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「生き甲斐」と「依存」の差とは?

ふと最近、「生き甲斐と依存の差って何だろう?」と思い始めました。 私は以前より「何か動いていないとダメなタイプ」で この「動く」というのは、目的意識をもって何かに傾注して生活をするという意味です。 何かに熱中すると、とことん突き詰めるので 良い意味では、それなりの知識レベルが習得できるのですが 一方でそれは「依存している」と言えるとも思い至りました。 私の場合はどれもささいなことで、各々大それたことでは全然ないのですが もしそれが「依存症」なのであれば、では一体「生き甲斐」との線引きはどこにあるのでしょう? どう思われますか。 ご意見をよろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

人生をより前向きに生きていくことにつながるのが「生き甲斐」で、人生から逃避する為の手段が「依存症」ではないでしょうか? つまり、何かに対するあなたの姿勢というよりは、人生そのものへのあなたの取り組み方によって違ってくるのだと思います。

Rozsy
質問者

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こんにちは。 ご回答をありがとうございます。 なるほど、そのものに生産性があり、前向きに取り組むのであれば「生き甲斐」といえるということですね。 「人生そのものへの取り組み方」・・・・・・ 深いです。

その他の回答 (6)

  • ok2775
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回答No.7

再度回答をさせていただきます 恋愛依存症も正に相手からの愛情を受身になって 待ち焦がれていることとなると思います。 それとは逆に自分から進んで行動を起こす場合を 恋愛を生き甲斐にしているということになるかと思います。 一人の異性を生き甲斐に過ごすことが出来ればこんなに 幸せなことは他にはないと思います。 自分もそこまでの経験はありませんが 太宰治が太田静子を思い続けていたこと、これが 生き甲斐といえるのではないかと思いますよ。

Rozsy
質問者

お礼

こんにちは! 再びのご回答をありがとうございます。 あぁ、そうなのですね、「恋愛依存症」というのは愛されるという受身なのですね(すみません、曖昧な知識のままに問いかけをしてしまいまして)。 私は「熱しやすく冷めやすい(そこそこ到達すれば)」のですが、この熱を依存性があるとすれば、なんと危ない人生を歩み続けたことかと、ちょっと怖くなっていました。 でもどうやらそれとこれは別のようなので安心してきました。

  • hnahana
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回答No.6

 生き甲斐と依存の意味は、全く違いますよ。 貴方のは、依存ではありません。 向上心のある方なんですね。良い事です。

Rozsy
質問者

お礼

こんにちは。 ご回答をどうもありがとうございます。 向上心というと聞こえがいいのですが、その熱中の仕方が尋常でないのと、それを終えたあとの喪失感が、良くないように思うのです。 「なにか熱中できるものがあれば生き生きと暮らせるけれども、なければ虚ろな日々」、その虚ろな日々が嫌でなにかを探そうとしている。 すぐに見つかるときもあれば、見つからなくて漫然と暮らすだけの日々も決して少なくなく、この落差に「依存症???」と懐疑している次第です。

  • ok2775
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回答No.4

根本的に別の意味をもっていると思います。 依存・依存症とは自分以外の他のものに頼ってしまうことであるといえます。 逆に生きがいとは、能動的なもので自分の意思で動く、または自分で作り出すものと いえると思います。 よくこのようなことを耳にします。「石油は中東の産油国に依存します・・」 正にこれですね。このことは完全に受動的なことであって、自分ではなく ほかに頼ることという意味が強く依存・依存症と言えます。 質問者さんは自分の目的に対して行動力を発揮しておられるということですので たいそう良い生き甲斐を持っていらっしゃることと思います。

Rozsy
質問者

お礼

こんにちは。 どうもありがとうございます。 あぁ、なるほど、そのような見解もまさにそうですね。 「恋愛依存症」などという言葉も、結局は相手に与えられる愛に依存しているということなのでしょうか。 これは相手を愛そうと能動的に行動することに依存していることにはならないのでしょうか。

noname#144293
noname#144293
回答No.3

「依存症」と言えば、いささか病的な意味合いを指しますので、あくまでも何かに熱中し過ぎる性格なのではないでしょうか。 ではその線引きですが、しなければいけない、しなければ我慢できない、といった脅迫概念があるかどうかだと思います。脅迫概念があると、熱中とは全く違って、しなければ居ても立っても居られなくなる状態のことです。分かりやすく言えば、薬物依存を連想して頂ければよいです。薬物依存は、まさしく脅迫概念による我慢が出来ない状態です。 このような症状でなければ、依存ではないでしょう。れっきとした生き甲斐だと思いますよ。

Rozsy
質問者

お礼

こんにちは。 ご回答をありがとうございます。 皆様からの色々な角度からのご意見に感謝しています。 そうです、まさしく私は「熱中しすぎる性格」なのだと思います。 幸い強迫観念はないのですが、ただその熱中することが終わってしまう、あるいは無用となってしまうと、日々「自分が能動的にしたいこと」が皆無となり、ぼーっと虚ろになってしまうのが問題です。 そんなとき、「あれは依存していただけだったのだろうか」と思ってしまうのです。

回答No.2

依存?・・・・結構じゃないですか。 仕事にせよ、趣味にせよ 依存するくらいのめり込まないと 何をやっても中途半端・・・・ そんな人生はつまらないと思いませんか? .

Rozsy
質問者

お礼

こんにちは。 ご回答をどうもありがとうございます。 はい、そう思います。 私は以前会社勤めを15年ほどしておりましたが、熱中しまくり夜遅くまでサービス残業もいとわず、週末にも仕事を持ち帰ったり、その疲労でプライベートがおざなりになっても全然構わず、仕事が大好きでたまりませんでした。 どれほど自分を犠牲にしてもその見返りとして形になって見える成功と実績がなによりの励みでしたし、原動力につながっていました。 上司からは重宝されましたが、後輩からは脅威の目でみられていました。 「僕は先輩がなぜそこまで努力できるのか、分かりません」といわれたこともあります。 でもその反動で「燃え尽き症候群」と過度の精神的疲労で、結局退社しました。 この経緯からすれば、私の働きは尋常でなく、私の人生において良い結果となったのかどうかわかりません。 一生懸命がんばった経験と思い出や喜びは記憶として残りますが、なんでも「やりすぎ」は良い結果を招かないと身をもって実感しました。 私は仕事を生き甲斐だと信じていましたが、依存していただけだったのかな、と思ってしまうのです。

回答No.1

依存症というのは、それが無いと耐えられない精神状態になることではないでしょうか。 好奇心や知識欲は、それを満たすことができる状態で追求するのは良いと思います。 そして、それを満たすことが出来ない状況でも平然として居ることができれば問題ないでしょう。

Rozsy
質問者

お礼

こんにちは。 早速のご回答をありがとうございました。 そうですね、おっしゃることはわかります。 でも私の場合、その熱中することがあると、暇さえあればいつもそのことが気になるし、本当に極める域まで突き詰めてしまいます。 それが終わってしまう、あるいはそれをする必要性が無くなってしまうと、途端に虚ろな気分になって何もする気がなくなってしまうのです。 終わって満足感が得られるのではなく、空虚になってしまう反動を鑑みると「あれは依存だったのでは!」と思ってしまうのです。

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