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独我論と日常感覚

nekoucchaliの回答

回答No.1

kabalahさん初めまして。中期大乗仏教(お釈迦様の仏教ではありません)である 「唯識」を応用してお答えしようかと存じます。 唯識では心の階層を九つ(内五つは並列なので実際は五層ですが)に分析し、 八番目のアーラヤ識を「カルマの貯蔵所」と定義し、すべての事象の原因と結果の 貯蔵所であるアーラヤ識がただ一つの存在であり、 >この世界で現象することは全て >自分の意識の中に立ち現れた限りのものであり、 >自分の外に実在する存在者などない、とする >独我論 といっています。言わば、独我=唯識です。 しかし、そうすると、 >思考の上での世界観と日常的な世界観が乖離しています。 ので、宇宙意識というか、一切衆生共通の意識みたいな「第九識」(アマラ識)を 立てるのです。それによって「独我」が他の「独我」と繋がってると説明します。 これが、精一杯の「調停」と思われます。 ただし、唯識にも流派があり、第九識を立てずに第八識だけでがんばる学派も あります。「すべての存在は自分のアーラヤ識の中にあり、自分以外の存在は 存在しないのだ!」と。(汗) 謂わゆる「自業自得」の思想を突き詰めすぎてこういう結論になったようです。 他者と自分を厳密に分けると、確かにこうなるでしょう。しかし現実には存在は 他の存在に寄りかかり、寄りかかられて存在しています。(縁起の法) 独我論は、どこまでが自分でどこからが他者であるかの線引きを、非常に厳しく する、一つの極論でしょう。

kabalah
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 全く知らない分野で非常に勉強になります。 でも、 アーラヤ識は、アマラ識内の要素として 「調停」されるのでしょうか。 けれども、第九層も、「私」の心の階層のうちの 一つなんですよね。とすれば、やっぱり第九層も 「独我」のなかのできごとなのでしょうか。 >しかし現実には存在は >他の存在に寄りかかり、寄りかかられて存在しています。(縁起の法) これも現実世界を私が想起するときに 確かに納得できる気もしますが、 それはやっぱり「独我」のなかの出来事とも考えうるのです。 このように、私の中で、「調停」はなかなか 困難なようです。 また、なにかありましたらお願いします。

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