• 締切済み

知識は人を救うのか。

ある有名な霊能者の方の本に寄るのですが、 その方の主張は 一貫して「知識を得よ」というものでした。 その方の著書に寄れば、 判断力や理解力を養うためには、「読書」が有効である、と。 知識というのは、所謂、学歴のようなもの(国語、数学、理科、社会・・) といったものに留まらず、あらゆる分野の勉強・・・例えば、料理、農業、政治経済、医学・・等々 の書物を広く深く読み込んで、知識を得ることにより 人や物事等に対する真贋を見極めるといった判断や、理解ができるようになり それがひいては、幸せへの道へ通じる、という趣旨でした。 私は、この主張に対して、半分納得し、半分疑いを持っている、というところです。 著者の方いわく、知識というのは、必ずしも読書に限るものでもなく テレビを見ていても学ぶことはあるし、 或いは飲食店に入って、何か注文すれば、その際のスタッフの接客の仕方ひとつでも 学ぶことはある、知識をえることはできる、とおっしゃっています。 最終的には、知識を得ることで 幸せになれる、と説いています。 私の「知識」に対する印象は「知識の詰め込み」という側面があり、必ずしも肯定的ではありません。 知識ばかり増えて、頭でっかちになったり 或いは、知識はあっても、それが即実践とはならなかったり(例えば、スキーの仕方を書物で学んでも、実際に滑れるようになるわけではない)、例えば人間関係にしても、本で人間関係について知識を得ても、では人つきあいがそれで達人になるかといえば、本を読む前とほとんど変わらない、ということもある。人間関係は、人間の幸せと直接結びつくものですから、なおさら、読書と幸せの因果関係がわかりにくくなります。 みなさんは、これについて どう思われますか? できたら、例を出して説明してください。

  • cibone
  • お礼率85% (700/820)

みんなの回答

  • dogday
  • ベストアンサー率29% (2314/7952)
回答No.11

知識の質問をしていて、回答者にピント外れと無礼を働くのは、他人の知識を吸収できていないからです。 知識による幸せとは?って質問をご自身でされているのですから。

cibone
質問者

お礼

お礼ではありませんが、 お礼欄を使います。 私の質問内容の表現力の問題もありますが 最終的には、私の納得できる回答はありませんでした。 それほど、簡単な問題ではないということです。 霊能者は、 クライエント(悩みを抱える人)が、霊能者に相談に来る ↓ ー霊能者が霊視や神のメッセージをクライエントに伝える(たいてい、その人の欠点を指摘する。欠点があるから不幸が起きる。欠点に気づくことでカルマが消える、という理論) ↓ クライエントの中には、素直に欠点に気づく人もいるが、怒ってしまう人もいる ↓ 怒ってしまう人や、メッセージを聞き入れない人について霊能者が悩む ↓ 怒る人、欠点を直そうとしない人は知識不足であると霊能者は考える ↓ あらゆる分野の知識を得ることで、判断力や理解力(霊能者の言葉が正しいと判断できる、理解できる)がつく ↓ 霊能者の言葉を素直に受け入れて、欠点を是正し、その結果不幸や悩みが焼失する ↓ 幸せになる といった論法です。 このことが、ほんとうなのかどうかが知りたかったのですが 私の疑問に対して 納得できる回答はありませんでした。 それはしかたのないことです。 私は正直な気持ちを言及したまでです。 回答者が常に正しいとか質問者よりも優れていると私は考えていません。 アドバイザーであるとも考えていません。 それが真実です。

cibone
質問者

補足

回答者が賢者であるとは限りません。 ピント外れはピント外れです。 dogdayさんが、私の知識を吸収できていない証拠でしょう。 質問者よりも回答者が常に賢いわけではないのです。

noname#193571
noname#193571
回答No.10

またまたピント外れですいませんでした。 どうも、あなたの頭に私の言いたい事を伝えるのは、私の文章力では不可能なようでした。 お邪魔して、申し訳ありませんでした。

cibone
質問者

補足

私に理解力がない、と言いたいのですか? 伝わらないというよりは、 botakuさんは、物事を決め付けており、それを前提に話すので かみ合わないのです。 例えば、霊能と理屈というものを 相反するものと考えているようなところです。

noname#150476
noname#150476
回答No.9

最初の質問文の中ほどに、こう↓ありますよね。 >著者の方いわく、知識というのは、必ずしも読書に限るものでもなく  テレビを見ていても学ぶことはあるし、  或いは飲食店に入って、何か注文すれば、その際のスタッフの接客の仕方ひとつでも  学ぶことはある、知識をえることはできる、とおっしゃています。 その霊能者の方は「知識」という言葉の意味を広くとらえ、「経験から学んだことも『知識』のうち」と考えているのではないでしょうか。つまり「読書等で情報を集めるだけでなく、経験で学ぶことも大事」と言いたいのではないですか? そしてそういった広い意味での「知識」を自分の中に蓄えていればいろんなことに対処しやすい。困ったことがあっても上手く対処できる。困ることが減れば自然、不安が減り自信がつき、幸福感が増す。 そういった事をその著者は言いたいのではないでしょうか。

cibone
質問者

お礼

広い意味での知識、という理解でよいかと思います。 ただ、この方は その中でも 「読書」を強調されていたことも事実ではあります。 ただ、知識の大切さを説く中で、 著者である霊能者の方は、その知識を困ったことにうまく対処できるようにするため、という 風に書いてはおらず クライエントが、霊能者の指導に対して それを素直に聞いて、欠点を直せる場合と、直さない場合(反抗的態度を示す)の違いには 知識の有無がある、と言っていました。 また、霊能者を訪ねる人の不幸や悩みが、読書などから得られた知識で解決するのか、 ということに疑問がありました。 しかし、霊能者の方は 読んだ本がすぐに何か悩みを解決してくれる、という意味では説明していない気はします。 ただ、ありとあらゆる知識を得たことで 悩みが消えるのかなあと疑問に思いました。 例えばです。 子供がひきこもりになった、という場合に 親がありとあらゆる知識・・例えば、天文や数学、料理に手芸、政治経済、歴史、ファッション・・・などを学ぶことによって、ひきこもりの子供が 立派な社会人になっていくのか・・ということです。 悩みの解決に、幅広い知識が必要なのか、と疑問に思いました。 ひきこもりでなくてもいいんです。 例えば、好きな人と復縁したい、でもけっこうです。 その悩みと、幅広い知識の習得との関係性が疑問でしたので、質問しました。

noname#193571
noname#193571
回答No.8

ピント外れだったようですね。 その著者は、不幸や悩みが解決すれば幸せといっているのですか。だとすれば、本当によく分かりませんね。 なぜ知識が増えれば、子供の不登校が解決するのか?だんなの借金が解決するのか? 私の言ったのは、知恵を得るにも知識が必要だと言う事なんですが。 霊能者ですか・・・ 霊能の分野の事を、理屈で理解しようとしても仕方がないと思いますが・・・・

cibone
質問者

補足

またまたピントハズレなご回答をありがとうございますw 霊能の分野というのがあるわけではありません。 霊能というよりは、霊能者は 投資能力を持つ人、ということです。 理屈と霊能が別物ではありません。

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2725/5435)
回答No.7

霊能者で知識を必要とする?・・その人は何か勘違いしていますよね。 結局その人は知識の多さやそれによって得られる地位や名誉によって人の信頼を得て、その上で霊の世界を名得させようとしていませんか? 尤も日本の体制がその通りなので間違いではありませんけど、逆にそれだからこそ日本は発展しないんですけどね。 知識はそれ自体ではただの飾り物です。どんなに知識があっても釣りの名人にはなりません。F1ドライバーにはなれません。知識を応用する、柔軟に組み合わせる。時には知識を外れて行動する勇気も必要です。知識は生活の土台にはなりますが、知恵がなければ無いに等しいものなんです。でも、知恵も知識が無ければ生まれてきません。知恵は知識の応用なんです。 知識が無ければ自分で作り出さねばならず、試行錯誤の数が多くなります。知識があれば効率よく知恵が発揮でき、99の失敗を49にすることも可能になるのです。 考えてみてください、オーム事件で犯罪に手を染めた多くの人が高学歴者です。決して落ちこぼれではありません。落ちこぼれでないからこそあれだけの発明や成果が上がったわけです。 しかし彼らにはほんのわずかな勇気がなかったから抜け出すこともできなかったんです。 アイシンシュタインなど原爆の基礎学問を考えた人々もその応用がどうなるかについては無関心だった。 人々や自分の生活より知識の充実だけを追い求めたから原爆投下とかサリン事件を起こすことになるのです。 霊能において確かに真偽をただすためには知識が必要です。 でも知識は使いようによっては人を騙すための材料にもなります。言葉巧みに霊能ではなく、知識によってあたかもそれが霊能によって導き出されたかのように振舞うことも可能なわけです。 どうも、その自称霊能者からはそのような匂いがしてなりません。 近年の心霊ブームで目立ったのは占い師として世に出た人がなぜか心霊番組に出演してアドバイスしていたこと。中には自分で除霊までしている人がいました。これが良い例でしょうね。 占いというもの、特に気学や四柱推命、占星術などは天然自然、森羅万象の理を見つけ出すための学問です。 それだけ天然自然の観念的仕組みを深く理解するわけです。科学が構造的な仕組みを解き明かすのに対し、占いはそこにある「意義」や「観念」といったものを考えます。簡単に言えば心が行動に現れると言うことです。 ところがある程度天然自然の仕組みを理解して人を指導していくと、次第に自分が人を誘導している気になってきます。学校の先生があたかも生徒が自分の支配下にいるような錯覚を覚えるのと似ています。 やがてそれは自分が霊的に優れているかのように考え、周囲もそのように考えてきます。 大昔、天文学や薬学などの役人であった陰陽師が次第に霊的なことに対しても対応するようになったのと同じです。 するとやがて自分が霊能があるかのように勘違いして、自己催眠状態に陥り、浅はかな知識による霊処理を始める。これが最近の心霊ブームに占い師が登場してきた原因です。 実際には占いの知識によって導き出された答えをあたかも霊が語ったかのように言うことになります。 実は知識によって考えたものを霊能によって導き出したかのように言うのと同じです。この場合、原因と結果につながりは必要ありません。過程を飛ばしても霊が語るのですから必要ないのです。それだけ楽になります。 確かに優れた霊能者はより天然自然の理に近いのですから、さほど霊能を使わずに人の問いに対応するために、あるいは自分の理解を深めるために占いを学ぶことはあります。つまり優れた霊能者が占いを行うことはあります。安倍清明が良い例でしょう。私は真の霊能者の中で2名の人を知っています。 でも逆に言えば、清明は知識を生かしてあたかも霊能者であるかのように振る舞い大出世した策士とも取れるのです。 霊が語る内容は多岐に渡っています。だから広い知識が無ければ理解し難いでしょう。でも高い指導霊がいるならばさほど知識は必要ありません。 私の師事する霊能者がいます。彼女は一部の工業的知識はありますが、そのほかに関してはまったく知りません。でも相談者は多岐に渡り、高度な科学や外交問題、専門職の人まで着ます。 彼女は知識がないために指導霊が語る内容を理解することはできません。仕方なく「このようにおっしゃってるけど心当たりありますか?」という回答になる。 相談者が「このことでしょうか」と専門知識を披露すると「それだとおっしゃってる」とか「そうではない」と答えます。 逆にそれが彼女が詐欺ではないことを証明し、「それがどうつながるのか、ちょっと疑わしいな」と思うことでも信じて進めたときに成果が出ると逆に信頼を高めることにもなるのです。 私もそのようなことが何度おかりました。 知識が霊能を妨害するということもありえます。つまらぬ先入観が霊の導きを阻害するのです。つまり霊能者自らが霊の言葉を疑問視してしまうことになる。 そういった意味では学問は霊能の邪魔という人もいるはずです。

cibone
質問者

お礼

考えてみてください、オーム事件で犯罪に手を染めた多くの人が高学歴者です。決して落ちこぼれではありません。落ちこぼれでないからこそあれだけの発明や成果が上がったわけです。 >霊能者の方は、高学歴の人を知識のある人という風に言っていません。 生きる上での知識を指して、知識と言っています。 オーム事件で犯罪に手を染めた人のことを、この霊能者の方は、 学校で習った知識はあっても、社会人としての知識はなかった、と言うはずです。 ですので、オーム事件の高学歴者のことを、霊能者は知識不足と言うでしょう。 私は真の霊能者の中で2名の人を知っています。 >今、生きている人ですか? 彼女は知識がないために指導霊が語る内容を理解することはできません。 >これがわかるために、霊能者は知識を身に着けようとしたのだそうです。 霊能者と言う言い方をしてきましたが よくテレビなどに出演していた青森の女性霊能者の方です。 地元では「木村の神様」で通じるのだそうです。 その方がたくさん本を出しています。 あなたが信じているホンモノの霊能者を教えて欲しいです。 ご回答ありがとうございます。

noname#193571
noname#193571
回答No.6

まず、「幸せ」とは何かを定義しないと、知識と幸せが結び付くかどうかの議論は出来ないと思います。 「知識」の定義は、そんなにぶれない気がしますが、何を「幸せ」というかは人それぞれだと思います。 その著者は、幸せとは何だと言っているのでしょうか? 以上前振りで、それは後にして。 「知識ばかり増えて、頭でっかちになったり或いは、知識はあっても、それが即実践とはならなかったり」と書かれていますが、頭でっかちにならずに実践できるようになるためにも知識は有効だと思います。知識を生かすのも知識です。頭でっかちになるのは、知識が足りないからだと言えます。知識を実践に生かす知識が足りないのではないでしょうか。 「知識ばかり増えて・・・」とは、量的には知識が増えても、知識の種類が増えていないで、知識を結びつける知識が足りない状態ではないでしょうか。 本を読んでも本を読む前と変わらないのは、その本を実践に生かす知識がまだ足りないということだと思います。 さて、「人間関係は、人間の幸せと直接結びつくものですから」とあなたは書かれていますが、その本の著者もそのように書かれているのでしょうか?その著者の意図している”幸せ”は、違うものでは無いかと思うのですが。もっと内面的な事を言っているような気がするのですが、どうでしょうか?

cibone
質問者

補足

幸せの定義、というのはそれほど難しく考えなくて良いのです。 その霊能者の方を訪れる場合、なんらかの不幸や悩みを抱えています。 例えば、子供が不登校だ、ひきこもりだ、といった場合ですとか だんなが借金を作って困る、といった よくある悩みです。 その悩みや不幸が解決した場合のことを、この場合 幸せと言っています。 知識を生かす知恵というふうに、知識と知恵を区別してもいません。 あなたのいうことは、残念ですがピントはずれです。

noname#211894
noname#211894
回答No.5

愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ そのまんまです。 真理だと思いますよ。 本を書くということは、昔から多くのエネルギーを使います。 昔の聖書にしても、経本にしても、手書きによる写しです。 最近の書物にしても、原稿を印刷し、製本して、書店に並べるためには多額の費用が必要です。 費用を出せると言うことは、その本に対する覚悟です。 ネットのwebページや、掲示板の書き込みとは大きく違います。 すぐに消せるwebページでは間違ったことでもすぐに人の目に触れます。 書籍はすぐに消せませんし、売れなければ書いた人が自腹で買い取らなくてはならないので、真面目に書こうとします。 我々は大変ちっぽけな存在ですし、寿命も短いですから、全ての事柄を経験することは出来ません。 だからこそ、他人の経験を綴った書物を読み取ることで、足りない経験を補うと言うことになります。 または、法律書など、自分を護るために必要な知識は最優先で手に入れなければならない知識でしょうね。 まず、知識は必要です。知識がなければ、知恵も使えませんので。 ただし、必要な分の知識であって、国会図書館全ての本の知識をなんて言ってませんよ。 どうも一事が万事の考えの人のようですし。 書物に限らず、TVでもラジオでも、netでも、日々の他人の行動や会話の中でも知識は得られます。 知識だけではなく、それを使える知恵も必要です。 ただし、消えていく、それらの見えない知識、残らない知識に比べて、書物はほぼ永遠に我々に知識を与えます。 最近思うことは、本も最近は軽くなったな。と思います。 パソコンやワープロの所為かな。 原稿用紙に直接書いていた頃の、一字一句の重みが無くなったようにも思えます。

cibone
質問者

補足

著者は、図書館の本を知識とは言わない、と言っていません。 あなたの回答も、残念ですが ピント外れです。 失礼ですが、あなたは知識がありません。 本は、著者が自腹で出版していません。 それは限られた自費出版になります。 そういった、世の中のしくみを含め 著者は読書を進めています。 あなたの回答の一部は、正しいようです。

回答No.4

本は売る為の手段や方法です。 疑問を持った人や、肯定する人が手にするものです。 何であれ、売れれば著者の利益につながり、著者は幸せになります。

cibone
質問者

お礼

確かに。 本はビジネスでもありますね。 良書もあるわけですが。 内容もないのに売れる本はありますし、 出版社は売ろうとしていますね。 あなたのように、世間を鋭く見抜く目も 知識です。

  • dogday
  • ベストアンサー率29% (2314/7952)
回答No.3

知識を使う知恵がなくちゃ無意味ですよ。 >判断力や理解力を養うためには、「読書」が有効である、と。 ここまでは、正しいのです。 >知識というのは、所謂、学歴のようなもの(国語、数学、理科、社会・・) >といったものに留まらず、あらゆる分野の勉強・・・例えば、料理、農業、政治経済、医学・・等々 >の書物を広く深く読み込んで、知識を得ることにより この段階で、知識欲という知恵がないと、詰め込んでも利用できなくなります。理解しない丸暗記ってだけで。 >人や物事等に対する真贋を見極めるといった判断や、理解ができるようになり この段階は、知識のレベルを超えています。知識の運用だから。 知識を得ることで幸せを得ることはできるのです。 でも、本を読まない人は多いし、テレビの知識を記憶も理解もしないで垂れ流している人がほとんどな訳で。 知識を使う知恵がないからです。 世の中の情報の全ては知識であり、知識欲があればどこからでも知識を得ることができるのに、興味が沸かないから知識にならない。 だから、読書は知識を与えてくれるソースと思って接することで、はじめて知識になるのです。 読んでるだけでは読書という知識しか得ません。 普通の人は、知識から知識を得ることが苦手だということを知らねばなりません。 そして知識を持つ人は、言語で他人と知識を共有できます。それが学問。学問は知識を言語化し体系化して他者と共有するのが目的。 知識を持っていても、言語化して他人を納得させられない限り、知識を持っているとは言えないのです。 入力しても出力できない知識は、引き出せない倉庫。会得していることにならない。 だから、剣豪などでも剣術を書物に記します。伝承できない技術は、ただの無法者の暴力だから。

cibone
質問者

お礼

うなづけました。 知識の重要性をといてみても 本人に知識欲や、その分野に対する興味がなければ それを吸収することはできませんね。 知識欲がもともとある人ならば、知識を得よ、と指導されれば そのとおりにすることもできますが もともと知識欲がない人に どんなにその重要性をといても、意味がないということかもしれませんね。 ありがとうございます。

回答No.2

プロセスを省略するなら救うでしょう。 しかし、知識だけなら・・図書館にでも行けば良い・・殆どの事が網羅されて居ることでしょう。 それで図書館が幸せだ・・と言っているのを聞いたこともないですが。 知識など、単なる道具・あるいは材料に過ぎません。 道具や材料が幾ら沢山有った所で・・使わなければ意味がありません。 その道具や材料を上手に、あるいは効率良く使うことを「賢い」・・とも言います。 しかし、全く道具も材料もなければ、何も生まれない・・事も事実でしょう。 何事もバランス・・ 考え方もバランス良く。

cibone
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 知識そのものが、自分の考えに示唆を与えたり、新しい発想を与えてくれたり・・といったふうに 変化を促す部分もあるかと思います。 が、道具としての知識という考えに納得しました。 使わなければ意味がないけれど、道具がなければ何も産まれない・・・ とても上手な喩えで説明したくださり、納得できました。 今後、知識を得ることもして、それを活用していくことを考えます。 しかし、幸せと知識の因果関係はまだよくわかりません。

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