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共感というのは大事でしょうか
世間で言う共感というものは大事なのでしょうか。 私個人の認識では共感力の欠如は冷血であることを意味しないと思っているのですが。
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質問者が選んだベストアンサー
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>共感力の欠如 まず一般的な恋愛は不可能ですね。 周囲から人間的ではないという評価を受けるでしょう。 それらはつまり冷血に近い意味を示していると私は思います。 人間社会では生きられません。 何か困難なことををなりふり構わずやり遂げたいという激しい熱情を持っている人間はえてしてそんな見方をされることがあります。しかし、その熱情の目的が人間にかかわることでなかったら、それは正しい見方だと思います。
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ご回答を読んでいると、質問者さんの仰っている「共感力」とは「同和力」とか「親和力」のことではないでしょうか? 最大公約数的意見や、一般的認識、今の言葉で言うKYの空気を読むという、空気のことなどでは。 その力が欠如であれば、変わり者かエゴイストです。 ですが、 共感に振り回されないという意味であれば、寧ろ良いことなのでは。
お礼
ありがとうございます。 親和とかに限らない気がします。私は「共感力」を「相手に対する理解力・思考力」のように捕らえているのですが、世間では違いますよね。 質問では、私の解釈ではなく心からの納得や実感のような意味で共感を挙げています。 共感が心で 空気を読む が技術 というような感じでしょうか。
- cxe28284
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共感力とはどういう意味でしょうか。他人の体験による感情や心理や主張に応じるための 理解力と柔軟性とか感情移入とか感性、インスピレーションとか人間性や情感の豊かさ さまざまな要素があると思います。人間が共に生きていくうえでは大切なものだと思います。 その反対語は必ずしも冷血という訳ではないと思いますが、他者に向ける関心がなければ、 共感はあり得ません。冷血というより無関心なのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。
- rfrfr111
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共感は、 共感すれば優しく、しないと冷たいということとは違う。 自分が、逆の立場でどう感じるか考えてみなさい。 人間は、共感を示した相手に好感を抱くということだ。 まあ、大雑把に言えば、好かれやすいかどうかだ。
お礼
ありがとうございます。
- mijinco
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共感しなくても、冷血でないことは十分あり得ます。 客観的な認識の上で、冷血的な対応を避けることはできますから。 ただ個人の「共感力の欠如」は、共感するかどうかも選択できないのですから、個人として許容量や感性が小さくなると思います。 また人の理解を深めるために有用だと思います。 言い方を変えれば、共感がないと人の理解が深まりにくい(相手にしてみれば分かってもらえた感が低い)でしょう。 ですから、共感力の欠如は、致命的なことではないでしょうが、そういう意味で、大事だろうと思います。 ただ、共感力は、そなわった能力ではなくて、技術的な側面もあるので訓練で身につく部分もあると考えています。
お礼
ありがとうございます。 客観的な認識の上で正しい事を出来るというのは私も思っていました。
- Mokuzo100nenn
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>世間で言う共感というものは大事なのでしょうか。 哲学するには、共感力よりも、思考力の方が大切だとは思います。 しかし、世間で生きてゆくには、共感力も大切ではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。
実際行動として現れない共感というのはいわば冷血につながるものだろうと思います。隣の人が大けがをしているとき自分も痛い痛いとわめいても何もならないような感じです。
お礼
ありがとうございます。
>私個人の認識では共感力の欠如は冷血であることを意味しないと思っているのですが。 そうですね。ユーモアも解せないし、芸術の効力も失せるでしょうね。
お礼
ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。
補足
やはり厳しいですね。