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椎名林檎は作詞家として天才ですか?
椎名林檎は作詞家として天才ですか? 天才と呼ぶにふさわしい詞を挙げて、一文一文解説して下さい。
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- kenju1128
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たびたびすいません。追記です。 約束は 要らないわ 果たされないことなど 大嫌いなの ずっと繋がれて 居たいわ 朝が来ない窓辺を 求めているの ここの「ずっと繋がれて 居たいわ」というの性的というより、闇に繋がれてて居たい的ことだと思います。あるいは孤独とか。 まあ、解釈次第なんですが。 ある種の拗ね、というか絶望ですね。 「本能」の歌詞を逆さにしたら、例えば中島美嘉の"LIFE"に近い内容になると思います。本当は夜明けを求めているのだと思います。 ポストモダン思想というのがありますが、西洋が追い続けていた「ロゴス」(理性、言葉)の先のものを探そうとしている。それはまあ、パトス(感性)という事になるのかと思いますが、 淋しいのはお互い様で 正しく舐め合う傷は誰も何も 咎められない 紐 解いて 生命に 擬う エロスも感性ですが、そういう中にポストモダン的な命とか、共感とか、連帯を探そうとしているような。 基本的には理性とか言葉が約束してきた人類の理想を哀惜したりするような悲劇的なトーンのある曲でもあります。 全部どうでもいいと云っていたい様な月の灯 劣等感 カテゴライズ そういうの 忘れてみましょう 「闇の豊穣」とか、言語学者の丸山圭三郎さんが書いていましたが、理性による審判よりはコンプレックスに苦しんでいる人に救済を投げかけるようなイメージです。やはり「ポストモダン」のような感じだと思います。ガウディの建築とかも有名ですが。 他いろいろ好きな曲がありますが、同じく『勝訴ストリップ』の「闇に降る雨」で、 招きたくない 空々しい土の香や向日葵の すぐにも迎う馨しい絵画と化する日など ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが歌いこまれていますが、狂おしさのリアルタイムの現場に居たいというような気持ちで、物見高い美術愛好家とは一線を画していると思います。 「虚言症」ですと、 しかし何故にこんなにも眼が乾く気がするのかしらね 黄色の手一杯に広げられた地図には 何も無い そして何故に雨や人波にも傷つくのかしらね 魚の目をしているクラスメイトが 敵では 決して無い 中学生の少女と、高校生の時の林檎さんが「離人感」という感覚で共感されています。ある種の軽い精神疾患状態なんですが、一過性の離人感は人口の70%が体験するようです。深いシンパシーだと思います。 あと作詞家だと、僕は小林武史とか好きですが、林檎さんはやはり第一人者だと思います。 西洋思想の、ヘラクレイトス~福音書家ヨハネ~デカルト、の先に「本能」を読み解こうという2分くらいで読める小論も書いていますので、なんでしたらご参照くだされば。 http://homepage1.nifty.com/kenju/sensyuu/28.htm クリスマスソングに「本能」 基本的にはくじけそうな理想への哀惜と、なおも「言葉」などを信じていきたいというの、絶望とないまぜになったような悲劇性のある曲調で、アレンジなども合っていると思います。 「本能」「闇に降る雨」「虚言症」作詞椎名林檎
- kenju1128
- ベストアンサー率35% (209/581)
初めまして、ですね。いつもメンタルヘルスのコーナーに居る犬儒と申します。 若干ご要望と違った表現になりますが、すいません。 久しぶりに「椎名林檎 キリスト教」とか検索したら、丁度この質疑が目にとまりました。 2006年に椎名さんは『塩狩峠』(三浦綾子、新潮文庫)の帯を担当しています。音楽も含め、最も影響を受けた芸術作品とのことでした。 ご存じないかもしれませんが、三浦綾子は旭川市在住だったキリスト教のプロテスタントを信仰する作家でした。 同じプロテスタントの福岡県出身の福永武彦という作家が僕は好きなんですが、戦中などに理想と現実の解離の問題に苦しんだようです。 僕の書いた文芸評論からちょっと転載しますと、 (以下転載) 『草の花』福永武彦、新潮社、昭和29(1954)年から引用します。(戦時中が舞台です) 「--僕は孤独な自分だけの信仰を持っていた、と僕はゆっくり言った。しかしそれは、信仰ではないと人から言われた。孤独と信仰とは両立しないと言われたんだ。僕の考えていた基督教、それこそ無教会主義の考えかたよりもっと無教会的な考えかた、それは宗教じゃなくて一種の倫理観だったのだろうね。僕はイエスの生き方にも、その教義にも、同感した。しかし自分が耐えがたく孤独で、しかもこの孤独を棄ててまで神に縋ることは僕には出来なかった。僕が躓いたのはタラントの喩ばかりじゃない、人間は弱いからしばしば躓く。しかし僕は自分の責任に於て躓きたかったのだ。僕は神よりは自分の孤独を選んだのだ。外の暗黒(くらき)にいることの方が、寧ろ人間的だと思った。」 この後のくだりですが、 「孤独だからこそ神を求めるのじゃなくて?」 「--普通にはそうなのだろうね。孤独とは弱いこと、人間の無力、人間の悲惨を示すものなのだろうね。しかし僕はそれを靱いもの、僕自身を支える最後の砦というふうに考えた。」 (中略) 福永はお母さんの影響もあり、ある程度キリスト教の事を考えていたと思います。ただ戦時中の葛藤により、距離を置いた、……でも「良きサマリア人」でありたいと常に考えていたのではないかと思います。 キリスト教に対するプロテストはありましたが、常に福音をどういう形で表現しようか、そういうことはずっとテーマとして持っていたと思います。 『草の花』で語られる「基督教」とは宗教の一種類ということではなくて、イデアというのでしょうか、理想のようなものをそれによって書き示したいということなのだとも思います。 「--僕が戦争になって、今迄以上に基督教が厭になったのはね、彼等が平然とこの戦争を受け入れたことだよ。なぜ反対しないのだろう。なぜこの戦争を阻止しようとしないのだろう。」(「第二の手帳」) すなわち、 「人間は弱いからしばしば躓く。しかし僕は自分の責任に於て躓きたかったのだ。」(同) とありますが、神の名によって戦争を認めるのではなくて、見過ごすとしてもそれは自分の責任においての躓きであることを選んだということなのでしょうね。この辺りに葛藤があったのだと思います。 (以上「福永武彦論~サナトリウム文学の遺産」by犬儒) 日本はキリスト教徒が新興宗教を抜かすと1%くらいしかいないのですが、椎名さんは、やみくもに受け入れるだけでは無く、理想と現実の乖離に関するプロテストを例えば「本能」で歌っていると思います。このレベルに達しているのは彼女くらいだと思います。天才というか、少なくとも理想を強く求めている人だと感じます。 どうも時代が不条理性を増してきたような感がありますが、依然として、理想は叶わないです。 アマゾンの「本能」のレビューで「理想を問い直すかのようなパンクロック」という事でレビューしておきました。 「椎名林檎 キリスト教」で検索しても、今で僕の質疑が2位くらいになっています。 ええと、僕はクリスチャンではないのですが、仏教もさっぱりわからないし、なんだかよくわからないのですが、現代の古代ギリシャ哲学者を標榜しています。ルネッサンスみたいなのは好きですね。 ちょっと長くなりますが、アマゾンの「本能」のレビュー転載しておきます。 ちなみに、キリストは王でもあり、宗教者でもあり、裁判官でもあり、医者でもありとか、「ロゴス」の権化とされていて、いろいろな側面があります。 (以下転載) 5つ星のうち 5.0 理想を問いなおすかのようなパンクロック, 2008/11/3 By 犬儒 (北海道○○市農村部) レビュー対象商品: 本能 (CD) 一言だと「キリスト教にプロテストするかのようなパンクロック」。彼女と同郷の福永武彦の『草の花』の一シーンを連想する。 ちなみに福音書家ヨハネはギリシャ人だったというのが通説だが、「初めに言葉(ロゴス)ありき」なので、言葉は神~キリストの化身と見なされている。それを「どうして歴史の上に言葉が生まれたのか」なので、完璧です。ちょっと散文詩を書いてみました。↓ 人々は理性(ロゴス)をかざして進んできた筈だったのだけど、いつのまにかうまくいかなくなっていた。いつのことだかわからないのだけれど。 理性には光があったはずだった。命があったはずだった。今でもそう思う。 とにかく、どうしようもならないことは多いように感じてしまう。 こんな筈じゃなかったと、時折叫びたいようにも思う。たしか、真実のようなことがどこかにあったように思う。でも、確信がなくなってしまった。 陽の光は、はたして正義をもたらすのだろうか。憶えている事では、確か正義はもたらされるべきものだったと思う。 ……すべてのことは、裁かれるべきだっただろうか。 もしかすると、でも、自分の孤独のようなことに人との共感があるような気もする。 それが正義ではなかったとしても。その孤独が報われず、人生が徒労に過ぎなくても。 少なくとも私は、誰かが惨めに朽ちていくのをただ見過ごしたくない。 そこには悲しみがあった筈だ。 私は忘れたくないように思う。 「虚(から)の真実」とは「悲しみ」だと思う。(ロゴス⇔パトス) 2006年に椎名さんは『塩狩峠』(三浦綾子)の帯を担当したらしい。音楽も含め、最も影響を受けた芸術作品とのことでした。最終章で脚の悪いフィアンセが事故現場を訪れるシーンのある種の虚無感をちょっと連想する。 現代が不条理性を増す中、愛は不可能なのか、みたいな「どうして」という問いのような。エロスはある種「死」を見ているものなのかもしれない。 絶望の中での苦々しい反語のように聴こえる。 人は理想と現実の狭間で生きる。理想を捨てられないからこそ人は苦々しくなる。例えばスプリングスティーンの"Born in the U.S.A."もそうだったと記憶している。どちらも誤解されやすい曲だろう。 (以上) 象徴詩のような歌詞で、多様な解釈が可能で、決めつけるのもなにかとは思うのですが、この一曲の解釈で椎名林檎観がまったく変わるのではないかと思って、返礼でレビューしておきました。彼女からは2度メールのご返事をいただいた事があるので。 『勝訴ストリップ』の1stトラックの「虚言症」などにもクリスチャニティに近いような人間愛のような表現がありますね。 天才的というか、現実が見えて、なおかつ理想を求めている女性なのではないかと思います。 ある意味では、ごく当たり前の人なんですが、現代ではそれが希少価値になるのかとも思います。 反語って分かりにくいかもしれませんが、彼女は約束を求めていて、果たされる事を望み、夜明けを待っている人だと、僕は解釈しています。
- wy1
- ベストアンサー率23% (331/1391)
全くわけの分からない言葉の羅列、 これはまともな人なら誰も真似できない、その点では 天才?かな?
- thegenus
- ベストアンサー率49% (330/673)
【本能/椎名林檎】 『寂しいのはお互い様で 正しく舐め合う傷は誰も何も咎められない』(咎め:とがめ) 質問サイトですので、”衝動に衝き動かされた”ような質問行動は、釣りを疑わせます。 歌詞と詩は機能が違いますので、歌詞の良さは、歌を聴かずには、決められないと思います。 咎めているのではありません。意味がなさそうに思えました。 聖書に擬(なぞら)えた解釈は面白いと思います。 【本能/椎名林檎】 『気紛れを許して 今更なんて思わずに急かしてよ もっと中迄入って あたしの衝動を突き動かしてよ』 「今更なんて思わずに急かしてよ」の部分の聖書的暗喩が、門外漢の私には創造できません。聖書で、せかすことがありましたっけ。 「朝が来ない窓辺を求めているの」の部分も、宗教的な修辞として考えると難解な歌詞になります。 【本能/椎名林檎】 『寂しいのはお互い様で 正しく舐め合う傷は誰も何も咎められない 紐解いて生命に擬う』 「生命(いのち)」は、生物学的いのちでしょう。仮にDNAとすると、何を、DNAに擬(なぞら)ふ、のでしょうか。何を、の部分を考えるべきでしょう。 ★椎名林檎は、天才作詞家ではなく、意味不明の作詞で、芸術家になぞらえる芸能人なのです。ハイソ・コンプレックスなエンターテイナーです。意味不明な言葉の意義を参加者が共有します。哲学カテゴリーのように。 私が『本能』で一番好きな歌詞は、後半に在るのですが、こちらは含意を温めるまでもなく、さらりと現代的です。 【本能/椎名林檎】 『全部どうでもいいと云っていたい様な月の灯 劣等感 カテゴライズ そういうの忘れてみましょう 終わりにはどうせ独りだし この際虚の真実を押し通して絶えてゆくのが良い 鋭い其の目線が好き』 (読み。月の灯:ツキノヒ。虚の真実:カラノシンジツ) ☆この部分の詞はサイコーに素晴らしいです。何より、理解できる日本語になっているし、痛快な詞の繰り出し方が、あでやかです。洗練されてます。意味不明でも”視線”がクリアです。完璧です。名作です……しかし褒めるのに十分な言葉って存外ないのですね。自分には説明のつかない作品を絶賛したい人が、褒め言葉を探しあぐねて、ええい、天才と発信するのです。『本能』の作詞は天才的です。気まぐれを許していただけるのなら。 この曲は、本能というよりも依存症の内容ですが、これが本人の『本音』なのかも。 歌詞単独で議論するのはおかしいと思いつつも、文学カテに投稿してみたくなるような歌詞であるということでしょう。
- thegenus
- ベストアンサー率49% (330/673)
誰も歌詞にアンタッチャブルなので、 (余興/椎名林檎) 「対話が演技じゃ興味が湧かないってもんよ」 こういう台詞がぱっと出てくるところが天才的かもしれません。 好い台詞ですよね。 椎名林檎の曲で聞いたことのある曲はなんてすか? 「一文一文解説して」欲しいくらいなんですよね。 それでファンが解説しますかね。 一つも歌詞が特定されていないのに天才的って話が出てくるのが可笑しいでしょう。 一つも歌詞を知らない人に結論だけを教えるのですか。 一つも歌詞を知らない人に一文一文解説するのですか。 椎名林檎の、どの曲に興味があるのですか? B'zから歌詞を引用した方がいいのではないですか?これと同じくらい天才的な歌詞がありますか?って。 B'zに天才的な歌詞がありましたっけ?ご紹介下さい。 椎名林檎がどっちでもいいのなら、 B’zと同じく天才ということにしたらいいと思います。 私だけですよ。具体的な歌詞を挙げたのは。 納得しましたか?
- korokoro1980
- ベストアンサー率28% (48/169)
天才かどうかはさておき、椎名林檎の詞には才能の輝きが見てとれます。 有名な大岡信の詩「地名論」と比べてみましょう。椎名と全然似てないのに、なぜここで大岡かというと、私がたまたま読んだことがあるのはそれくらいだからです。すみません。 大岡は詩人で学者でもあり(東大国文科を出て明大かどこかに長く勤めた)、「なるほど巧い」とうなずけるような詩を書いています。それと比べても、椎名の歌詞のメタファーはいい線をいっていると思います。 なお、引用は全部ではなく一部だけです。 大岡信 「地名論」 水道管はうたえよ 御茶の水は流れて 鵠沼に溜り 荻窪に落ち 奥入瀬で輝け サッポロ バルパライソ トンブクトゥーは 耳の中で 雨垂れのように延びつづけよ 奇体にも懐かしい名前をもった すべての土地の精霊よ 時間の列柱となって おれを包んでくれ 〔中略〕 名前は土地に 波動をあたえる 土地の名前はたぶん 光でできている 〔中略〕 故郷を離れた赤毛の娘が 叫べば みよ 広場の石に光が溢れ 風は鳩を受胎する おお それみよ 〔中略〕 東京は いつも 曇り 〔引用終り〕 大岡はたぶん日常茶飯で蛇口をひねって、水道管が鳴るのを耳にしたのでしょう。そして、「水道管」は東京の地名の「水道橋」を喚起しました。その隣の駅が御茶ノ水です。東大や昔の明大の近くでしょう。次に水つながりの地名遊び、さらに詩想は世界を駆け巡ります。最後は、大岡が住む東京にまた戻ってきます。 「おおそれみよ」は、「おお、それ見よ」と「オー・ソレ・ミオ」(ナポリ民謡「私の太陽」)を掛けてあるんですね。イタリアの陽光、しかし東京は曇りと。いかがですか、よく出来ている詩でしょう。 次に、椎名の大ヒット曲「本能」の歌詞を見ます。 椎名林檎 「本能」 約束は要らないわ 果たされないことなど大嫌いなの ずっと繋がれて居たいわ 朝が来ない窓辺を求めているの どうして歴史の上に言葉が生まれたのか 太陽 酸素 海 風 もう充分だった筈でしょう 〔引用終り〕 一行目の「約束」は単なる約束ではなく、聖書のことを思わせます。さらにキリスト教に限らず道徳一般を指しているでしょう。 私はクリスチャンではありませんが、聖書が神と人間との約束である(とされている)のは知っています。また、聖書は神の言葉を記したことになっています(「はじめに言葉があった。言葉は神と共にあり、言葉は神であった」)。 椎名自身は別に反キリスト教ではないと思われますが、道徳の一つの代表としてのキリスト教に、喧嘩を売ってみせているのです。しかも、キリスト教のキの字も、道徳のどの字も出さずに。啖呵の切り方が鮮やかですよね。 また、「約」も「束」も「たばねる」「しばる」という意味です。一方、「繋がれて」は性交を暗示しています。つまり、道徳さまに縛られるよりも、性器の結合で縛られる方がまし、という凶悪な詞です。私が解説するとえげつないですが、椎名はさらりと言ってのけています。実に巧いですね。 回答がむやみに長くなるのでこの辺でやめますが、例えばこのあとの歌詞の「紐解いて生命に擬う」はDNAを暗示しています。才気煥発の人と言えましょう。
- kimari14
- ベストアンサー率17% (50/288)
「りんご」の唄だったか、KHKのテレビできいたなー 番組と番組の間を繋ぐ番組表にも出ない小さな唄コーナーの何かだったんでしょう。 うっ・・・と、おもった。 超感覚。 歌詞(詩)と曲調が陰影で合ってましたね。すばらしい。 CDやPCダンロードで、わざわざ人間が作ったウタはめったに聴かない。 すぐサビちゃうからね。 この人は、きっとその事 わかってるとおもう。 歌詞と曲の接着面のニカワが剥がれると、特に歌詞はすぐサビる。 純度の高いニカワを使うと裏も表もない円球に見える その事を、いやいや生まれてきたこの地上で いとも簡単に体現させている。 天才という言葉は まみれすぎている
- pandaApple
- ベストアンサー率61% (253/413)
小生は、林檎嬢の大ファンではあります。 が、作詞家としての才能については、独特の世界観を持つとは思いますが、「天才」とまではいかないのではないかなあと思っています。 とにかく、いまどきの若い人には珍しい詩的感覚や言語感覚をお持ちの方で、その点については非常におもしろい人材だなあとは思います。 人とちょっと違うがために、殊更ピックアップされて「独特の歌詞世界!」と持ち上げられていることは事実だと思いますが、細かいことを言えば歴史的仮名遣いに間違いがあったり、旧字の使い方が中途半端だったり(統一性がない)、叩かれる面も多いように思います。 こういう細かいことにこだわるのは「芸術的」ではないのかもしれませんが、「ことば」を紡ぎ、「ことば」で生計を立てている「文筆家」からすれば、少し「?」マークが付くのではないかと思います。 小生、林檎嬢については、「唄ひ手」としては「大天才」だと思うております。
お礼
なるほど。よく解りました。 おそらくベストアンサーに選ばせて頂くと思いますが、もう少し別の回答も待ってみます。
- thegenus
- ベストアンサー率49% (330/673)
r_cupさんにとって、天才の作詞家は誰ですか? 椎名林檎はそうなんですか。 椎名林檎のどの歌詞が天才と言われているのですか。 天才作詞家の例がないのなら椎名林檎も違うのでしょう。 質問者さんは嫌いなの?好きな曲はありますか? 答えやすいように質問されないと、こういう問題は誰も決められない事でしょう。
お礼
>椎名林檎のどの歌詞が天才と言われているのですか。 それを僕が質問してるんです。 >r_cupさんにとって、天才の作詞家は誰ですか? パッと思いつくところではB'zの稲葉浩志さんの詞が素晴らしいと思っています。
- BODYCHANGE
- ベストアンサー率21% (229/1053)
天才とは思いませんが、個性的でイイと思います。 歌舞伎座の女王とか着眼点がちょっと違う。 「カルキ・ザーメン・栗の花」のアルバムタイトルも度肝を抜かれました。 テレ朝のワイドショーの新聞読みのコーナーでは「カルキうんぬん栗の花」って言われてました(笑)! ザーメンって言えヨ!
お礼
回答ありがとうございます。 でも、ただただ過激なタイトルにすりゃいいってもんじゃないと思ってしまいました。
お礼
すんません。ちょっとよく解んなかったです。