19

これは、A No.18 yangmaskへのお礼に対する返答です。 >何度も読み返したのですが私の能力では yangmaskさんのお話しが理解できません。言いたい事はわかるのですが、神の実在に繋げる事が私には難しいようです。    そうですね、「神」という概念なしで生活している方には「?」な話だったでしょうか。何度も読み返してくださったとのこと、ありがとうございます。まず、チェックすべきことは(1)私の述べた説明の中で事実に反することが述べられていないかどうかという点です。また、私は事実に基づいて推理・推論して結論を導き出しているわけですが、(2)その推論の過程で間違いがないかという点です。もし間違いがあるなら、その推論の仕方を論破する反論が必要でしょう。しかし、それらのチェックを通過しても、導き出された結論が今までの自分が持つ基本概念とかなり異なっているとすれば、それは受け入れがたいものなのかもしれません。しかし、(1)(2)の点をチェックしながら重要な点だけもう一度説明させてください。    <<チェック(1)それは事実か>> 私が基本的に言いたかったことは、まず、大宇宙や地球上の大自然、動植物などを観察する時に「人間以上」の知恵が見られると現に科学者たちも認めているということでした。これが事実であることは間違いないと思います。(例えば、DNAの構造や光合成のしくみなど、また鳥、魚や動物に見られる飛行・潜水・走行能力など人間の技術を上回っているもの) つまり、チェックの(1)ということです。これは他の科学的な資料などご自分でお調べになるとよいでしょう。    <「人間以上」のものを認めることができるか> それで、実際には人間はまだ知らないことばかりなのではないでしょうか。ただ、現代科学が発達したこの社会は「人間至上主義」とでも言える考えに染まっているのかもしれません。つまり、それは「人間があらゆるものの中で最も高いレベルの生物・存在である(→だから地球の支配者)」という暗黙の考えです。しかし、私はそれは大変高慢な考えであると思います。そのような「主義」は結局、自然と協調することよりも破壊することを選び、結果として自らの滅亡をも招こうとしているのです。(例えば、商業主義→環境破壊→地球温暖化→異常気象→甚大な被害) 以前の世代、つまり科学が発達する以前の人々は今よりももっと自然と向き合い、そこからの恩恵に自分たちが依存していることを身に染みて実感していました。そして、自分たちよりもより偉大な、何か畏れるべきものがあるということを直感的に感じ、そのようなものを「神」として崇めていたのでしょう。その方式にはいろいろあって確かに変なものもあるのですが、しかし彼らは少なくとも「人間以上」の何かが存在しているということを漠然とながらも認めていたということです。    <具体的な事例> それで、「人間以上」のものがあるのかないのかということですが、実際にはあるというのが事実ではないでしょうか。先回、鳥の話をしました。鳥が空を飛ぶには飛行設計が必要であり、それがすでに大昔から実用化されていたのです。鳥と無人の軍用小型偵察機を比較してみてください。鳥は自らの意思をもって行動でき、餌は自分で見つけて食べ、ある程度の負傷なら自己修復でき、繁殖して増えます。鳥は「完全自立型の小型飛行機」ということができるでしょう。一方偵察機は誰かがコントロールせねばならず、誰かが燃料や電気を補給・充電してやらねばならず、故障すれば誰かが修理せねばならず、もちろん自分の力で繁殖して数が増えるはずもなく誰かが生産しなければなりません。また、飛行燃費の良さも違います。飛行機はジェットエンジンかプロペラエンジンを動かすための燃料が必要で航続距離がかなり制限されますが、鳥は気流に乗って飛ぶことができるので、より効率よくエネルギーを用い、あるものは北極圏と南極圏間を行き来します。(例えばキョクアジサシという鳥です。) このように、「実用化された飛行機(空を飛ぶもの)」としては鳥の方が人工の飛行機よりもはるかに飛行に関する技術レベルが高いということが言えます。    <<チェック(2)その推論は妥当か>> ですから、この鳥の事例からも分かるとおり、飛行理論・設計は大昔からすでに実用化されていたのです。一見当たり前のようですが、よく考えるとそれは驚くべき事ではないでしょうか。それにしても、だれがそのような設計を計算し、組み立てたのでしょうか。それは「人間以上」の知能と能力を持った者がそれをしたというのでなければ説明のつかないことです。(ところで、http://birdman.hiroshima-u.ac.jp/body/「広島大学 鳥人間コンテストへの挑戦」に面白い資料がありました。ざっと目を通すだけでも空を飛ぶことがいかに難しいこと、知恵が要ることかが分かりますね。)     <偶然に発生し得るか> 進化論では生命は偶然に発生し、その後進化して、現在あるような様々な生命に枝分かれしたと言っています。では、鳥が空を飛ぶ生き物として存在するのは偶然(に発生した生命の進化)の結果であると言い得るなら、それよりももっと簡単に設計・制作し得る人工の飛行機が偶然に発生するということもあり得るということになるでしょう。しかし、そのようなことが起きるはずがありません。たとえ何億年経過しても紙飛行機でさえも偶然に発生するということはあり得ないでしょう。    <設計・製作者が必要> そのようなものは設計・制作するだれか「技術者・工作者」がいなければ完成することはありません。ですから、どう考えてもだれかが飛行理論を理解して、飛行設計をし、次いで実際に制作したのでないかぎり、鳥のような完全自立型の優秀な飛行機が完成することはまずあり得ないのです。そのような設計・製作者のことを私は「人間以上」の存在、創造者、神というふうに呼びました。それが具体的にどのような者なのかは別としても、しかし最低でも「人間以上」の知性を持った人格的な存在者(生きている者)が実在することはそれによって確証できると思います。    いかがでしたか。要点は、「人間以上」の知恵・技術が現にある、(ということは→)「人間以上」の設計・製作者がいるはずだ、ということでした。その「人間以上」の存在者が神と呼ばれているわけです。しかし、鍵は「人間以上」の知恵は認めることができたとしても、「人間以上」の存在者を認めることができるかという点にあるかもしれませんね。疑問に思った点、分からない点などがありましたら、ぜひ具体的に教えてください。

bonjin0909
質問者

お礼

ありがとうございます。理論的な事はわかりました。人間以上の能力を備えたものが何なのか?という点が神の存在を提起する上での判断材料になると言う事でしょうか?そして、その理論が発展して神の存在を現実にいるという感覚を養う為の材料がこの世にあるキリスト教での学びに繋がっているという見解で良いでしょうか?しかし、残念な事に神が人間に託した聖書が色々な宗派によって解釈され、それぞれの自論をぶつけ合っているこの世の多くのクリスチャンを神が見たらどのように思うでしょうか?形だけの崇拝であり、真理はすでに失われてしまっているように見えてしまいます。 神の存在を否定する見解もお話いたします。、「人間以上」の知恵・技術が現にある、(ということは→)「人間以上」の設計・製作者がいるはずだ、ということでした。その「人間以上」の存在者が神と呼ばれているわけです。しかし、鍵は「人間以上」の知恵は認めることができたとしても、「人間以上」の存在者を認めることができるかという点にあるかもしれませんね。⇒実はこの見解は将来、人間の力で解明出来てしまうかも知れませんと言う話も考えられませんか?現在は解明されていないから人間以上の知恵を神の存在として考える事も理解できるのですが、反面、今は気がついていないというだけかも知れませんという解釈もあると思います。いかがでしょうか? 最後にキリスト教であるyangmaskさんに対して私のコメントに失礼がありましたらお許し下さい。

noname#259625
noname#259625
回答No.18

これは、A No.17 yangmaskへのお礼に対する返答です。 >「私もキリスト教徒ですから、その点は証明できると考えていますが。関心があれば、またお伝えします。」⇒是非、お願いします。    目に見えない神が実在することの証明でしたね。以下、私の見解をお伝えします。    <人間は目に見えないものを識別する能力を持っている> 人間は目に見えないものを「見る」つまりその存在を識別・認識することができますか。例えば、「1、2、○、4、5・・・」という数字の並びがあるとします。○の部分には何が入ると思いますか。当然、「3」だと分かったのではないでしょうか。このように、見えないはずの「3」を私たちは「見る」つまり識別することができました。どうして分かったのでしょうか。見えている数字の並びとの相互関係から推理した結果それが分かったというわけです。同じように、例えば推理小説の名探偵などが実際に事件を目撃したわけではないのに、現場の状況や遺留品、関係者からの証言などに基づいて推理した結果、あたかもその事件を目撃していたかのようにそれがどのように起きたかを言い当てることができるのではないでしょうか。    また、人間が持つ知識の多くは実際には見ていないものが多いというのが事実です。例えば、原子とかDNAの構造だとか、細菌やウイルスの存在など研究者以外は実際に目で見たことはないでしょう。あるいは、ニューヨークに自由の女神像があることやパリにエッフェル塔があることも、そこに行った人以外見たことはないでしょう。しかし、それらは実際に存在するということを多くの人は認めているのです。このように人間は見えないもの、見たことがないものでもその存在を識別する能力を持っているということが確認できました。ですから、「神は目に見えないから信じることができない」という論理は人間の能力からすれば当てはまらないということができるでしょう。    <被造物から神の存在を推理する> では、見えない神の存在をどのように識別できるでしょうか。私がここで言う「神」とは、キリスト教の唯一紳で、万物の創造者のことです。聖書によると、存在するすべてのものはこの創造者によって造られました。つまり、宇宙も地球もその中にある動植物、そして人間も神が造ったということです。もしそれが事実なら、そのような神が造ったもの(被造物)を観察する時、見えない神が存在することを識別する手がかりを得ることができるはずです。    <人間以上の知性が存在する> では、それらの被造物を人間と比較してみましょう。まず、人間以上に大きいものは存在しますか。はい、当然存在します。例えば大型動物がそうですし、もっとスケールを大きくすれば地球も太陽もさらには大宇宙もあり、それらと比較するとき人間の存在の小ささを実感せずにはいられません。また、人間以上に強い力が存在しますか。それも存在します。台風や地震や火山、さらには太陽の核エネルギーなど挙げればきりがありません。では、次の質問はどうでしょうか。人間以上に賢いものが存在しますか。さて、その点どう思われますか。人間は地球上で最も賢い生物だと考えていますし、実際そうなのですが、しかし多くの研究者たちが様々な分野の研究をしてきたにもかかわらず、現実には人間の知性では到底及びもしない高い領域(人間ではまだ理解できていないこと)が存在することがいよいよ明白になってきました。    例えば、鳥は人間が飛行機を発明するよりもはるか大昔から空を飛んでいました。ライト兄弟が飛行機を実用化するまでにどれだけ多くの人が苦労して「空を飛ぶ」ための研究をし、また失敗を繰り返してきたかを考えてみてください。重力のある地球上で空を自由に飛行するということは実際には並大抵のことではないということです。それには綿密に計算された飛行設計が必須であり、それなくしてどのように空を飛ぶことができるでしょうか。にもかかわらず、鳥は当たり前のように空を飛んでいます。人間の研究者たちは鳥の体の構造などについても研究を深めてきました。内臓の軽量化、骨の構造、羽毛のしくみなど飛行のための工夫が施されていることに彼らは驚きました。では、そのような鳥の飛行設計や工夫を鳥自身が考えて設計し、施工したのでしょうか。そんなことはあり得ません。では、どうしてそのような人間でも驚くべき綿密な飛行設計や工夫が施されているのですか。それは、人間よりも高い知性を持つもの(そのような設計・施工ができる者)が実在するということを意味しているのではないでしょうか。    <偶然? それとも意図された設計・施工?> 例えば、古代の遺跡が発掘され、調査された結果、高度な文明が存在していたと言ったりするのではないでしょうか。ピラミッドが正確に真北を向いているとか、星の運行に合わせて設計されているなどはそのような証拠とみなされます。私たちはその時代の文明を実際に見たわけではありませんが、それらの遺跡(証拠)に基づいてそのような結論に達することができるのです。では、鳥とかその他の被造物の中に人間の知性をはるかに超えた設計や工夫(証拠)が見られる時、それを設計・施工した者が実在することを確認できるのではないでしょうか。古代遺跡を見て、「それは偶然に発生した」などと言わないのと同じく、被造物に見られる人間以上の知性を見て、「それは偶然に発生した」と言うことができるでしょうか。進化論によると、自然に(偶然に)生命が発生したと言っているのですが・・・。    <目的をもって造られた> 被造物(例えば地球上の動植物など)には人間以上の知性が見られるという事実から、(1)被造物は綿密に設計され、施工された、(2)被造物を設計・施工した者、つまり創造者が実在する、ということが推理できる、または証明できるのです。それは、「創造者なる神によってすべてのものは造られた」という聖書の考えと一致しています。しかも、それには人間にとってもっと重要な意味があります。例えば、人が何かを作る時それには何らかの目的があるはずです。同じように創造者が何かを造る時それには目的があったはずです。つまり、それは神が目的をもって私たち人間を造ったということを意味しています。「なぜ自分は存在しているのか」、「人生の目的は何なのか」などという古今東西の人々が考え続けてきた疑問の答えを創造者は知っているということです。それで、聖書はそのような神からの答えを伝える書物ということになります。このように、被造物(大宇宙や大自然や動植物など)と聖書を深く研究する時、創造者についてさらに理解を深めることができ、さらには自分自身の存在意義は何なのかという核心の部分までをも解明し得るものとなるのです。

bonjin0909
質問者

お礼

目に見えない神が実在することの証明ですが、何度も読み返したのですが私の能力では yangmaskさんのお話しが理解できません。言いたい事はわかるのですが、神の実在に繋げる事が私には難しいようです。誠実にお答えしていただいたお気持に対して意見すら述べる事も出来ない事に恥ずかしい気持ちです。すみません。

noname#259625
noname#259625
回答No.17

これは、A No.16 yangmaskへのお礼に対する返答です。 >リングを降りると言った経緯は何から発信されたのでしょうか?そんなに簡単にリングから降りるのであれば最初からこのようには取り組みません。    飽くまで例えですので深刻に受け止めないでください。でも、やはりbonjin0909さんはこの問題を真剣に考えておられるということですよね。もし、言葉が不適切だと感じたのでしたら、お許しください。ただ、「リングから降りる」の私の真意とは、「エホバの証人はどうせ話の論点をそらしてくるから話し合っても無駄だ」と考えておられるようだったので、「無駄だ」と考えて話し合うのをあきらめるのではなく(つまりリングを自ら降りるのではなく)、対応策を練ることはできないのかなということでした。でも、長老さんともお話しし合うとのこと、成果を期待します。 >これは理屈ではなく、エホバ神が絶対ですので、いかなる否定的な意見、対立的な意見は受け入れる事はしない大前提から発信しているので論点がずれると思っています。    なるほど。それでは、なぜ彼らはエホバ神を絶対的な存在として受け入れているのか、そのあたりのメカニズムにはすでにメスが入っているのでしょうか。彼らの大前提となっている根幹たる部分ですから、その仕組みについて理解することは話し合いの際にプラスになると思います。例えば、見えない神の存在がどうして分かるのか、どのように証明できるのか、といったところからでしょうか。ちなみに、私もキリスト教徒ですから、その点は証明できると考えていますが。関心があれば、またお伝えします。 >しかし、社会との協調性を無視されると私のような立場の人間は困ってしまうと思います。    きっと何かあったということですよね。多分、葬式だとか輸血の問題とか進学・部活動・格闘技などの問題などですか。bonjin0909さんのような未信者の家族の方ができるだけ困らないようにするよう奥様や娘さんも努力しておられるとは思うのですが。具体的にどのような点にご不満があるのかまたよければお話しください。しかし、その「困る」というのが「とにかく周りのみんなと同じようにしてくれないと困る(恥かしいとか)」という主旨であれば、「周りのみんな」がしている行動が正しいということを具体的に証明するのでない限り、どうしても「とにかく・・・しろ、やめろ」というような命令・強制調にならざるを得ないと思います。そもそも2世ではないエホバの証人の方々はこの世の中で普通に生活していた人々だったわけです。それにもかかわらず彼らが世の中の常識から脱した(「強調性を無視している」と言われている由縁)のは、その間違いに気が付いたというのが大抵の動機なのだと思います。ですから、彼らを説得するにあたり、世の中の「常識」が絶対的な真理ではないと彼らが考えているという点を考慮に入れておく必要があると思います。 >ネットで苦しんでいた経験談や辛い話を聞いた方も投稿していますが話半分でもかなりの方がいます。私も会って話をした方も今、なお苦しみから脱却できていません。    これは1975年説に関する回答の中でも述べたのですが、「だれだれのせいで」と言って過去を引きずっているうちは彼らに明るい将来はないと思います。その点に関する内なる自分を改革する必要があることは前に述べたとおりですが、それ以外に彼らが立ち直る道はないと思います。私はそのような人たちを見てとても残念に思えてなりません。だれか自分以外の他者の責任に注意が集中しているうちは自らの反省・改善点に目を向けることができず(というより逃避しているのでは?)、それゆえに自らの卵の殻を打ち破って新しい自分に生まれ変わることができないでいます。誤解がないように言うのですが、このような見解はとても冷たい、厳しいと思われるかもしれません。私もうつ病から奪還できたと以前述べたとおりですが、何かを「克服」するのにはものすごくエネルギーが要ります。そして、すごくつらいし、大変です。でも、それをあえて正面から取り組む以外、逃げていては「克服」は成りません。私もとてもそのような元2世の方々を気の毒に思っています。私は彼らが自らの過去から教訓を得て新しい自分に生まれ変われるように願っています。    ところで、bonjin0909さんは元2世の方々がどのようなことが原因で傷付いておられるのかその具体的なメカニズムについて、どのように理解しておられますか。というのも、もしただ漠然と「2世だったから傷付いた」という論理であれば、「2世だったけど傷付かなかった」という他の現役2世の人たちの経験から論破されてしまうからです。その明暗を分けたものとは何でしょうか。私が先回、2世の「成功例」をも参考にするよう勧めたのにはそういうことが関係しています。それらを比較してみることは娘さんの問題に対処するのに大変参考になると思います。    最後に、本当に誤解がないように願うのですが、本当に短刀直入に言うので憤慨しないでください。bonjin0909さんは「エホバの証人は自分たちが絶対正しいと信じていて否定的な見解を無視する」との見解でした。私の第三者的な観点から見て、bonjin0909さんは「エホバの証人は絶対に間違っているに違いない」と考えておられるように思えます。これでは融和はありえませんよね。各人が様々な主張をするのは自由ですが、ある事柄が正しいか間違っているかを判定するには「証明」とか「立証」が必要です。これは裁判に例えると分かりやすいと思います。ですから、bonjin0909さんにお勧めするのは、彼らが間違っていると考えておられるのであれば、その間違いを具体的に証明すべきだということです。エホバの証人が関わっている問題が何か不都合な結果になった場合に、ただ漠然と「きっとエホバの証人が悪いに違いない」という結論の出し方には少し無理があると思います。その「真犯人」はまた別のものかもしれません。要するに、犯罪を「立証」せずに有罪判決を出す裁判は不当だということではないでしょうか。また、彼らにも彼らが潔白であることを証明するように求めることもお忘れなく。多くの人たちの話し合いが平行線をたどる原因は今述べたような要素を無視しているところにあると思います。是非、その長老さんとの話し合いが有意義なものとなることを願っています。

bonjin0909
質問者

お礼

「なぜ彼らはエホバ神を絶対的な存在として受け入れているのか、そのあたりのメカニズムにはすでにメスが入っているのでしょうか。」⇒私が接していた中での感想です。 「私もキリスト教徒ですから、その点は証明できると考えていますが。関心があれば、またお伝えします。」⇒是非、お願いします。 「きっと何かあったということですよね。多分、葬式だとか輸血の問題とか進学・部活動・格闘技などの問題などですか。bonjin0909さんのような未信者の家族の方ができるだけ困らないようにするよう奥様や娘さんも努力しておられるとは思うのですが。」⇒娘の学校での人間関係・私の父との関係、将来、子供が感じるであろう学校での諸問題。 「元2世の方々がどのようなことが原因で傷付いておられるのかその具体的なメカニズムについて、どのように理解しておられますか。」⇒一番に感じたのは自己主張できる環境がない事だと思います。 「最後に、本当に誤解がないように願うのですが~多くの人たちの話し合いが平行線をたどる原因は今述べたような要素を無視しているところにあると思います。」⇒私はエホバが全て悪いとは思っていません。今はそれよりも、大事な事は私もエホバについて勉強することだと思います。昨日は会衆に参加してきました。今日は長老さんにお会いして色々と質問させていただきました。そして、毎週1回長老さんとマンツーマンで聖書の学びを行ないたいと思っています。私の判断基準はその中で良悪を決めていきたいと思います。ちなみに、今日は「神から人類に対する見方」「武道禁止についての聖書解釈の考え方」「キリストを名乗っている宗派が何故、同じ聖書を扱っているの敵対関係にあるのか?」等質問を投げかけました。 ご回答ありがとうございました。

noname#259625
noname#259625
回答No.16

これは、A No.15 yangmaskへのお礼に対する返答です。 >「ところで、bonjin0909さんは普通に学校生活を送ってきた2世の方の経験はすでにお聞きになったということでしょうか。」⇒その通りです。その内容が悲しい事だからです。    私が先回、「普通に学校生活を送ってきた2世の方」というのは、エホバの証人スタイルで学校生活を送ってきた人たちで成功した事例のことでした。この前紹介したようにそのような女の子の事例をこの目で見てきましたし、2世の方が100%全員悲惨な学校生活を送るはめになるということはないと思います。(「その内容が悲しい事だから」と言われるところを見ると、何となくそういうふうに考えておられるのかなと思いまして。間違いでしたらすみません。) それで、まさしく公正な観点からも悲惨な結果になった例だけでなく成功例も知っておくならきっとプラスになると思いますよ。 >私が聞きたい主旨に対して角度を変えて答えてくるからです。例えば、国会を見ていると野党の質問に対しての与党の答えのように・・・。    なるほど。もう何度も彼らと話し合っているので、次にどういう対応をするか分かってきたということですね。それならそれで、対応策はありませんか。同じパンチをまともに受け続ける必要はありません。それとも、あきらめてリングから降りますか。ところで、実は私が交換日記・交換ノート形式を勧めるのはその点で利点があります。記録しておけば、論点のずれがどこで起きたのかを容易に確認でき、それを具体的に指摘し、修正することが容易になるはずです。口頭の会話では言葉が消えてしまい、その後どこで論点がそれたのかを指摘し修正することが大変困難だと思います。実際、このような私とbonjin0909さんがしているようなやりとりをしてみるのはいかがでしょうか。 >特徴としてエホバが原因で招いた不幸な現実に対して目を向けない。もしくは、目を向けないように仕向けられている事に気がつかない事が問題だと思います。    具体的な事例を挙げ、彼らがどう考えているかを聞いてみるとよいと思いますが、実際彼らに聞いてみても一つ上の話のように論点がずれていくということなのでしょうか。その例の長老さんが応じてくれるのなら、是非「交換ノート形式」でしばらく意見交換してみてはいかがでしょうか。そうすれば、話し合いをするために会う時間を合わせる必要もないですし、そのように言えば長老さんも応じてくれるかもしれませんね。実際のノートではなく、このようなインターネット越しの交換ノート(ホームページを共有するなどして)もありと思います。

bonjin0909
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。私も2世の方が100%そうなるとは思っていません。多分、聞く相手の立場(現信者か元信者)で異なると思います。しかしながら、前向きな考えも大事ですが、実際におきている不幸な現実にも目を向ける必要があります。そして、準備も必要と考えています。ネットで苦しんでいた経験談や辛い話を聞いた方も投稿していますが話半分でもかなりの方がいます。私も会って話をした方も今、なお苦しみから脱却できていません。勿論、成功例も大事ですのでチャンスがあれば聞いてみたいと思っています。ただ、個人差がありますのでその辺りは冷静に対応しなければなりません。 「もう何度も彼らと話し合っているので、次にどういう対応をするか分かってきたということですね。それならそれで、対応策はありませんか。同じパンチをまともに受け続ける必要はありません。それとも、あきらめてリングから降りますか。」ですが、 yangmaskさんのアドバイスの通り交換日記・交換ノート形式はしたいと思っています。それに合わせて私自身も知識を身につける必要があると思います。長老さんとも以前、エホバについてお話をした事があります。しかし、その時は私が今と違って真剣に取組みしていませんでしたので、単純に世間の話を聞いただけで意見を述べたに過ぎませんでしたが、今はエホバについて奥が深いと認識していますので、知識は必須と思っています。リングを降りると言った経緯は何から発信されたのでしょうか?そんなに簡単にリングから降りるのであれば最初からこのようには取り組みません。 論点がずれる件ですが、ネット上でも信者の方も参加していますので、そちらを見ていただければわかると思います。これは理屈ではなく、エホバ神が絶対ですので、いかなる否定的な意見、対立的な意見は受け入れる事はしない大前提から発信しているので論点がずれると思っています。しかし、この見解はエホバ以外の宗教全体に言える事ですが、私自身それならそれで信教の自由がありますから良いと思います。しかし、社会との協調性を無視されると私のような立場の人間は困ってしまうと思います。 長老さんとは誤解がないように最初はお会いして話をしたいと思っています。ネットですと言葉のキャッチボールが難しいのと長老さんはパソコンが不得手らしいので方法は一度、お会いしてから決めたいと思います。 いつもありがとうございます!!

noname#259625
noname#259625
回答No.15

これは、A No.14 yangmaskへのお礼に対する返答です。 >ですが意味がないと思います。信者のコメントには常に大前提があります。エホバを否定する事に関しては蓋をします。それからが会話の始点になります。だから、会話をしても論点が合いません。妻の友達とはすでに会話をしています。    なるほど。ところで、bonjin0909さんは普通に学校生活を送ってきた2世の方の経験はすでにお聞きになったということでしょうか。そのような人たちの経験を複数聞くことは、今後同じようなことが娘さんにも生じるはずですので、とても参考になると思いますよ。飽くまで経験談ですから、真実を述べる限り「論点が合わない」という心配はないとも思うのですが。論点と言えば、ところでbonjin0909さんの最終目標は何でしょうか。それは、娘さんが首尾よく学校生活を送れるようにすることなはずです。とはいえ、現状で娘さんはエホバの証人スタイルで行こうとしているようですが、それを何とか阻止するのが現状の目標になっているようにも受け取れます。(間違いでしたらすみません。) もしそうなら、以前も奥様に関して述べたのですが、たとえ最終的に奥様や娘さんの考えが変わることを願っているとしても、そのためには踏むべき手順がありますし、それにその考えを貫くかそれとも辞めるかは最終的には彼女らの意志にかかっていくると思います。私は彼らが大抵大変固い信念を持っていることを承知しています。それで、彼女らの考え・信仰を改めさせるというのがA案だとすれば、彼女らの信仰を容認しつつもとりあえず幸せな生活を送れればよしとするというのがB案で、私はこれまでB案の方を勧めてきました。多分、A案はうまくいかない可能性が高いと思いますが、どうお考えですか。    実のところ、エホバの証人が原因で家庭が崩壊すると言われている原因の一つには、そのようなことが関係しているのではないかと私は分析しています。つまり、未信者の家族が何が何でもエホバの証人の家族の信仰を変えさせようとすると、彼らが(静かに)抵抗することは間違いありません。それが原因で心の壁をつくり、深い溝ができていくという対立構図ができてしまいます。しかし、共通の「論点」は何でしょうか。それは、家族が仲良く幸せに生活するということではないでしょうか。bonjin0909さんはそのために、彼女らがエホバの証人をやめてくれればいいのにと願っているかもしれませんが、先程述べたA案だけに固執すると、じり貧になる可能性が高いと思います。bonjin0909さんが奥様や娘さんに考えを変えるよう説得することは全くの自由なのですが(つまりエホバの証人も他の人たちに伝道して「説得」しているわけですので)、結局彼女らが信仰を曲げないということがいよいよ明らかになった場合はどうするのでしょうか。ある人の場合、A案が受け入れられないなら、「離婚だ!」とか「勘当だ!」という結論に達するようです。そして、その家庭崩壊の原因はエホバの証人の家族が信仰を曲げなかったせいだと考えるかもしれません。しかし、私はもっと寛容になってB案のような柔軟な対応はできなかったのだろうかと思うのです。たとえ未信者の家族と一緒に生活していてもそこそこ幸せに生活している人は身近にいませんか。エホバの証人から話を聞くのが難しければ、その未信者の家族の方に話を聞くことはできませんか。確かに、「共存」していくにはそれなりの妥協や協調が必要になってきますが、それは不可能ではないと思いますよ。    私がB案を勧めるのは、彼らの信仰が極めて固いという事実を考慮した上でのことで、何もエホバの証人びいきということでもないと思います。最終的に家族が幸せに生活できればそれでよいのではないでしょうか。それがbonjin0909さんが思い描いていた将来像とは多少違っていたとしても。A案強行で対立するより、柔軟姿勢のB案の方が家族が幸せになるという目標を達成しやすいと思います。まあ、しばらくは様子を見てA、B両案併用というのがオチでしょうか。ところで、かくいう私もキリスト教徒と仏教徒という宗教的な混合した家庭でしばらく生活しましたが、それでもお互いに幸せに生活できたと思っています。そのためには色々と配慮や工夫が必要なのですが。私の経験をよかったらもう一度お読みになってみてください。http://okwave.jp/qa/q5151495.html の A No.8 yangmask の回答。 続いて、13個の質問の4つ目についてお答えします。 >4、エホバに対して否定的な情報は全て迫害されていると思われるのですか?    その可能性はあります。ただ「全て」100%とは言えないと思いますが。エホバの証人の世界観は創造者エホバ神の下で行なわれているキリスト(と天使たち)の組織とサタン(と悪霊たち)の組織の対立関係が基本となっています。エホバの証人の見解では彼らはキリストの側に属しており、その他の世間一般の政治的、宗教的、商業的な諸組織はサタンの息がかかったものとしてとらえています。それで、エホバの証人に敵対的な団体、個人が彼らを批判する時、そのような人々はサタンに操られているとみなすかもしれません。とはいえ、エホバの証人の伝道活動はそのようなサタンの支配下から逃れ、エホバ神とイエス・キリストの側に来るよう人々に勧めているという側面もあります。つまり、無条件の絶対的敵対を彼らが望んでいるというわけではないということです。彼らは彼らと信仰を異にする人たちともできれば平和な関係を維持することを望んでいます。しかし、当然サタンは自分の支配下から人々を逃れさせないためにエホバの証人を様々な仕方で攻撃するというのが彼らの見解です。その攻撃方法は宗教的な弾圧やマスコミによる非難・中傷、暴力や嫌がらせなど様々だと言われています。エホバの証人の方々が大体そのような観点で物事をとらえているということを理解しておくなら、不必要な問題を回避できる可能性があります。    私の意見では、エホバの証人に対する否定的な情報は攻撃的で一方的なものが多いような気がします。もちろん、そうでないものもあると思いますが。いつも言うことですが、エホバの証人に限らず、人に対して強制・命令的な方法で対処してもよい結果を生じさせません。また、怒りや腹立ちまぎれにものを言う場合などもそうです。そういう形で批判すれば少なくとも「言葉の暴力」は完全に成立するわけで、彼らはそれを彼らの用語で「迫害」と言うのでしょう。ただ、もし迷惑な点などがあり彼らに苦情を述べる場合(「伝道をやめろ」とかではなく、「最近伝道時間が増えたからか、食事の支度が間に合わない時が時々あるようだね」みたいな)には、紳士的に冷静にまた論理的に語りかければ話の通じない人たちではないと思います。素直に非を認めて謝罪し、改善してくれるかもしれません。この点は「ご近所トラブル」など一般の人たちの間で起きている摩擦問題に上手に対処する時と全く同じだと思います。    ところで、私がbonjin0909さんを評価している点は、彼らに対して冷静にまた論理的に取り組もうとしているという点です。それは、人間としてとても基本的なしかし大変重要なことだと思います。そのような共感をしつつ、影ながら応援しております。

bonjin0909
質問者

お礼

実は今度、長老さんとお会いして多くの質問をしようとしています。その為に私はyangmaskさんへ13個の質問をお願いしました。実際には現在、その内容も増えています。その目的は聖書の内容です。エホバが聖書を説明する上での資料(聖書は実際に何を教えていますか・聖書から論じる・聖書全体は神の霊感を受けたもので有益です・ものみの塔・目覚めよ)での解釈について疑問を尋ねようと思っています。私は宗教については無知ですが私なりに疑問点がたくさんあります。まずは、それを考えないとこの先も同じ事で苦しむような気がします。その目的は私が単純に世間の第三者的な発言を鵜呑みにできる立場ではない事を念頭においているからです。yangmaskさんのお答えについてですが「ところで、bonjin0909さんは普通に学校生活を送ってきた2世の方の経験はすでにお聞きになったということでしょうか。」⇒その通りです。その内容が悲しい事だからです。「飽くまで経験談ですから、真実を述べる限り「論点が合わない」という心配はないとは思うのですが。」⇒説明が難しいのですが、私が聞きたい主旨に対して角度を変えて答えてくるからです。例えば、国会を見ていると野党の質問に対しての与党の答えのように・・・。そこで、今回、長老さんと会って疑問点を投げかけようと思っています。了解も得ています。「論点と言えば、ところでbonjin0909さんの最終目標は何でしょうか。~それを何とか阻止するのが現状の目標になっているようにも受け取れます。」についてですが、A案・B案どちらが目標ですかという主旨かと思いますが、理想はA案です。しかし、B案も視野に入れなければいけないという考えです。現段階、どちらを選択するしないではなく、夫として父として何もしないで、文句だけでしたらこれほど簡単な事はありません。妻、娘の考えている事に対してまずは、ある程度のエホバの知識・考え方に対して私自身が勉強する必要があります。そこで、妻子の精神状況も想像した上でA・B案どちらかを決める事になると思います。残念ながら、今の私には決めるだけの知識・スキームが欠落しています。 「実のところ、エホバの証人が原因で家庭が崩壊すると言われている原因の一つには~確かに、「共存」していくにはそれなりの妥協や協調が必要になってきますが、それは不可能ではないと思いますよ。」についても私なりに聞いたり、調べたりしていますので認識しております。そもそも、夫婦というものは価値感に違うもの同志がいっしょになっていると思います。しかし、お互いを尊重できる関係を作る事ができる夫婦が時間と共に絆ができて、共有できる良い夫婦に発展していくと思っています。離婚の原因になっている要素は夫婦の片方が自論を通して相手を論破するからだと予想しています。それか精神的な疲労によるものだと思います。話が少しずれますが、私の現在の認識としてエホバの教えは社会常識とかけ離れている点があるから、世間からするとカルトと呼ばれてしまうと思います。特徴としてエホバが原因で招いた不幸な現実に対して目を向けない。もしくは、目を向けないように仕向けられている事に気がつかない事が問題だと思います。理想はA案だと言ったのはそれによるものです。妻子との良い関係も大事ですがこのような人格になってしまう事も恐れています。しかし、これに伴う弊害を考えなければいけないという事から現段階は選択できないという事です。最後に今、私が行っている事をお伝えします。先程、お話しした聖書は実際に何を教えていますか・聖書から論じる・聖書全体は神の霊感を受けたもので有益です・ものみの塔・目覚めよについて、目を通しています。勿論、長老さんとお話する上で私も学ぶ必要があるからですが、不明な点は妻に聞きながら読んでいます。目的は最初から否定するつもりではないよと言う姿勢を大切に考えています。しかし、娘は私が冊子を見ている時、また、何か言われたらどうしようと思っているような気がします。私は冗談で娘にパパが聖書を見ている姿は見合わないというような事を笑いながら話をするのですが・・・・。 いつも貴重な御意見ありがとうございます。

noname#259625
noname#259625
回答No.14

これは、A No.13 yangmaskへのお礼に対する返答です。 >幼い頃、私も母を亡くし、父ともいっしょの生活をせず、12歳まで祖父母に育てられました。・・・    実は私も幼い頃に父と母が離婚して小2まで母子家庭で育ちました。父の記憶はなく、写真でしか知りません。小2以降は母が借金から逃れるためにいわゆる夜逃げしたので、祖父母の家に引き取られました。その頃、児童相談所に連れて行かれ、必死で祖父母にお願いしたのを覚えています。その後、私が中1の時に一つ下の弟は里子に出されました。さらに、中2から私はナルコレプシーという病気になったようで、昼は居眠りをするし、夜は眠れないという生活が始まりました。成績は落ち、私はうつ病になりました。高校は途中から登校拒否するようになり、結局高2で中退しました。その後、大検を取って高校卒業程度の資格は確保したのですが。その頃、私はいろいろな疑問を持つようになり、図書館やいわゆる「拝み屋」のところなど様々な宗教のところに行ったりしていました。キリスト教に関心を持つようになって聖書を勉強し始めたのもこの頃でした。それからもう20年近く経ちます。ナルコレプシーはまだ完治していませんが、うつ病からは完全に奪還できたという感じです。私は聖書と神を信じることから生きるための力を得てきました。    bonjin0909さんはご自分の子供の頃の体験から娘さんのことを本当に心配しておられるのですね。私の経験から得られた一つの結論は人間には適切な導きと支えが必要だということでした。私の場合、それがキリスト教ということになりますが、しかし、何か心の導き・支えとなるものがあるのとないのとでは大きな違いがあると思います。娘さんの現状は私には分かりませんが、もし娘さんがそれをエホバの証人の宗教に見出しているというのであれば、それはそれでプラスに働かせることが十分可能であると思います。ただ、先回述べたように、娘さんがどのくらいその宗教を本気で信じているか、確信しているのかということが問題だと思います。「ただお母さんから言われたからしている」程度のことであれば、真の導きや支えとはならないかもしれません。 >・・・子供にとってはハードルが高すぎます。    私はbonjin0909さんが娘さんがエホバの証人スタイルで学校生活を送った場合に被り得る弊害について心配しているのだと思っていました。もしそうなら、やはりブレのない首尾一貫した言動が重要だと思います。中途半端な信仰・言動はかえって周りの生徒たちから変な目で見られる対象にしかならないでしょう。娘さんにはハードルが高いでしょうか。それは今の段階ではという意味ですよね。もし、娘さんがエホバの証人スタイルで行こうというつもりなら、そのハードルを乗り越えられるように助けてあげてほしいと思います。できないことではないと思いますよ。娘さんの潜在的な才能や能力を信じてあげてください。しかし、これは飽くまで仮の話で、娘さんがそういうスタイルで行くつもりがないのであれば、また話は別なのですが。 >・・・ネットでよく見る元2世の声及び実際にお会いして話も聞きました。私にとっては衝撃的な内容でとても我が子をそのような状況にはさせたくないというよりさせてはならないと思っています。    私は引越しする前に親しくしていたエホバの証人の方々がいたので、いわゆる2世でも普通に学校生活を送っているのを見る機会がありました。私の知っている女の子は小4から高校3年で卒業し、その後大人になるまでの間を知っていますが、明るくて快活な子でした。特にいじめがあったとも聞きませんでした。確かに、2世ゆえに荒れた子ども時代を経験した方もいるかと思います。しかし、逆に同じような立場で普通に生活してきた人たちが大勢いることも事実です。それで、今後の娘さんの成功を願って将来像を思い描くのであれば、そのようなすでに普通に学校生活を送ってきた2世の方の経験を聞いてみるのも参考になるでしょう。奥様のお友達に恐らくそのような人がいるのではないでしょうか。    あるいは、私の知っている別の2世の子は、中学の時にエホバの証人の立場を放棄しました。その子の家庭は全員がエホバの証人を信じていたのですが。その後、風のたよりでその子が看護士になったと聞きました。その他にも、私の同級生の何人かは、大人になって再会した時に実は子どもの頃は2世だったことが明らかになったなどということもありました。私は全くそんなこと気が付きもしませんでしたが。結論としては、やはり中学生ぐらいが2世としてとどまるか離れるかの分かれ道のようですね。いずれにしても若さゆえに(たとえ2世でなくても)葛藤するという過程は避けられないと思いますが。そこがサポートのしどころだと思います。たとえ娘さんが幸せになるのに障害があったとしても、克服は不可能ではないと思います。このように、2世の子の人生も十人十色というのが現実です。先程述べたように成功例を調べれば具体的な糸口が見えてくるかもしれませんね。

bonjin0909
質問者

お礼

お答えありがとうございます。 娘さんがエホバの証人スタイルで学校生活を送った場合に被り得る弊害について心配しているのだと思っていました。ですが、その通りです。私の答えの中に願望が入っていました。誤解を招いてしまってすみません。 「2世ゆえに荒れた子ども時代を経験した方もいるかと思います。今後の娘さんの成功を願って将来像を思い描くのであれば、そのようなすでに普通に学校生活を送ってきた2世の方の経験を聞いてみるのも参考になるでしょう。奥様のお友達に恐らくそのような人がいるのではないでしょうか。」ですが意味がないと思います。信者のコメントには常に大前提があります。エホバを否定する事に関しては蓋をします。それからが会話の始点になります。だから、会話をしても論点が合いません。妻の友達とはすでに会話をしています。

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