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欲望を抑えるのは神の意思に背くのではないか?

人にはいろいろ欲がある。 しかし、我々はある程度その欲を抑えて生活している。 金銭欲があるからといって、金儲けのために無茶苦茶な ことはしないし、性欲があるからといってレイプもしない。 しかし、これは正解なのだろうか? 人を神がつくったとすれば、神がつくったものを否定 しているのではないか? 例えば、スピードのよく出る車をつくったのだが、それは 欠陥商品と考えて、スピードを抑えるように改良した。 と、いうのと同じで、最初に神は欠陥をつくったのだろうか? いづれにしても、全能の神がうっかり欠陥をつくることななく、 故意につくったものであれば、それを抑えたり改良する事は 神の意思に背いているのではないだろうか? みなさんどーおもいます?

みんなの回答

回答No.3

あるタイプの宗教が禁欲を説くのに違和感を感じるのは同意します。欲求そのものが悪というより過剰さや過少さに問題があると考える方がよいと思います。しかし、自然のままに任せるべきだとは必ずしも言えません。詭弁と思われるかもしれませんが、目は顔の前面についているのだから、後ろを振り向いたりバックミラーを使うのは自然でないとか、神の創造物に不満を言うことになるとは殆ど誰も思わないでしょう。

  • gldfish
  • ベストアンサー率41% (2895/6955)
回答No.2

NO.1、以下訂正です。 >人間が「完全」な存在だというのなら、その「神」も >>>完全<<< でしょう。 ここ間違えると訳わからないですね、すみません。

  • gldfish
  • ベストアンサー率41% (2895/6955)
回答No.1

宗教は、「自然」でもなければ、普遍的な「科学」でもなく、「ある人間の考え方の1つ」でしかないので、そりゃ完全ではないですし、矛盾もおおいにありますよ。 (信仰の当事者ではなく)外野からしてみれば、その「全能の神」を作ったのは、他でもない人間です。人間が「不完全」だというのなら、その人間が生み出した「神」も不完全なのは当然。人間が「完全」な存在だというのなら、その「神」も不完全でしょう。・・・わかり易く言うと、「欠陥だらけからこそ、人間は完全なのだ」と言えば、その人間達の考えた「神」も完全になるのです。 ・・・そう考えれば、人間と神というのは殆ど同じものなのかもしれませんね。「神」は人間の心の投影そのものであり、「自分の思考の限界」を超えてその「神」が存在するということは絶対あり得ない訳ですから。 ・・・自分はそれですべて納得ですが。

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