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墓の中に私(故人)は眠っていない?!謎の歌詞に思うこと
- 80歳で父が亡くなり、お葬式や墓参りの瞬間を鮮明に覚えている私には、「墓の中に私(故人)は眠っていない」という歌詞に違和感を覚えます。
- 日本人として墓参りの習慣があり、故人がお墓で眠っているという考えが一般的ですが、この歌詞はその考えに反するものです。
- 私はこのような考え方がオカルト的で不気味だと感じており、同様の意見が本やネット上でも言われているのか気になります。
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そりゃ誰だって亡くなれば骨になって物理的にはずっとお墓の中ですよ。物理的には。でもあの歌は、暗いお墓の中じゃなくて、空のような明るい場所から生き残った人たちを見守っていますよっていう歌だと思います。亡くなった本人にとっては、暗いお墓に(閉じ込められて)いるんじゃなくて、自由に空の中にいるから寂しくないよっていう思い。残された人にとっては、いつも空から見守っていて欲しいという思い。つまり、気持ち的には、暗く陰気くさいお墓にいると考えるよりも明るく広い大空から見守っているととらえる方が楽になれるし、前向きなとらえ方だと思います。
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オラは、墓石の下にあるのはただの骨だと思うよ。 日本の文化としては地域や宗教によって異なるものもあるかもしれないけど、 仏教においては「あの世」というのは墓石の下にあるものじゃないと思う。 お墓はあの世への通り道というか架け橋みたいなものじゃないかな。 仏教における輪廻転生の考え方からすると、人間は死んだ後は土になるかもしれないし、 植物になるかもしれないし、動物になるかもしれないというのもありかな。 実際、燃やした肉の一部の元素は、空気中に放出され、植物に取り込まれるかもしれないし、 その後動物の一部となるかもしれないし。 あの歌は、(歌い方も、メロディーも)嫌いだけど。 ついでにトイレの何チャラも(本人には悪いけど)、ありがちな歌だね。 ありがちだから、共感する人が多いのかもしれないけどね。 世の中を穿ってみてしまう私だと、 「ああいうの作れば売れる」と頭の隅でちょっとでも思ったなら、絶対作れないはずだって 思っちゃうんだよね。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね、たしかに骨は骨、カルシウム(でしたっけ)でしかありませんものね。 最後の一節がたいへん参考になりました。作る側も(たぶん受け取る側も)も思いは一途で純粋なのかもしれませんね。
お礼
回答ありがとうございます。 前向きなとら方ですか。たしかにそのとおりですね。なんか、私の質問の本当の意味に真っ正面から答えてもらって、嬉しいです。 質問する前は鬱屈とした気分でしたが、sayacakeさんの回答を拝見してなんだか明るい気分になりました。