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創作について
個性的な書作品と、雑な(稚拙な)書作品の違いが分かりません。 (1)歴史的評価が高い(高くなりそうな現代書家もOK) (2)個性的で見飽きない (3)数年かけて学ぶ事ができる こういう書道の本を探しています。書体は問いません。 【例えば】 良寛。ひじきのような文字がとても味があります。初学者には少し難しいと思います。 「○○」という本(出版社○○)がオススメです。 というようにアドバイスしていただけると、アマゾン本屋で探せるので嬉しいです!! よろしくお願いします。
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最近創作と称して読めない文字を見かけるが,創作と言いながら,稚拙な文字なのか?雑な文字なのか,あなたではないが,私も未だに理解出来ません創作の文字のごとく自分で考え創作してよいのです。ただその文字を他人が評価するか否かなのです。私は読める文字を指導しています。 例えばTV放送で竜馬の文字を,鋭い渇筆で揮毫された創作文字がありますが,あのように,創作してその文字が公に認められたらよいのです。 確かに中国の書体に名の通った先人の書が沢山ありますが,それをマスターした人は殆ど居ません。むしろ上記のような創作文字がはびこっています。その文字を習いに行って師範の資格を取得している人がいますが,その達人に賞状を書いてくださいと云うと,書けない人が沢山居ます。先生と称される人が依頼された文字を書けない?これに疑問を感じています。 あなたの,ように,良寛の文字を例に上げていますが,寧ろあなたのように,見飽きない,おもむき,のある文字を学ぶ事を勧めます。私が勧める文字はオオヨウジュン・ガンシンケイ・チョスイリョウ・テイドウショウです。いちど見てください。 この先人たちの文字を自分のものにして,これに,あなたの技量を加えて,あなたの文字を完成させるのです。東京神田かいわいの古本屋を眺めてください。きっと残っていると思います。参考まで。 翠 峰
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- ChoronMisa
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こんにちは。 Jun_sakuさんの質問の意味にすこし戸惑いがあるのですが。。「(1)歴史的評価が高い(高くなりそうな現代書家もOK) (2)個性的で見飽きない(3)数年かけて学ぶ事ができる」このようなことで、参考になりそうな本、または筆者を教えてほしいということでよろしいでしょうか?「個性的な書作品と、雑な(稚拙な)書作品の違いが分かりません」ということですので、書道のお勉強を始められたばかりということでよろしかったでしょうか? 一般的に書道を習う際にはいくつかマネ(臨書)するお手本となる教材がそろっています。これらは長く書道をやる人に昔から使用されています。個性的で見飽きないという点では??なところもあるとおもいます。。 楷書「九成宮醴泉銘」 行書「蘭亭叙」 草書「十七帖」 かな「高野切れ1・2・3種」「寸松庵色紙」「継色紙」「升色紙」 *書道では、一応推定の筆者はいます。が、推定なので、ここでは省略します。 など、かなりおおざっぱにまとめましたが、書道で言われる”しっかしたもの”のごくごく一部をあげました。書道の本でしたらいずれも二玄社という出版社が有名です。 一般的に、個性的でかつ”いい”ものが書けるステップとしてはこのような手本を何年にもわたって臨書し、そこから自分自身の書法を得とくするとかなんとかといわれています。。。現代ではかなりすきなように書いているようですが、いまの段階では誰がとか、どんな作品がというのはむずかしいので、それから学ぶのではなく一歩一歩取りあえず長くやってみてはいかがでしょうか? そして自分の好きな字(書体や、筆さばき、感情の使いかた等)を見つけられたらいいのでは?いずれにせよ、基礎は大事!素人はいきなりかっこ良く見える字を書いたとしてもとてもとても重みは感じませんね。。泣。。いまの書道界はかなり迷走気味なようです。 余談まで。 ちなみに、私の好きな歴史的作品(筆者)は。 顔真卿と金冬心、藤原有年です。 顔真卿ー感情のコントロール。時代背景とおかれた状況がよくわかる。文章も好き。 金冬心ー書体。隷書が美しい。 藤原有年ーかな。漢字からひらがなへと移行する時代のまさに瞬間がみられる貴重な作品(二玄社では手に入りません。。) ここまでは、上記の筆者が書いていて真跡(現存は当時の本当の作品)です。 長くなりました、すいません。参考になれば幸いです。
お礼
細かくアドバイスをくださり、ありがとうございます。 最初に、私自身も王羲之、初唐の三大家、平安仮名ついては 日ごろから勉強しております。 金冬心は確かに個性的ですね。早速チェックします。 ただ今回、個性的な書というものがよく分からなかったので、質問しました。 展覧会作品を拝見し、個性の美の基準を知りたく思いました。 歴史的価値はありますが、美的評価があるとはいえない木簡を 臨書して作品を書くのはどうなのか? 万葉仮名なども、仮名の起源という事での歴史的評価は認めますが、 それを極めると美的作品になるのか? というので悩んでしまいました。 歴史に名が残りさえすれば、それが美としての評価も得られる… というのであれば、むやみに基本に忠実でなくてもいいのではと感じました。 極端な話、現代書家の武田双雲でも構わないのかなぁ?と疑問だったのです。 ありがとうございました。
補足
ありがとうございます。 私自身は、整った文字の勉強も大切だと思いますが、それでは現代の書美とは ずれがあると考えております。 初唐の三大家はもちろん、賞状の文字も好きです。ここまで整った文字を書ける、 今の日本の書家は、故大貫思水先生しかいないのかと思ったりもします。 ただ、これは整った文字という事で、創作作品を書く上での基本としては大切ではありますが、 私も、ガンシンケイやテイドウショウみたいな、少し崩れているような古典の、 崩れているようで良いといえる物をたくさん勉強していきたいと思っています。 他にも良い古典がありましたら、ぜひ教えてください。ありがとうございます。